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目が覚めたら、昨日濡れたまま脱いで置いておいたドレスが乾かされ、
綺麗な状態でクローゼットに戻されていた。
どうやらお祖父様が付けてくれた監視か護衛の誰かが魔術を使えるようだ。
考えてみたら人に見られないで監視して護衛するって、魔術以外はありえなかった。
このひと月は私自身が魔術を使う気はなかったけれど、
うっかり使うことが無くて良かった。
いくらなんでも私が急に魔術を使えるようになっているのは怪しすぎる。
いつものように昼近くになって使用人が部屋のドアを蹴とばしながら入ってくる。
何も言わず、スープとパンがのったトレイを荒々しく寝台の上に置いて、
そのまま礼もせずに出て行く。
食べようと思ったが、どうやら今日の食事は腐っている。
昨日の食事会でやり込めた仕返しだろうか。
スープはおかしな臭いがするし、パンはカビて緑色に変色していた。
さすがにこれは食べられない。
だけど、このまま置いていたら食事を残したと責められてしまう。
仕方なく窓を開けて外に捨てた。
西宮の外側は荒れ放題の草むらで人が通ることは無い。
二階の窓からスープを流し、パンは遠くに放り投げた。
窓を閉めて戻ったら、部屋の中にテーブルとイスが置かれていた。
テーブルには小さな籠がのっている。
籠の中を見ると焼き菓子とミルクの瓶が入っていた。
一緒に小さな木のコップも入れてある。
食べていいということなんだろうけど、これもお祖父様の指示なのだろうか。
魔力の動きでどこに人がいるのかはわかるけれど、今は何もできない七歳の王女だ。
天井のあたりをきょろきょろと探すように見て、小さな声でお礼を言った。
「誰かわからないけど、ありがとう。おいしそうだわ。」
その声に一度だけコツンと音が返ってきた。
それがなんだかうれしくて笑ってしまう。
こんな些細なことがうれしいほど、人と接していなかったのだから。
焼き菓子はサクサクして、いくらでも食べられそうだった。
それでも普段食事をしていないこの身体では、
三枚食べてミルクをコップ一杯飲んだらお腹がいっぱいになった。
この籠を誰かに見つかったらまずいと思い、寝台の後ろに隠す。
残りはお腹が空いた時にまた食べよう。
そろそろ掃除をして、洗濯に行く時間だ。
寝台のシーツをはがして洗濯場に行こうと廊下を歩いていると、
急に後ろから突き飛ばされた。
あまりの勢いにころころと転がってしまう。
私を突き飛ばしたのは見たことのない男の使用人だった。
「汚い子供だな。なんでこんなところにいるんだ。」
「洗濯をしに行くのだけど、どうして突き飛ばしたの?」
「お前のような子供を見たら突き飛ばすようにと言われているんだ。」
「誰から?」
「知らないな。ずっと上の人なのはわかるが。
どうせ盗みかなんかやったんだろう。さっさと仕事に行けよ。」
これ以上私に何かする気はないらしく、言うだけ言うとどこかに行ってしまう。
踏まれなかっただけマシかと思い、洗濯場へと向かう。
そこはいつものように下級使用人たちが洗濯物を広げていた。
近くに行くと水をかけられるのをわかっていて、あえて近づいてみる。
邪魔にならないけれど、そこにいると目に入るくらいの近さ。
大きなシーツを広げて洗うと怒られるから、小さくたたんで足で踏むようにして洗う。
あかぎれが手だけじゃなく足にもあったのはこのせいかと思う。
王族用の高級な洗剤は使えない。
他の洗濯に使った残りの洗剤を使って、何度も足で踏む。
水が冷たいし、肌荒れするような洗剤が足に染みてくる。
痛みをこらえ何度も踏んでいると、後ろからバシャーンと水をかけられた。
「いつまで洗ってんだい!邪魔だからさっさとどきな!」
他の洗い場もあるし、私がいなくなってもたいして変わりはしない。
それでも私がシーツだけ洗っているのが目障りなんだろう。
下級使用人たちはたくさんの洗濯物を抱えているから。
まだ洗剤がついているシーツを拾って、水で流しに行く。
何度も重い水を運び、泡を流していく。
その間も濡れた服は冷えて、身体の熱を奪っていく。
今日はこのままシーツを干すのは無理なようだ。
仕方なく濡れたシーツを絞って、そのまま部屋に戻る。
部屋に戻る時にも廊下で一度後ろから突き飛ばされる。
こんどは足を踏まれ、痛みから悲鳴をあげてしまう。
私が悲鳴を上げたことに驚いたのか、突き飛ばした者たちは慌てて逃げていった。
…そういえば今までは何をされても声を上げなかった。
さすがに私に何かしたとわかったらまずいと思っているのかもしれない。
部屋に入ると濡れた服を脱いで、服を着替える。
使用人の残した服は子ども用ではなく、長い部分ははさみで切っているだけだ。
さすがにこの服では廊下も歩けないなと思いながら、
シーツと濡れた服をテーブルに置いた。
ふわっとした魔力に気が付いた時にはシーツと服は乾いてたたまれてあった。
「あ、ありがとう。」
お礼を言ったら、また天井でコツンと音がした。
…どうやらお祖父様はかなり過保護な人をつけてくれたらしい。
ひと月の間、この調子で監視する人が耐えられるのか心配になる。
子どもの虐待は見ている側にも相当つらいものがあるだろうなと思いながら、
残しておいた焼き菓子をかじった。
一日に二度も食事をするのは初めてかもしれない。
思わずそう呟いてしまったら、どこかでカタンと音がした。