第11話 Witness
「よう!アレク!久しぶりだな!」
軽快に声をかけてくる男性に、アレク様は嫌そうな顔を向けた。
私たちは、アルメリア公爵主催のパーティーに招かれた。
そして、公爵家に足を踏み入れてすぐに声をかけられたのだ。
声の主は、パーティーを主催しているアルメリア公爵家の長男であるロビンズ・アルメリアだ。
「へぇ、君がアレクと結婚したティミリアさんだね! よろしく!」
ロビンズさんはこちらを見て、何だか嬉々とした様子で私に声をかけた。
「ティミリア、こいつはロビンズ・アルメリア。一応、俺の友人だ。」
アレク様が友人だと紹介したことが何だか意外で、少し驚きながらも私はロビンズさんに会釈をした。
「一応って何だよ、片手で数える程しかいないくらい数少ないお前の友人の1人だぞ?」
かなり失礼なことを言っているような気がするし、アレク様の顔が険しいけれど的を射ているような気はする。
結婚してから、彼に友人だと紹介された人はロビンズさんが初めてなのだから。
「ロビン、俺は別に友達がたくさん欲しいとは思っていない。」
「はいはい。」
ロビンズさんは、やれやれというように相槌を打った。
「他には誰が来ているんだ?」
「あー、それが招待状は出したんだけどラン以外は来れないらしいんだ。」
アレク様の問いかけに、ロビンズさんは頭をかきながら答える。アレク様は少し眉を下げ、残念そうにしていた。
アレク様が友人と会えないことを悲しむのが何だか意外だった。
いつもの様子からすると、真顔で「そうか。」と答えるように思えたからだ。
「まぁ、楽しんでいけよ。どうせ、大して外に出てないんだろ?」
ロビンズさんは、じゃあ! と片手を上げて別の招待客に挨拶をしにいった。
ロビンズさんとアレク様が親しいという事実は中々に不思議だ。
どう考えても性格的に合いそうな2人ではない。
アレク様は口数が少なくて気難しい感じだというのに、ロビンズさんはそれと正反対だ。
いや、性格が異なる方が付き合いが上手くいくということもあるし。
会話の中で出ていたランさんは、どういった人なのだろう。名前だけではどこの家の人なのかわからないけれど、きっと家柄の良い令息であるはずだ。
なにせ、アレク様とロビンズさんの友人なのだから。
「今日は、体調は悪くないか?」
「はい、むしろ元気です。」
私が笑ってみせると、アレク様も笑みを浮かべた。元気と言ってしまった手前、今日はすぐには帰れない。
以前のときよりも、下を向かなくなってきた。だから、きっと今日は、息苦しさを感じないで済むと意思を強く持とう。
何よりも、アレク様のご友人がいるのだから、私の都合で早く帰らなくてはならないなんて状況は作りたくない。
「君をランに紹介したいのだが……中々見当たらないな。」
アレク様は周囲を見渡してみるが、ランさんは見つからないようだった。
「まだ来たばかりですもの、時間はありますから。」
「ふむ、そうだな。」
アレク様はランさんを探すのをやめ、私たちは挨拶まわりを始めるのだった。
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「疲れてはいないか?」
「いえ、大丈夫です。」
アレク様の問いかけに、私は余裕のある顔を取り繕うが実のところ、とても疲労を感じていた。
挨拶まわりを始めると、すぐに人に囲まれた。以前のパーティーの時とは違い、アレク様は私を側に置いて周りに紹介してくれていたお陰で、話にも入れていたし息苦しさも前のような視線も感じなかった。
ただ、こんなにも一気にたくさんの人と話すことがあまりないため、初めの方から疲労感を感じていた。
だけれど、ここで疲れたと言ってしまったら、アレク様は私を変に気遣ってしまうだろう。
お荷物にはなりたくない。
「そうは言っても少し休んだ方が良い。」
アレク様は私を椅子に座らせ、飲み物を渡してくれた。
「俺は少しランを探してくる。以前から君に会わせろと手紙を寄越してくるんだ、しつこいやつだ。見つけたらすぐに連れてきて君に紹介しよう。少し待っていてくれ。」
私はコクリと頷いて、アレク様の背を見送った。
ランさんもロビンズさんのように明るい感じの人なのだろうか。きっと、アレク様と結婚した女性はどんな人なのかと気になっているんだわ。
それから、ジッと座ってパーティーの様子を眺めていた。
いつもとは違い、顔を上げていると特に誰も私を見ている人はいないということに気がついた。
不安に感じすぎていたのだ。
自意識過剰だった、と少しだけ恥ずかしく思う。
