#10 エロヒム
カレンの作戦は、館を燃やすことだった。
その為に何とか、火になるものを秘密裏に見つけ出す必要があった。
「お、おまえ・・・正気か・・・?」
シャロンが鳩が豆鉄砲を食ったような表情をしている。
「うん。一緒に、逃げ出そう。もうこんな生活、やめようよ。もっともっと遠くの、のどかな場所で暮らそう・・・?もう、男の言いなりなんてうんざりでしょ?」
「・・・」
シャロンは俯く。
何故だろう・・・少し不思議な気分だった。
この完璧な作戦をもって、シャロンにとって、何の不都合があるだろう。
「これなら見つからずに逃げられるでしょ?!」
「いや、そりゃそうだけどさ・・・実は・・・」
カレンは、そのめくられた服の内を目の当たりにして、全てを悟った。
「・・・まさか、身ごもってるの?誰の子?」
「わたしは、お前が逃れようとしてる貴族の子を身ごもっているんだ。私はその貴族の専属でね、そいつとしかしてないから間違いない。腹を殴って、痛めつけて、流す手もあるけど、私はそれが本当の幸せとは思えないんだ。だから・・・ゴメン。一緒には行けない。でもあんたたちや、ほかの女郎たちを逃がすように裏で広めておく。決行はいつ?油なら、キッチンにたんまりある。この館を一周するくらいにね。そして上手く逃げおおせたら、幸せになって。私は今夜も来るその貴族に、この子のことを話して、決行の日までに何とか逃げることにするよ。」
朝方、まだ日の出ないくらいの時間は見回りの酔っぱらったごろつきどもの目は薄い。暗がりでほとんど館の周りなど見ていない。
「明後日よ。明後日にする。」
ゼニスはカレンの決意に絶句しつつも、落ち着いた表情で、しかし納得しているように見えた。
「・・・明後日か。・・・それもいいかもな。」
そして当日。
館の傍の山の上で二人は館の、地平も赤く染まる業火を眺めた。
これでいい。みんな、ちゃんと逃げおおせたかな・・・
「カレン。大丈夫か?」
知らず知らず、涙が頬を伝ってぽたぽたと流れていた。
「うん。これでいい。辛い辛い日々を頑張った。みんな元気で。」
ゆっくりと、山の向こうへ二人は向かった。
そしてセーヌ川を沿って北上した。長い旅になることを見越して、金庫の中身も女郎たちと分配して、たんまり頂戴している。セーヌ川沿いの街道は行商人たちと度々すれ違う。食料には苦労しなかった。
数日後、故郷に戻ってきた。すっかりあの惨事はどこへやら、街は復旧している。
何故なら、どうしても父と会いたかった。「ただいま!」と言いたかった。ゼニスを紹介したかった。
・・・しかし、ゼニスは墓標の下にいた。
うまく逃げおおせたサキエルのおばさんと、三人の娘から、父のことを聞いた。
勇敢だったと、子供たちを守るために、敵の前で膝をつきながら、天に召されたと・・・
「どうしよう、ゼニス・・・!私一人だ・・・!」
ボロボロと泣くカレンを、ゼニスは優しく抱きしめて言う。
「一人じゃない。俺がいるだろ・・・!君が暗くて悲しい日々から俺を救ってくれたんだ。お父さんの分まで幸せになろう。いや、俺が幸せにしてやる。」
それは静かなプロポーズだった。教会の裏の、静かな墓地での。
既にカレンの身には、小さな命が宿っていた。
この故郷のカストルム・ディヴィオネンセで、しばらくサキエルのお母さんの家で世話になりながら、小さな小さな結婚式を終え、残っていた金で、小さな小さな家を建て、しばらくそこで生活していたが、手に職がなく瞬く間に生活が苦しくなった。それでも、サキエルのお母さんはワインで生計を立てており優しくて、こんな負けん気の強い、しかし優しい目をした、こんな母親になりたいと思った。
半年が過ぎ、元気な女の子が生まれた。仲の良かった「シャロン」の名前をもらい、その子に与えた。
今夜もこの子はワンワン泣いて、夜も眠れぬ日々が続き、お金もなかったが、しかしそれでもカレンは幸せだった。
「この子を、死んでも守り抜くよ。ゼニス。私頑張る。生きていれば、辛いこともあったけどこんなに幸せになれるんだと、教えてあげるんだ。葡萄はね、一粒一粒同じようにみえるけど、でも栄養を取り合ってみんな必死に生きてるの。色んな人がいる。そういうことも教えてあげたい。」
「葡萄?でも俺は多分、粒が大きくてきっとほかの粒粒とはちがうな。」
「あっはっは!そうだね!ゼニスはデブだもんね!」
「おい、おまえはっ!!」
夫婦生活も円満だった。順風満帆な生活。しかし、経済的な点だけは深刻だった。
ある時、パリから徴兵の話があり、にっちもさっちもいかなかったゼニスがそれに志願すると言い出した。
「えっ・・・私たちはどうなるの・・・?まだシャロンは小さいのに・・・」
「俺が志願すれば、お前たちの生活を守ってやれるだけの十分な金が入ってくる。お前たちの為なんだ。そして俺は、死なない。死ねないんだ俺は。」
???
