第10話 Walk Again
自室で紅茶を飲みながら、中庭を見つめる。私の手塩にかけた植物たちが少しずつ花を開き始めた。
満開なるまでもう少しか。
そうやって別のことに気を向かせているが、ずっと心の奥底ではモヤモヤしていた。
出かけた日、ネイト侯爵に言われたことが引っかかっている。
"アレクセン・ロベルタにはどうやら想い人がいるらしい"
もしも、本当にそうだとして、私はどうしたいというのだろう。
別れさせる? そんな資格が、私にある? 潔く私も彼に愛人を作ることを許可すべきか。ネイト侯爵のように。
コンコン、と扉が叩かれた。
一体誰だろう、レミーエか。
どうぞ、と一言声を発した。
「失礼する。」
入ってきたのはアレク様だった。
私は驚いて、紅茶を慌てて机に置き立ち上がる。
「ア、アレク様、急にどうしたのでしょうか?」
「執務室の窓から中庭を見た時に、君の育てた植物がかなり花を咲かせていることに気付いてな。君と中庭で散歩でもどうかと。」
私をわざわざ誘いに来てくれたということか。それは、私に寄り添うと決めてくれたからだろうか。
何だって良い、私を誘いに来てくれたという事実がただ嬉しいのだから。
「えぇ、喜んで。」
私が応えると、アレク様は微笑んだ。
「では、下へ行こう。」
そう言って部屋を出るので私は慌ててその後ろを着いて行った。
アレク様は背が高く足も長い。
普通に歩いているつもりなのだろうが、私はそれに早歩きでついていくのがやっとだった。
後ろを振り向かずに歩いていく。
中庭についたところでやっとこちらを見た。
「あぁ、すまない。歩くのが早かったか。」
私が少し息を切らしているのを見たのか、アレク様は謝罪をする。
「い、いえ、大丈夫です。」
「そこに座ろう。」
アレク様は私の肩を抱きながら、中庭に置いてあるベンチへと誘導する。
そして、そこへ座らせて自身も私の隣に腰を下ろした。
「すまない、また君を気遣ってやれなかった。」
アレク様は眉を下げながら私に言う。
私が「待って下さい」と一声をかければ良かっただけだ。全てアレク様が悪いわけではない。
私は首を振った。
何だか結局、何も変わっていないような気がして私は顔を俯かせた。
気の弱い自分へのもどかしさとアレク様に申し訳ないと思わせてしまったことへの負い目とで顔を上げられずにいた。
アレク様の前でどうしても上手くやれない。頭の中で明るく可愛く振る舞うようにシミュレートしているのに、一度も上手くいった試しはない。
どうせ私は、地味で気の弱い女だ。
あぁ、涙が出そう。
「聞いても、良いだろうか。」
「何をでしょうか?」
アレク様の問いかけに対して、私は顔を上げないまま質問を返した。
それは聞きたいことによるもの。
「君が下ばかり向いてしまう理由だ。」
私は眉をひそめた。
そんなことを聞いて何になるというのだ。どうしてそんなことを聞きたがるのだ。
「特に面白い話ではありませんが。」
「それでも良い。」
アレク様が簡単に引き下がってはくれなそうなので、私は一瞬考えてから話すと決めてスゥと息を吸った。
「自分に、自信がないからです。」
思っていたより大きな声が出てしまった。アレク様はしばらく何も言わずにいた。
しょうもない理由に言葉も出なかったか。大変だったとも言えないような大したことのない、誰でも抱いていそうな劣等感にかける声もないのか。
だから、言いたくなかったというのに。
確かに誰でも感じるようなものだった。
だけど、私にとってそれは大きくて深くて暗い海で、もがいても明かりを求めてもどんどん沈んでいってしまうような、そんなものだった。
誰に共感してもらいたいわけではない。
私だって、自尊心の高い人間になりたいと思っているのに、過去の思い出がそれを邪魔するんだ。
「君は、両親にも妹にも愛されているようだし、友人もいる。一体何に不満を持つ? 何が君の自信を奪う?」
私は、アレク様の言葉に不快感を覚えた。私はアレク様をキッと睨んでしまう。
「えぇ、私は家族にも愛されて友人もたくさんいるわ。だから、私には何一つコンプレックスが無いでしょうって、そういうお話ですか? 幸せな家庭に育った人間は、もれなく全員幸せでしょうって?」
「いや、そういうわけでは……。」
アレク様は戸惑ったように私から視線を逸らす。
私はハッとして「申し訳ございません」と謝りながらまた下を向いた。
とんだ失言だ。
「もしも嫌でなければ話してくれないだろうか。その、君のことを……。」
アレク様は珍しく言葉を選ぶようにして私に言った。