「楽しんでますか?」
私の隣にドカリと座ったのは、ロビンズさんだった。ニコリと笑みを浮かべてこちらを見ている。
私は笑みを返して「えぇ。」と相槌を打った。
「アレクはどこに?」
「ランさんが見当たらないので、探しに行くと言ってどこかへ行きました。」
「なんだ、まだ会ってなかったのか。」
ロビンズさんは、手に持つグラスに口をつけ、中の飲み物を飲み干した。
それからまた私に笑みを向ける。
「アレクは気難しいやつだ、結婚したと聞いたときは心底驚いたよ。だけど、優しいし頼りがいもある。あいつを理解するのには時間がかかるし根気もいるだろうけど……妻としてどうかあいつを信じてやってくれ。」
私は、少し戸惑いながらもコクリと頷いた。
何となく、彼の言いたいことが伝わっていた。私は、アレク様の言葉を何度も疑っていた。きっとロビンズさんは私が信じ切れていないことを何となく見越しているのだろう。
「ランさんは、どういった人なのですか?」
私は、先ほど考えていたことをロビンズさんに問いかけてみる。
「どんな……? そうだなぁ、端的にいえば……性格が悪い。」
「えぇ?」
私は思っていたものとは違う回答に驚きの声を上げた。
ロビンズさんは私の反応を見て、ハハハッと笑い声を上げた。
「まぁでも、ティミリアさんは上手くやっていけると思うよ。」
私が、なぜと問いかける前にロビンズさんは他の人に呼ばれて「じゃあ。」と片腕を上げて挨拶をし、行ってしまった。
再び1人になる。
またジッと座ってアレク様を待つが中々戻ってこなかった。
探しに行こう。
そう思い立って椅子から立ちあがり、飲み物を使用人に渡して会場を見て回る。
多くの人は踊り、食事をし、会話をしてこの場を楽しんでいる。
たまに以前の私のように下を向きながら居心地が悪そうにしている人も見受けられる。
いや、今も私は大して変わってはいないのだろうけれど。
会場の中にアレク様の姿はない。
外にまで探しに行ったのだろうか?
そう思いながらバルコニーに出ると、アレク様が目に入った。
声をかけようか、と思ったときに話をしている相手が女性であることに気がついた。
楽しそうに笑ってる。
あんな風に女性に笑いかけるんだ、と何だか打ちのめされた気分になった。
何を話しているのかは離れていてわからない。ただ、アレク様の表情だけが見えていた。
女性の顔はわからない。
だから、それが誰なのかもわからない。
ずっと考えていた。
彼には心に決めた人がいるのかもしれない、と。
そうではない、と頭からその考えを振り払って否定してみても、結局は頭から離れずにいる。
もしかしたら、彼女がそうなのかもしれない。
彼の様子を見て、私の頭にそんな考えが過ぎった。
考えていると見たくもない光景が目に飛んできた。
「あ」とふいに声を出してしまう。
アレク様の顔がゆっくりと彼女に近づいて、重なった。
頭が真っ白になった、グッと何かに心臓を掴まれて苦しくなる感覚だけがある。
気付いたら私は早足でその場を去っていた。会場も抜けて、人気のなさそうなところまで来た時、足の力が抜けて側の階段にぺたりと座り込んだ。
じわり、と目に熱いものが溜まる。
それが涙だと理解したのは、涙が頬を伝ってからだった。
実際目の当たりにすると、思っていた以上に苦しくて、悲しくて、そして傷ついていた。
初めは夫婦になるならいい関係を作りたいと、そう思っていたのに、今は正直それ以上のものを求めている自分がいる。
傲慢だった。
最初から彼は私を愛することはないと言っていたのに。
私に寄り添うと言ってくれたあの日から、それだけでも十分だったはずなのに、欲が出てきたのだ。
自分のことが嫌になる。
だけど、私は彼に愛人を作って欲しくないのだ。それを告げてしまったら、きっと関係は崩れ去ることだろう。
「こんなところでお一人でどうされましたか、公爵夫人。」
聞き覚えのある声が背後から聞こえた。
私は振り返らずにいたが、それが誰なのかはすぐにわかった。
ネイト侯爵だ。
私が何も言わずにいるからか、ネイト侯爵は私の前まで来て顔を覗き込んだ。
「泣いているのかい?」
侯爵の問いかけに、私はぷいと顔を背けて「泣いていません。」と答えた。
「君は嘘が下手だね。」
ネイト侯爵は小さく笑って私の頬の涙を拭った。
少しドキリとしたが、何でもないように仏頂面をする。その装いも彼には通用しないのかもしれないけれど。
「何か御用でも?」
「用がないと、君の側にいちゃいけない?」
質問に質問で返される。
「当たり前です。」
