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3/5

③極寒の道



 北限の町を出た二人は橇も無いまま雪の荒野を進み、そして直ぐに後悔する。何故町の住人は、更に北にある村へ出掛けないのか。それは厳しい寒さが、人の命など容易く奪うからだ。北の町を出た二人はその事実を、身を以て知る事になった。




 「おお! この毛皮のコートすごいなぁ! 全然寒くない!!」

 「ヘラジカの毛皮だからね、その代わり()()()する時はそれなりに覚悟しとかないと辛いから」

 「覚悟?」

 「尻から凍えるぞ、冗談抜きで」



 昨夜降った雪も朝に止み、一面の銀世界に感嘆しながらマリエッタは毛皮の温かさに笑みを浮かべる。雪に閉ざされた原野に生きるヘラジカは当然だが寒さに強く、その毛皮を鞣して作られたコートとズボンは寒気を完全に遮断してくれる。同じ毛皮のブーツと手袋まで身に付ければ、冗談抜きで雪上に横たわって寝ても凍える事は無さそうだ。


 「それにしても、この()()()()ってのもなかなか良いね、雪の中に足が埋まらないから歩き易い!」


 ぼすぼすと雪を蹴散らしながらマリエッタは進み、そんな様子にメリダも気持ちが和らぐ。装備一式を揃えるのに大金を失ったが、どうせ貯めても使い途の無い金である。それに要らなくなったら売ってしまえば荷物にもならないだろう。


 しかし、毛皮屋の女将は二人が北の村を目指すつもりだと告げると、


 「……あんたら正気かい? この町から歩けば三日は掛かるし、原野を抜けるのは橇が有っても危険なんだよ?」


 と、そんなのは無謀だと何度も止めたのだが、着膨れしたマリエッタは全く聞く耳を持たなかった。



 「……さて、あと少し進めば川に出て、それを遡れば村に着くそうだが……案外大した事もなかったなぁ」

 「じゃあ、川に着いたら昼ご飯にしよう」


 メリダとマリエッタは言い交わしながら小一時間程進み、やがて目印の川へと辿り着いた。川は凍結した氷の上に雪が積り、傍目から見ればくねくねと蛇行する道のように固まっていた。


 「メリダ、温かい食事は出来るかい?」

 「うーん、木は生えてるけど湿ってるから、直ぐに火は点けられないと思うよ」


 凍り付いた川の畔に毛皮を敷き、その上に腰掛けながら持ってきた日保ちする黒パンを割り、二人で分けながらトナカイの干し肉を齧る。キンキンに冷えたそれらを飲み下すだけでも苦労するが、食わねば温かい毛皮の中といえど体温を維持出来なくなる。固いパンで喉の渇きを覚えたマリエッタが雪を口に含もうとするが、


 「それは止めた方がいい。飲むならこっちにしときなよ」


 メリダはそう言って懐からスキットルを取り出し、中身のお茶を勧める。それは彼女の体温でほのかな温もりを帯び、口に含むとマリエッタの喉を僅かな渋味と共に滑り降りていく。


 「氷や雪は身体を冷やすから、喉が渇いても食べない方がいい。迂闊にやると日が暮れてから酷い目に遭うよ」

 「メリダは食べた事があるの?」

 「……だからやらないのさ」


 しかし、そのお茶が二日分と思うと実に頼りない量である。流石にマリエッタもどうなのかと尋ねると、


 「夜になったら夜営の準備で火を焚くから、その時に鍋で湯を沸かすよ。それまではこれで我慢してくれ」


 そう答えながらスキットルに布を巻いて、懐に仕舞う。どうしてそうするのかとマリエッタが聞くと、そのまま直に入れると凍り付くからだと答えが返る。南の地方しか知らないマリエッタは、そんなに過酷な場所なのかと改めて実感した。



 再び出発した二人は凍った川を遡り、夕暮れ時になる前に雪洞を掘って夜営の準備を始めた。雪洞と聞けば随分大変そうに聞こえるが、木の根元の空洞を掘り進み横穴を開け、その内側を叩いて滑らかにすれば二人分の雪洞が出来る。後は持ってきた毛皮や木の皮を敷き詰めて、横になる空間を作れば完成である。


