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【キルシェの章】第一幕
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第7話 「ずっと……逢いたかったんだよ……」

 ──視界が真っ暗になり、いくばくかの時間が経った。

 大口を開けた何かに、頭からバックリいかれたのだ。自分は死んだのか、生きてるのか。そもそもアレはなんだったのか。泉に棲むヌシとかなのか。自分あんまり肉とか食べないし、身が少なくておいしくないんじゃないだろうか。その点では、バーバラさんの方が食いでがあるんじゃなかろうか。あっ、冗談ですよ。だからバーバラさんそんな睨まないで。嘘です訂正します、ウィルの間違いでした……──

 ジンは困惑し、前後不覚な状態になる。あれこれと取り留めもないことを想像してはうなされていると、顔に生温かい感覚が走って目が覚めた。


「えっ、あっ……わ! わァ……」


 顔を大きな舌で舐めていたのは、白く巨きい狼だった。生え揃う頑強な牙に、ジンの肝が縮みあがる。されるがままに舐められ覆いかぶさられ、組みしだかれた。

 やっとの思いで狼を押しとどめて抜け出し、手近な水辺で顔を洗う。サッと水気を払い、ジンは辺りを見渡した。


「どこだ……ここ……」


 見知らぬ土地だった。座る巨狼の頭上には鮮やかな朱の鳥居が建ち、その向こうには、それらすら遥かに凌ぐ桜の大樹が(そび)えていた。御神木もかくやといったここまでの枝垂れ桜は、街中でもついぞ見たことが無いほどだった。

 周囲には水平線も望めようかという茫洋とした湖が広がり、空の彼方には太陽がさんさんと輝いている。桜の甘い香りが鼻腔をくすぐり、暖かな陽気が肌を包む。

 朗らかな空気を感じ、張り詰めた緊張がほぐれ──かけたところで、違和感を抱いた。

 昼になっている。空に地球が無い。夢天界の空なら、昼でも星々が薄っすら見えるはずだが、それも何も無い。

 夢天界ではない。かといって、現人界でもない。現人界に天人は行くことができない。空間が安定しているせいで判別しにくいが、状況証拠とジンの勘が言っている。

 ここは誰かの、〈星域〉だ。


(泉を入り口にしてたのか……でもいったい、誰がわざわざ?)

 

 監察官は扉・門・鏡などを媒体に自分の〈星域〉への道を開き、自由に出入りできる。

 これは修練を重ねて初めて会得可能な技術で、天人であれば簡単にできるというものではない。ましてや、道を開きっ放しにしておくなんてことは色々な意味で危険が過ぎる。

 性質上、〈星域〉とは極めてプライベートな空間だ。監察官同士だとしても、みだりに他者を招いてはならないとされている。そして、〈星域〉への道を開き維持するにも、本人ないし媒介物から多大な夢素を消費することになる。(ただ、〈セブンス・ヘヴン〉の〈儚遠鏡(ぼうえんきょう)〉からバックアップを受けられれば、その限りではないが)

 要するに、体への負担は凄まじいし、勝手に〈星域〉に不法侵入されかねない。並み大抵の人間にはできないし、やる意味もないのだ。


「あおんっ!」


 ジンを律儀に待っている巨狼が、こちらにグイッと体を伸ばして尻尾を振った。

 なんのつもりかと思ってみると、その左の前脚には腫れがあった。鈴付きの首輪もしていた。


「ん?……んん?」


 ある疑念が浮かび、ジンは試しに治療薬を患部にかけて、ケガを治してみた。

 巨狼が嬉しそうに、お腹を見せて寝転がりだした。


「キミ……わたあめかい!?」


 振っていた尻尾が止まり、無表情でそっぽを向いた。

 わたあめだ。


 夢天界に生息する一部の獣は、大きさを自由に変化させられると聞いたことがある。わたあめもそうだったのだろうと納得し、ジンはぎこちなさの残る手つきで巨狼のお腹をもふもふと撫でまわした。まるで焼きたてのパンのような、もちもちとした触り心地と香ばしさがあった。表情を失っていた巨狼の顔に、明るさが戻る。