私も彼も伴侶がいる。
特に用事もなく親しくする訳にはいかない、友達でも何でもないのだから。
「偶然通りかかっただけさ。泣いている女性を放っておけないだろう?」
「だから、泣いていません。」
私の強気な発言に、ネイト侯爵は面白そうにふふっと笑った。
「随分と強がりだなぁ。何かを吐き出したくなったら僕を頼って欲しいと言ったこと、覚えているかい?」
私は、ネイト侯爵の言葉にコクリと頷く。以前のパーティーで、侯爵が別れ際にかけてくれた言葉だ。
ネイト侯爵は私の隣に腰を下ろす。
「何か、あったんだろう?」
この人に話すべきか。
そもそも話したからと言って何だというのだ。話した結果何かが変わるわけではない。
だけど、先ほどの光景を思い出すと苦しくなって、誰かに聞いて欲しいような気にもなる。
でも、夫の不貞を人に話すことは同時に自分の首を絞めているのと同じだ。
私は夫に浮気されています、と公言するのだから、そんなバカらしいことはしたくない。
「わかった、無理に聞きたいわけじゃない。」
ネイト侯爵は私から聞き出すことを諦めてくれた。それから少しの沈黙が流れる。
「これは、あくまでも僕の話なんだけど。」
沈黙を破ったのは侯爵だった。
「僕は妻のロレッタと良い関係を築きたくて、たくさん贈り物をしたり出掛けたりした。だけど、彼女の気持ちはぼくには向かなかった。彼女には以前から思い人が居たんだ。既に誰かに向いている気持ちを自身に向かせることは凄く難しいことなんだよ。」
アレク様が他所に向けている気持ちを振り向かせることは出来ない。
ネイト侯爵の経験談が私にそう告げていた。
「恋愛結婚じゃなかったから、最初に彼女に提案されたように愛人を持っても良いと約束したけれど、実際にその様子を目の当たりにした時はとても辛かったな。その時に、あの提案の意味を理解したよ。」
最初から自分が愛人を作るための提案。
アレク様に言われた言葉が現実味を帯びてくる。
「ネイト侯爵は、なぜ愛人を持たないのですか? 侯爵夫人のことを愛しているのですか?」
ネイト侯爵は私の言葉にキョトンとしてから、ハハハ! と笑った。
「最初に言っただろ、僕と妻の間には愛情はないって。それに、単純に僕が愛したいと思える女性が居なかっただけさ。だけど……。」
ネイト侯爵は急に真面目な顔になって、私の手に彼の手を重ねる。
そして、指を絡めた。
私は驚いて彼の顔を見ると、ジッと私の瞳を見つめていた。
「君は、少し違うみたいだ。」
薄らと笑みを浮かべる。
何だ、この雰囲気は。
どう考えても既婚者同士が作り出していい雰囲気ではない。
「ティミリアと呼んでもいいかな?」
ネイト侯爵は変わらず私を見つめながら言う。私は目を泳がせながら肯定も否定も出来ずにいた。
「無言は肯定と受け取るよ。」
私は何も言えずに下を向いた。
拒否すべきなのだろうけれど、今まで一度も遭遇したことのない状況にどうしていいのかわからなかった。
男性経験の無さに心から後悔の念を抱く。
「ティミリア、また僕と会ってくれるかな?」
ネイト侯爵は下から私を覗き込みながらニコリと笑いかけてくる。
私は気恥ずかしくて顔が赤くなるのを感じた。
「し、失礼します!」
私は手を振り解いて立ち上がり、侯爵に背を向けて会場の方へ歩き出した。
一体どんな意図があってあんなことをしているのだろうか。
私を気に入ったなんて、そんなことが……。
今まで誰にも求められては来なかった。それなのに、彼は私を求めているの?
信じられないことだ。
そして私は彼の言葉に戸惑っている。
初めてのことで、どう反応すべきなのかわからない。
私は、アレク様に待っていてと言われた場所まで戻ってきた。
アレク様はまだ戻ってきてはいなかった。
まだ、女性と2人で楽しく過ごしているのだろうか。
椅子に座ろうとしたところで、誰かが私の腕を取った。
アレク様だった。
「すまない、遅くなってしまった。」
「あ、いえ……。」
顔を見たくなくて目を逸らした。
今はまともに彼の顔を見れる気がしなかったからだ。きっと、思い出して泣いてしまう。
「ランと会えたのだが、もう帰らなければならないらしく連れて来られなかった。」
本当にランさんと会ったの? 探したの? 彼女と時間を過ごしたくて適当なことを言っているのでしょう?
彼を疑う気持ちが止めどなく溢れる。
どうにかそれを口にしないようにするのがやっとだった。
その後のパーティーは全く楽しめなくて、アレク様のこととネイト侯爵のことが頭の中でぐるぐると回っていた。




