⑤旅する理由
バウワウと吠えながら犬達が雪橇を引く理由はちゃんとあるに決まっている。何故ならば、雪の上で踏ん張る際につい声が漏れてしまうのと、互いに身体をぶつけ合いながら進んでいるせいで気が張り「何すんだよ!」と吠え合っているから……なんだろうさ。
メリダがそんな事を考えている内に橇が北の町に到着し、興奮状態で盛んに吠えながら全身から湯気を上げる犬達が、ぴたりと足を停めた。
「ほぉーいほい!! お嬢さん方よ、町に着いたぜ!」
一宿一飯とついでに危地から助けて貰った恩義ある罠猟師はそう言うと、メリダとマリエッタが橇から降りるのを見届けてから、
「ところでよ……こう言っちゃあ何だがよ、まあ……アイツの事は他所で話したりしねぇで貰えると、俺も助かるんだがな……」
帽子を脱いで赤髪を露にしながら、身を屈め訥々《とつとつ》と言葉を選び選び、話す。昨夜、マリエッタが演奏しながら歌った内容が、猟師と女将さんだけの秘密を探り当てたらしいとメリダは感付くが、それを口にはしなかった。
「他所で話す? そんな事はしないよ絶対に! だって、歌はいつでも一期一会だし、即興の歌詞は大抵忘れちゃうから!!」
だが、マリエッタはそう言って明るく笑いながら、またいつか立ち寄る事が有ったらまた飲もう! と旧知の知り合いのように身を寄せ、猟師の頬に別れの印とばかりに唇を押し付けた。
「……そんなだから、私らも名乗らないし、旦那の名前も聞かないよ?」
「……そうだな……いや、そうか……確かに、そうだよな……だから、もしまた会ったらヴォドカで乾杯しようぜ!」
「色々とお世話になりました、またいつか会いましょう」
互いの名を明かさぬままメリダとマリエッタは猟師と別れ、北の町の雑踏に消えていった。
二日間に渡り激しい吹雪に見舞われた北の町は、それまでの閑散とした景色から一転し雪化粧に覆われている。無論、町を行き交う人々の格好も毛皮をふんだんに用いた厚物の装いに変わり、メリダとマリエッタの服装は浮かずにすっかり溶け込んでいた。
「うわぁ、すごいね~毛皮を着た人だらけ!」
「いや、君もその中の一人だから」
マリエッタが様々な毛皮姿の人々を眺め首を巡らせつつ歩き、そんな彼女の横に並びながらメリダは苦笑する。確かにマリエッタの言う通り、色や毛並みの違いだけでなく、獣の種類まで様々な違いの服装は見ていて飽きない。首から頭まで獣の皮を繋げ、耳まで付いたまますっぽりと被った姿も数多く実に様々である。狼頭や穴熊頭、角無し鹿頭かと思えば果てはウサギ頭にリスの集団帽子まで……種類も豊富である。
「いらっしゃ……おやまぁ! あんたら無事に戻って来れたのかい!!」
「その節はお世話になりまし……っ!?」
「やだねぇ水臭い事を言うもんじゃないよ! ……そんなもん、心配するに決まっているじゃないの……」
二人が毛皮屋の女将に礼を言いに店を訪れると、女将はメリダの言葉を遮るように抱き抱え、身体に付いた雪を払いながら涙ぐむ。
「……若い娘がさぁ、歩いて北に行くなんて一歩間違えたら死んじまうんだから! 折角の命を無駄に散らすような真似は、もうするもんじゃないの! 判ったかい?」
「……確かに、そうですね」
赤の他人なのに、そこまで親身になって心配してくれた女将の心根に打たれ、いつもは感情の起伏を抑え気味なメリダもつい心が動いてしまう。
「……で、どうして北の村まで行ってきたんだい?」
「……や、それはその……」
だがしかし、女将の問い掛けに正直に打ち明けるべきか悩むメリダだったが、
「あ~、それはねメリダが寒いとこで飲るヴォドカは格別だって言ったからだよ!」
「……何だい、そりゃ?」
全く空気を読まないマリエッタがつらつらと言い放ち、それまでの態度を一変させた女将が感情を爆発させた。
「……こんの馬鹿共ぉ!! そんな下らない理由で雪ん中を歩いて村目指してたんかい!? 雪に頭突っ込んで中身洗ったろうか!!」
未だに鼻息荒い毛皮屋の女将だが、メリダとマリエッタが静かにしているのに気付き、
