第16話 「お茶でも一杯しばきませんか?」
ジンが路地から抜け出て、ぬるりと大通りにその姿を現す。そして、何かを喚きながら彼の腕に追いすがるようにして、少女と子犬が後に続く。
怒りと照れ混じりの赤ら顔をしたジンは、やや息を荒げた様子で襟を正していた。
道行く喧騒に紛れ会話は聞こえないが、その表情や所作はハッキリと見えている。
「むぐッ、や~っと出てきやがったか……!」
ある男がキュウリのサンドウィッチを片手間につまみつつ、双眼鏡を覗き込む。
そう、男は見ていた。遠く離れた真向いのカフェテラスから、身を屈めて息を潜めて、こっそりとジンたちのことを覗き見ていた。
「はぐッ、な~ンかおかしいと思って尾けてみれば……! あいつどうして……」
振り向いたジンが少女に何か文句をつけ、頬の口紅をハンカチで拭く。
男はレンズ越しにそれを見て、ゴクッと生唾とサンドウィッチを呑み込んだ。双眼鏡を握る男の両手に力が入り、ふるふると震える。
「……どォ~してあいつ、あんな美少女と乳繰りあってンだァァ~ッ!?」
「やかましいわーッ!!」
カミンの振るうハリセンが、男の後頭部でスパーンと快音を鳴らした。
「カッ、カミン!? おまえまでどうしてここに……?」
覗き魔の男、もといウィルが双眼鏡から目を離し、頭をさすって振り返る。彼の目の周囲には、クッキリと丸い跡が残っていた。
「アホ、ウチかて昼メシや。ったく、人がのどかに茶ぁしばいとんのに、なーにをギャースカ独りで騒いどんねんオノレは……周りのメイワク考えんかい!!」
腕を組んだカミンは顎をしゃくり、右手に持った謎ハリセンを上下に揺らす。
確かにウィルも周りの客やら店員から「うるせぇ……」とか「一番やっすいサンドウィッチ一個でどんだけ粘んだよこいつ」みたいな視線は感じていたが、うるささで言えば今はカミンも同じ穴の狢である。本人は気付いていないが。
釈然としないものを感じ、ウィルは心の中でふて腐れる。
(てか、しばかれてんのはオレのほ……)
「あ゛あ゛!?」
「おわぁっ!? 待て待て、今それどころじゃねぇンだって! 見ろ、アレを!」
席から転げ落ちそうになったのを堪え、ウィルがテラスの植え込みの更にその先、道路の向こう側で佇んでいるジン一行を指さした。
ジンは雑貨店の店先で、何か少女へと言い含めている。少女は時折チラチラと背後のワゴンに気を取られながらも、ジンの話にウンウンと頷いていた。
「なんや、ありゃジンと……誰やあれ?」
カミンが望遠モードのゴーグルを着け、双眼鏡を持ったウィルと肩を並べて食い入るように覗き込む。
店内にジンが消え、道ばたには両手に紙袋を提げた見慣れぬ少女と、子犬が残された。
「わかんねぇンだよ、それが……神学校のコで、あんな黒髪サラサラロングのカワイコちゃんは見たことねえ。あのレベルの美少女をオレがノーチェックのハズないンだが……くっそ、ジンのヤツぅぅぅ~ッ!」
今日のジンは、やはりおかしかった。任務中は気もそぞろで、報告の後はシャワーも浴びずに隊服のまま帰り、仕事道具のバックパックすら床に置き忘れていた。
その言動と連れ合いの少女を不審に思ったウィルは、退勤後にそれとなく後を尾け、時には先回りして彼らの内情を探っていた。
ジンには昔から、苦悩を内々に押し隠そうとする癖がある。その苦しみの大半は、ウィル一人には解決の難しい歯がゆいものだった。
しかしそうではないというのなら、彼の一の親友だと自負しているウィルには、それを背負うだけの覚悟と決意があった。
……あったのだが、路地裏からジンが女の子とイチャついて出てきたのを目にし、ウィルは当初の目的が頭から抜け落ちていた。
「アホか、どー見てもアレは茶髪…………神学校やと?」