 「……それはヴォドカ?」

 「そう……これで火を点ければ……ほら、大丈夫だろ」


 雪洞の底に剥き出しになった土の上に薪を並べ、その上に集めてきた小枝と木の皮を敷いてヴォドカを垂らし、メリダが火口をそっと押し当てる。そして息を吹き掛けるとヴォドカを介して火が点き、薪に移った赤い炎がメラメラと雪洞の底で小さく燃えていく。


 「そのヴォドカは飲んじゃだめ?」

 「……だめだね」


 ヴォドカは酒精が強い為、極寒の世界でも凍らない。そのトロリとした透明な酒をマリエッタが欲しがるが、メリダは首を縦に振らなかった。


 「どうして?」

 「雪原で酔うと、翌朝には死ぬよ。北の町ではそうやって酔っ払いがたまに死ぬそうだ」


 突き放つように言われたマリエッタは、暫く物欲しげにメリダを見ていたが、不意にぶるりと身体を震わせる。

 

 「……寒いか?」

 「表側は火に当たってあったかいんだけど、背中側はしんしん冷えてね……おー、寒い」


 食い扶持に凍死されても困るので、メリダはマリエッタの背中に毛皮を掛けてやる。そうするとマリエッタは温かいと頬を緩ませる。そんな顔を見るとこんな道に引き摺り込んだ相手なのに、メリダはマリエッタを憎めなくなる。


 (……やれやれ、とんだ魔王様だよ全く……)


 そう思った矢先、マリエッタがにやにやしながら自分の顔を眺めたので、その口の中に干し肉を捩じ込んでやった。



 「おい、起きろマリエッタッ!!」

 「ふわあぁ……また、ご飯かい?」

 「寝惚けるなっ! 物凄い吹雪だぞ!!」


 呑気に夢の続きかと微睡むマリエッタをメリダが叩き起こすと、猛烈な風が吹き込み僅かに燃えていた薪の炎が、雪粒を浴びて身をよじる。


 「とにかく! ここから直ぐ出ないと雪で埋まっちまう!!」


 まだ朦朧としているマリエッタに叫びながら、敷いていた毛皮や散らばっていた雑多な品々を拾い集め、メリダは急いで荷造りする。どうやら天幕代わりに載せていた布が吹き飛ばされたらしく、縦穴構造の出入口も雪で塞がれかけていた。それを掻き出しながら上に出たメリダが見たものは……



 「くそっ、何もかも見えねぇ……」


 空も陸も、何もかも雪に覆われて一切の境界を失った白一色の世界だった。無論、遡る為の目印だった川も雪で消えてなくなり、北の町まで戻る道も全く判らない。たった一晩で、二人の周囲は白い地獄に変わったのだ。


 「……メリダ、これは不味くない?」

 「言われなくても判ってるよ、とにかく木立の方に……いや、それもダメだな」


 メリダは風の和らぐ森を目指そうかと思ったが、方角が判らない状態で動き回るのは却って危険が増す。況してや凍結した川が近くにある筈、もし不用意に乗って氷を割り水中に落ちれば……確実に死ぬだろう。


 「……今から町に戻るか……よし、マリエッタ! とにかく南下するしか助かる道はないぞ」

 「……えっ、何て言ったの!?」

 「……とーにーかーく! もーどーるーぞー!!」


 激しく荒ぶる吹雪の中、会話も困難になりながらメリダはマリエッタを連れて引き返そうと一歩踏み出したその時、


 「……ねえ、メリダ。何か聞こえない?」

 「……何も聞こえ……いや、まさか……!?」


 マリエッタに促されて耳を澄ませたメリダは、自分達の方に向かって来る気配を察した。複数の獣が群れるように一団となり、独特な吠え声を上げながら荒野を駆け抜け雪煙を立てて、急速に距離を詰めて来る。


 「最悪な時に……くそっ、狼か」


 メリダは身を守る武器らしい武器も無かったので、雪を掻く為に急拵えで用意した木の枝を握り締めた。




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