 初めこそお互い探り探りにじゃれあっていたが、ジンも巨狼も徐々に盛り上がり過ぎてしまった。

 巨狼にしがみついて転がり回って死にかけたり、頬ずりをしているうちに、我に返る。


「……そういえば、どうしてボクをここに? ここはキミの〈星域〉なのかい?」


 ある程度の知性を持った獣も、〈星域〉を持つことがある。この場所もそうなのかと考えたのだが、ジンの質問に巨狼は首を横に振った。

 すっくと巨狼が起き上がり、歩き出す。ジンがついていくと、ある程度歩いたところで立ち止まり、桜の大樹を仰ぎ見た。釣られて、ジンも同じ方向に目を向ける。

 ──桜の木の上で、一人の少女が眠っていた。

 

 降りしきる桜の雨の中で、少女は穏やかな顔つきで幹に身体を預けていた。

 うららかな陽の光にまどろみ、風にそよぐ艶髪は桜花の色に溶け込んでいる。

 少女の黒い巫女装束のような装いは一見して独特ではあったが、咲き誇る桜と可憐に調和し、渾然一体となっていた。

 

「きれいだ……」


 ジンは少女の儚げで清らかな寝姿に、いつしか夢中で見入っていた。


「わんっ!」


 隣にいた巨狼が桜に向かって軽く吠え、木の幹を登っていく。

 巨狼は少女に近付くと顔を舐め、優しく何度か鳴き声を上げた。

 起きる気配はない。

 再度トライしてみるが、変わらず少女が起きる気配はない。

 思いのほか、少女は熟睡だった。

 巨狼が痺れを切らし、少女の頭にいきなり噛みついた。


「痛っでええええええええええええええええ!!!」


 起きた。ついでに木から落ちた。


「いつつ…っ……てめっ、この……ベルムート! 何してんだてめぇコラァ!!」


 噛みつかれた頭を抱え涙目になり、物凄い剣幕で巨狼にキレている。

 というか、わたあめじゃなかった。ベルムートだった。知らんぷりされていた理由にジンは合点がいった。

 怒られたベルムートが縮こまり哀しそうに鳴き、小さくなった。物理的に。

 子犬サイズに変わったベルムートが少女の前に降り立ち、しゅんとする。

 反省した様子と、その汚れ具合を見て、少女の怒りが鳴りを潜める。


「あー……まあ、その、なんだ。おまえが無事に帰って来てよかったよ。うん」

 

 少女が指で頬をポリポリと掻いて、ベルムートの頭を撫でる。

 ベルムートはパアッと笑顔になり、尻尾を激しく振って少女に擦り寄り、顔を舐めて甘えだした。ちゃっかりしたやつである。


「アハハ、やめやめろ、くすぐったいって……! ベルムートおまえ、今までいったいどこに……──」


 飼い主が居たことにジンが安堵していると、少女がベルムートを撫でる手を止め、ジンの顔を見て固まった。

 ジンが首を傾げると、少女はふらりと立ち上がり、よたよたとジンの胸先まで歩み寄った。

 逆光で少女の顔は黒く陰になり、ジンは戸惑って半歩後ずさる。

 胸ぐらでも掴まれるんじゃないか、と少しばかり怖気づく。


「……ずっと……ずっと待ってた…………」

「え?」


 少女が、ジンを抱きしめた。

 手離さないように強く、しっかりと。


「あたし、ずっと……逢いたかったんだよ……」

 

 少女が嗚咽を漏らし、ジンをより強く抱きしめる。

 当のジンはというと、柔らかで豊かな胸にうずもれて顔を真っ赤にしていた。

 全く少女の話は入ってきていなかった。 

 