私はかなり悩んで、だけれど捲し立てるように言ってしまった手前、話すべきだと判断しコクリと頷いた。
「私の妹は、可愛くて愛嬌もあって優秀です。小さな頃から彼女と私を比べない日はありませんでした。勿論、両親は私たちに差をつけず愛してくれました。だけれど、外の人たちは私たちをあからさまに比べる。姉の方は地味だ、大人しすぎる、姉妹とは思えない、妹の方が器量が良い。私は、昔から人から嫌われない代わりに様々なことを言われる立場にありました。その度に、何でもない風に笑ってやり過ごすんです。そしてその度に、自分のことが嫌いになる。」
今も、そう語りながら顔を上げてはいたが何でもない笑顔を浮かべていた。
話しながら今までのことを思い出して、大丈夫だと言い聞かせるように笑みを浮かべたのだ。
そうしてまた、自分が嫌いになるだけだというのに。
「辛いことを思い出させてしまったな……すまない。」
アレク様は悲しそうな顔をする。
別に、貴方がそんな顔をする必要なんかないというのに。
「俺は君の指摘するように、愛されて育ったのだから当然幸せなのだろうと思っていた。今まで、君が傷ついて生きてきたなんて、想像もしていなかった。」
「私が何も話さなかったのですから、知らなくて当然です。それに、どこにだってある話です。」
そう、どこにだってある話。
もしもこの話を公に話したら、そんなのは私もだ、お前だけじゃないと怒られてしまうのだろう。
だけれど、私の気持ちは私だけのものだ。私は耐えられるように見えていて、耐えられる人間ではなかった。だだ、それだけの話。
「これからは、俺が君の話をいくらでも聞こう。だから、耐えるのはやめてくれ。もしも、また誰かが君を傷つける言葉を投げかけたなら、俺が君の代わりに怒ろう。」
アレク様が私の目を見て告げる。
少し心が軽くなった気がした。
今まで、それを打ち明けたことはなかった。心の内に死ぬまで秘め続けてやろうと思っていた。
それなのに、意図せず怒りの感情が湧き上がって、そして話してしまった。
だけれど、それを聞いて彼は失望するわけでも無く、ただ私に寄り添ってくれた。
私が欲しかった言葉をくれた。
私はただ自分に味方がいると思いたかったのだろうか。私の代わりに怒ってくれる誰か。
「ありがとうございます。何だか少しだけ、心が軽くなった気がします。」
私は口の端が吊り上がるのがわかった。
アレク様はスッと立ち上がり、私に手を差し伸べた。
「散歩を始めようか?」
そうだった。
ここに来たのは散歩をするためだった。
微笑みを浮かべるアレク様の手を取り私も立ち上がる。手が離れるかと思いきや、手は握られたままだった。
そのまま中庭を歩いて回る。
私は男性と手を繋いで歩いたことがなくて内心ドキドキしていた。
ただ、それを顔に出すまいと必死だった。
ただ、アレク様は平然としていた。
女遊びをしていた、というネイト侯爵の言葉が思い出される。
たくさんの女性とこうして歩いたから、なんとも思わないのか。
いや、確証もないことを決めつけるのは良くないことだ。
「ふむ、かなり綺麗に花が咲いているな。」
アレク様が花々をジッと見つめながら表情を崩さずに言った。
「アレク様も花を育ててみては如何ですか? 隅の一角にでも好きな花の種を撒くのです。」
「時間が出来たら試みよう。」
まさか私の提案に賛成するとは思わず驚く。ただ、アレク様は日々仕事でかなり忙しそうにしている。
時間はいつ出来るのか、というのが問題だろうか。
それからしばらく中庭を見てまわり談笑した。日が暮れ始めて、戻ろうかと屋敷内に入るところでいつまで手を繋ぐのかと再び気恥ずかしくなった。
「あの、アレク様、そろそろ手を……。」
「あぁ、すまない。」
私が進言すると、アレク様はあっさりと手を離した。
「ティミリア、手を繋ぐことには緊張しただろうか?」
「え、あ、いえ。」
私は咄嗟に緊張していたことがバレるのが恥ずかしくてウソをついた。
かなり雑な誤魔化し方ではあったが。
「やはりな、こんなことで緊張するはずがない。」
アレク様はそう言って、歩き出した。
私はその後を追いかける。
私は「こんなこと」とアレク様が吐き捨てたことが耳に残っていた。
私にとっては初めてで緊張する体験だった。勿論、変に誤魔化してしまった私が悪い。
だけれど、アレク様にとってそれは何の感情も伴わない行為だったのだとわかると、ズシリと心に重しが乗った。
ただ、先程と比べてアレク様が私に歩くペースを合わせてくれていることがわかると、嬉しさは感じた。