すると、少女は店先に並ぶワゴンの手前側にソワソワと回り込み、周囲を入念に警戒し始めた。こちら側にも一瞬、その鋭い視線が向けられる。
「やべッ、気付かれたか!?」
「……いや、大丈夫みたいやぞ?」
二人が植え込みの陰に隠れて様子見していると、少女は周りを気にしつつ、ワゴンに積まれた雑貨の山からそっとぬいぐるみ──大きなリボンの付いたテディベアを手に取り、抱きしめた。
テディベアに顔を埋めた少女の横顔はとても幸せそうで、可愛らしかった。
「はうあっ!!」
そのあどけない笑顔にハートを射抜かれたウィルが、胸を押さえてうずくまる。
まさに純真、天衣無縫。女性の黒い部分をさんざん目にしてきた経験のあるウィルには、彼女の姿はあまりにも理想的で、眩し過ぎた。有り体に言うと、チョロかった。
身悶えするウィルに舌打ちをして、カミンは構わずある疑問を投げかける。
「……なぁ、もっかい聞くけど、なんで神学校の生徒やと思ったんや?」
「そ……そりゃおまえ、あの白いケープは神学校のヤツだからだろ……」
ウィルの答えを聞き、カミンは素早くゴーグルのモードを切り替えた。画面が移り変わり、そこに映っていた“黒いケープを羽織った茶髪の少女”の姿形も変化していく。
獅子のたてがみのごとき独特なチェリーピンク・ヘアと、黒い巫女服。
仕事柄情報通であるカミンには、その容貌と変貌が示す人物に思い当たる節があった。カミンは総毛立ち、警戒心を一気に膨れ上がらせる。
「……!! ウィル、ありゃおまえの思っとるような女とは──あれ?」
カミンが忠告しようとした時には、ウィルはもうその場にいなかった。
「──ああ、麗しきお嬢さん、これからこのオレとお茶でも一杯しばきませんか?」
「しばっ……? ……なんだテメェ、あたしにケンカ売ってんのかコラァ!」
ウィルは少女をナンパしていた。
(あ、あんのドアホ、いつのまに!?)
カミンが目を離した隙に、ウィルのアホは思い立ったら吉日とばかりに少女へ速攻で突撃していた。
いきなり声をかけられた少女は、抱いていたテディベアをサッと引いて、不信感と不快感を露わにする。ウィルの背後では、子犬が「ぐるるる……」と唸りを立てていた。
「その罪深き美貌、貴女はまさしく、この世に舞い降りた女神か天使か! オレの心は、既に貴女の虜囚……よろしければ、そのいと尊き御名前だけでも!」
人の話を聞いていないウィルが、歯の浮くような台詞をスラスラと並べ立てる。
カミンが先ほどとは違う意味で総毛立っていると、少女の纏う殺気が急激に増した。
「……テメェ、どこまで知っていやがる……いったい誰の差し金だァッ!!」
少女が指の骨をゴキリと鳴らし、左手首に赤い腕輪が浮かび上がる。右の手はテディベアを胸に抱きとめ、左の手のひらには火花が散る。ウィルに対して半身に構え、創り出した火の玉を覆い隠すように、左手の甲を前方に突き出す。
「あたしはキルシェ、キルシェ・ヒリング……それ以上を望むなら、分かってんだろうな?」
キルシェの手中で炎がうねり、過熱していく。これは、警告だ。妙な真似をするようなら、燃え盛る炎でその身を焼き尽くすのも厭わない、という彼女の最終警告なのだ。
それを見て取ったカミンは血の気が引き、ウィルの元へと死力を尽くして走った。
「おお……! キルシェさん! ええ、もちろん……もちろんですとも!!」
愚かしくもウィルが一歩踏み出そうとしたのを見て、キルシェの左手も動く。
カミンは目に涙を浮かべ、二人の間に割って入ろうと手を伸ばした。
「あかんッ!! ウィル、嫌や、死んでまう!! ホンマに、ホンマに死──!!」
必死にカミンが叫び、走り、そして──