「けほっ、あの、えと、その……! あああ、あな、あ、あなたは……!?」


 頭の中が真っ白になり、残る理性と力を振り絞って少女を引き剝がした。

 色々と理由はあったが、一番には少女のホールド力がパワフル過ぎ、雑念と煩悩が脳を駆け巡る前に本気で窒息しそうだったからだ。咳き込み、息を切らす。

 剝がされた少女が指で目の縁を拭い、笑った。


「あはは……そうか…………ごめんね。あたしはキルシェ、キルシェ・ヒリングっての。……よろしくね」

「は、はい。初めまして。ボクはジンです。あ、えーっと、アカリ……アカリ・ジンです」


 ジンは彼女の柔和な口調と態度にホッとした。敵意がある訳ではなさそうだった。


「……うん。知ってるよ」

「わうんっ!」


 ベルムートが大きな黒い空き箱を一つ咥えて、キルシェに突っかかってきた。

 後ろを覗くと、桜の根元に何段もの空の重箱が置いてあった。


「あっ、もうバカ! 悪かったって……おまえにも後でやるから! 分かった、ちょっ、今は待てって! コラ!」

「ぐるる……」


 不服そうなベルムートが小さく唸りを上げて、弁当箱を戻しに行く。


「た、たはは……とにかく、ありがとね。ベルムートを助けてくれて。それに……ここまで来てくれて。安心したよ、あたし」


 ジンが彼女の一連の発言にピクッと反応する。

 今、ジンは金色の左眼を晒している。英雄ネフェルの息子として、アカリ・ジンの名をどこかで知っていたとしても何もおかしくはない。

 それよりも、違う点に疑問を持った。安心した、とはなんだろうか。ベルムートと再会できたことだろうか。まあ、きっとそのことだろう。そう考え、ジンは愛想笑いをした。


「いやぁ、ハハ。なし崩し的にここまで来ちゃっただけですから……でも、わたあめ……ベルムートがヒリングさんと会えて、ボクも安心しました」

「ん?」

「え?」


 ジンとキルシェが二人とも、目を丸くする。


「いや、読んだんだよね? ……読んで、決心したから、来てくれたんだよね?」


 話の雲行きが怪しい。会話がうまくかみ合ってない。


「あの……なんの……話でしょうか?」

「あたしの手紙。読んで……ないの?」


 手紙。最近届いた手紙といえば、ジンの心当たりは一つだけだ。

 読んでない。というよりも、読めなかった。不可抗力だ。


(……こ、これか? これの話なのか!?)


 ポケットのヨレ手紙を触る手のひらに汗が滲み、手紙が一層ヨレる。

 キルシェの雰囲気が変わり、ただならぬ怒気が彼女から立ち昇った。


「ど、どれだけ……どれだけあたしが……頑張って書いたと……」


 うなだれたキルシェがプルプルと震えた両手を挙げ、両の手首に腕輪が浮かぶ。

 ジンのよく知る右の腕輪と、そうでない赤い左の腕輪が一本ずつ。

 監察官としてのジンの危機察知能力と、生存本能が一気に全開になる。

 キルシェが振りかぶって、かざした左の手のひらがほんの一瞬、煌めいた。


「思ってんだよぉおおぉおおおぉおぉぉーっ!!!」

「わああああっ!!?」


 渦巻く火炎が放たれ、ジンの薄皮一枚を隔ててほとばしる。

 しゃがんで回避はできたが、炎が着弾した後方で、無残に吹き飛び焼け焦げている鳥居にゾッとする。

 火の粉が舞い散り、キルシェの左手に炎の塊が新しく準備される。まだ撃つ気だ。

 キルシェは顔を紅潮させ、右手をギュッと握り、わなわなと涙声混じりに叫ぶ。


「てめぇ……こんんの……やろぉーっ! 許さねえからなぁあぁーっ!!」

「ちょっ、あの、タイム! たっ、たたた、ターイム!!」

「これ以上、誰が待つかぁあぁぁーっ!」


 今度は小刻みに火の玉が一発、二発、三発とジン目掛けて手当たり次第に乱射される。

 闇雲に撃たれた火炎弾を、まさに火事場の馬鹿力でゾーンに入ったジンが飛んで跳ねて身をよじって避けまくる。来たときは緑豊かだった大地のあちこちで火柱が上がり、焼け野原になっていく。

 ──この火炎弾に当たったらヤバイ。それは火を見るより明らかな事実だ。いや、現在進行形で火は見てるんだけども……──

 頭がパニックになりつつ、逃げ場を求めてジグザグに火の玉を避けてはひた走る。


「人の気も……知らないでぇぇえぇーっ!!」


 キルシェも走る。炎の塊を創り出しながら追いかけてくる。

 ちょくちょく外れた火炎弾が湖の水面に直撃して、派手に水しぶきが巻き起こる。

 魚も棲んでいたらしく、プカプカと焼き魚が水上に浮かんで来た。

 

(なんとかなれーッ!)


 半壊した鳥居をくぐり抜け、水面に向かってしゃにむに飛び込む。

 当たり損ねた火炎弾が、鳥居の支柱を打ち砕いて崩壊させた。

 指先が触れた途端、光り輝く水面がジンの身体を呑み込んでいった。


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