死ねない?
何を言ってるの?一たび戦いとなれば、死ぬのに。
「実は俺は・・・エロヒム様の使いなんだ。その存在すら知らないかもしれないが・・・」
ん?エロヒム?誰だろう???何言ってるんだろう・・・気でも触れたのかしら。
不安な気持ちになった。
「すまない。話は少し長くなるのだが、この世界は広いようで実はちっぽけなんだ。ほら、空に星々がみえるだろ?危険だから口外はしてほしくないのだが、世の中じゃ、この今いる星を中心に天が回っていると思われているが実は違うんだ。今から500年前アリスタルコスは太陽を中心に地球は回っていると提唱したが、ある意味あっているが実は太陽も中心ではない。この太陽系も銀河を回っている。そして、その銀河もものすごい速度で回っている。」
ぎんが・・・ってなに?
たいようけい・・・?
いつも無口なゼニスがよくしゃべる。真剣な顔で。
「・・・とにかく、あの光ってる星々はその太陽系の惑星であったり、もっと遠くの太陽のように輝く星であったり・・・俺たちは銀河の、あの点のようにたった一つの星にいるんだ。・・・分からない顔をしているな。無理もない。ちょっと一緒に外へ来い。」
わけもわからず、深夜の外へ出る。
「ほら、あの明るい星。あれがシリウスという星だ。あそこは、8.6光年先にある。あそこから、今から2700年前に、この星にエロヒム様は降り立った。そして、人間という種を宇宙の戦争から逃すためにお残しになったんだ。」
「8.6光年・・・?それは何?・・・よくわからないけど、そのエロヒム様は、神様ってこと?」
「この地球では、そういう見方をすればそうなのかもしれない。でも違う。ある特殊な能力を持った、れっきとした人間だ。俺はそのエロヒム様からある能力のほんの一部を授かった。・・・信じられないよな。じゃあ、ちょっと見てて。」
月明りでうっすらしか見えない、静かな、いつもの外。ドキドキする。
人知を超えた能力というものがこの世に存在するだなんて・・・。
「むん」
ゼニスはオーラを纏って、少し眩しくなった。そう思った瞬間。
ずがーーーーーーん!!!!!!
物凄い地響きと共に、ゼニスの十倍もの大きさの近くの大岩に体当たりして見せた。
近くにいた家畜たちがパニック状態だ。夜が明ける数時間前、静かに寝ていた鳥たちは大騒ぎで森を飛びったったのが分かる。
「きゃあああ!」
その大岩はまるで、元々脆かったかのように崩れ去った。
しかしそんなことは無い。頑丈な一枚岩だったのを知ってる。
「・・・エロヒム様からは、この力はむやみに使うなと仰せつかっている。だけど・・・カレンにはこの事実を知ってほしかった。そうしないと、俺が志願することに絶対反対するだろ?俺はな、こう見えてもう数えても居ないが、遠い昔、少なくともこの地球時間で言えば3000歳を超えている。普通には死ねないんだ。」
カレンは驚愕した。
こんなことがあり得るのか?
しかし確かにゼニスにはこれまでも不思議な点があった。すべてを見通すような目で鳥たちを呼んだり、動物たちと目を合わせて会話のような仕草をしていたり。
「・・・じゃあ、この街を出て、私たちも一緒にパリへ連れてって。許さない。私たちを置いていくなんて。」
「パリについても、しばらく野宿になるかもしれないぞ。何の伝手もないのだから。」
「構わない。この子に寂しい思いだけはさせたくない。お願い!!!同じ房に宿った、葡萄の家族でしょ!!」
「ああ。そうだな。一つだけドでかい粒がいる、俺たちは葡萄の一家だったな。」
そうして、サキエルの家族に挨拶をして、もうすぐお母さんになる、サキエルの姉のソフィーとその夫に家を譲り渡して、故郷を後にした。
今でも蛮族たちが横行して、王宮は四苦八苦しているらしい。
私の家族を亡き者にした蛮族は許せない。やさしい母さんと、やさしい父さんを。私がもし男なら、私も志願していただろう。
遠い目で夕日を眺めながら、揺れる馬車の中で、希望を胸に、シャロンを落とさぬようしっかりと抱きながら、カレンは眠りについた。