「……ま、反省してりゃいいんだよ。もう二度とあんな無茶はしないって誓ってくれりゃ、ねぇ?」
そう言いながら象牙色のパイプを取り出すと煙草を詰め、薪ストーブの窓を開けて小枝を差し込み、火種を作り煙草に火を点ける。
「……ところで、あんたら旅してんだろ? だったら一つ頼まれてくれないかい」
「頼み事……ですか」
「ああ、大した用事じゃないさ。南の町まで手形を届けて貰いたくてね」
ほわっ、と煙を吐き出しながら女将が引き出しを漁り、中から三折りに畳んだ紙を取り出す。厚手のそれは商工組合の印が捺された手形で、取り引きを行う際に代金換わりに交わされる物だった。
「南の町に腕の良いボタン職人が居て、そいつにこれを届けておくれ。ああ、それは手形だから他の誰かに渡しても金にゃならないし、勝手に譲渡しても使えない代物さ」
女将はそう告げて折り畳まれた手形を封筒に入れ、メリダの前に置く。どの町にも必ずある商工組合はこの世界の銀行として機能し、わざわざ大金を持ち歩かなくても商いが行える。それを託されたメリダは黙って受け取り、大事そうに懐へと仕舞った。
「……勿論、タダって訳じゃないから。手形で取り引きしたら余る額にしてあるからね、それがあんたらの取り分さ」
予め頼むつもりで手形の額を決めてあったのか、女将はそう言いながらパイプの吸い口で輪を描く。商売人らしい逞しさからなのか、それとも女将の性格からかは判らないが、メリダは敢えて額は聞かなかった。
「ところで二人共、食事はまだなんだろ? あのケチな宿屋じゃ、ろくなモン出しゃしないからねぇ。今夜はうちに泊まって行けば良いさ」
そんな女将の言葉にメリダとマリエッタは顔を見合うが、断るような野暮ではない。と、思ったメリダが口を開く前にマリエッタが返答する。
「そうなの? それじゃ、折角だからご好意に甘えようか!」
「あんたねぇ、そんな直ぐに言うとこっちが恥ずかしくなるよ……」
ついそう愚痴るメリダだったが、女将は笑いながら二人を手招きし、店の奥へと連れて行った。
「さぁさぁ、冷めないうちに食べとくれな! 但し、残したら承知しないよ?」
すっかり日も暮れた夕暮れ時、メリダとマリエッタは毛皮屋の女将の住居で共に料理を囲んでいた。大きな皿にほかほかと湯気の立つ白い水餃子がごろごろと盛られ、脇の小皿には付けて食べる酢が注がれている。
手短に祈りを捧げてからメリダがペリエニを取り皿に載せ、小皿の酢を回し掛けてから口に運ぶと、中の挽き肉と野菜からジュワッとスープが溢れ、あふあふと火傷しないよう息を繰り返しながら噛み締める。
「……熱いけど、良く火が通ってて美味しいですよ」
「何言ってんの! 何年料理してると思ってんだい? そこらの店より旨いに決まってるだろ!」
強めの口調ながら、女将の腕は確かに良いようでペリエニを始め、具沢山の揚げパンや蒸し鶏を散らしたサラダに掛かっているドレッシングは、どれもこれも確かに旨かった。
「ほら、さっさと食べてヴォドカを飲みな! でないとグラスが温まっちまうだろ?」
次々と出てくる料理に挑みながらマリエッタもグラスを干し、そこに間髪入れずヴォドカが注がれる。しかし、良く見ればいつものヴォドカと違い樽で寝かした代物なのか、うっすらと琥珀色で香りも味も段違いである。
「……こいつはね、私の旦那がまだ生きてた頃……大枚叩いて買った取って置きだよ? 拝めるだけでも有難いんだから、よーく味わって飲みな!」
口調とは裏腹に次から次へと注がれ、メリダは女将が余程酔ってるのかと勘繰るが、どうやら本人は気にしていないだけに見えた。いや、もしかしたら高いと言う触れ込み自体がハッタリかもしれなかったが、それでも深い味わいと香りの存在感は偽物とは思えない。
「……で、あんたらどうして旅してんのさ」
ふと会話が途切れて間が空いたその時、毛皮屋の女将が真顔のまま問い掛ける。そう尋ねられてメリダが返答に窮していると、マリエッタがことりとグラスをテーブルに置きながら、しっかりとした口調で答えた。
「女将さん、私はね……美味しい物に出会いたくて、旅を続けているんだ」
「……何だって?」