klaW 話7第
「散歩に行こう。」
俺がそういった時の彼女の間の抜けた顔といったら酷かった。
公爵家の嫁に来ているという自覚を持ち、常に気を張って欲しいところだが、もしもそれを伝えたらジェラルに小言を言われそうなので心に留めた。
そして今、ティミリアと共に馬車に乗り草原へと移動している。ギンも馬車に乗っているのでいつもより狭く感じられた。
対面しているティミリアを見ると、相変わらず下を向いているがその視線は熱を持ってギンに注がれていた。
手がギンの方と自分の足の上を行ったり来たりしている。
ギンを撫でたいのだな、とすぐに理解できた。
「ふふっ。」
ティミリアの様子が何だか面白くて、俺は笑い声を漏らしてしまう。
「なぜ、笑っていらっしゃるのですか?」
ティミリアが顔を上げて少し眉を下げて俺を見た。
「いや、ギンに触れたいのを必死に我慢している様子が面白くてな。」
俺は笑いながらもティミリアの問いに答える。
彼女は顔を赤くしながら再び下を向いた。ギンは、自分を見つめてくるティミリアが不思議なのか首を傾けながらティミリアを見た。
「触りたいのならば触れば良い。ギンは撫でられるのが好きなんだ。」
俺がそういうと、ティミリアは意を決したようにゆっくりとギンに手を伸ばす。
彼女が毛並みを撫でると、ギンは嬉しそうに尻尾を振った。
ティミリアは嬉しそうに笑みを浮かべる。また、その顔を見ることが出来て嬉しさを感じた。
俺はそれから外を眺める。
王都の1番外側にある街並みが見えて来る。市井の人たちで賑わう城下町だ。
「そろそろ草原に着くようだ。」
俺がそういうと、ティミリアも窓の外を眺めた。馬車は進み、だんだんと緑が広がっていく。
馬車が止まり扉が開くとギンは元気良く飛び出していった。
ギンはいつも真っ先に外へ出て草原を駆け回る。
俺はティミリアよりも先に出て、彼女が馬車を降りるときに手を貸す。
女性をエスコートするのは男性の務めだ、というのがこの時代のこの国の教えだ。
ティミリアも馬車から降りて、草原を見る。
食事会の時に、趣味を聞かれそれに対しての答えに彼女がとても興味を持っていた。だから、彼女にもその体験を共有しようと連れてきたのだが、今日は天気が良くて何よりだ。
「この草原をギンに乗って駆けるのが俺はとても好きでな。」
それが、俺の唯一の楽しみと言っても過言ではない。日々仕事ばかりの生活、買い物や食事も特段好きというわけでもない。
「ギン!」
俺が大きな声で呼ぶと、草原を駆け虫と戯れるギンがすぐにこちらに戻ってきて
スッと伏せをした。
「さあ、乗って。」
俺がそう促すが、ティミリアはどう乗ればいいのか、とギンの横でオロオロとする。
そうか、普通の令嬢は狼に乗る経験などするわけがない。
俺は彼女を後ろから抱き抱え、ストンとギンの背中の前の部分に乗せた。
それから、彼女を支えるように俺はその後ろ側に乗る。
ギンが走り出すためにスッと立ち上がる。
「しっかり掴まれ。」
俺はティミリアにそう言って、ギンの体を2度ポンポンと叩いて発進の合図をする。
「う、わ!」
ギンが走り出すとティミリアは態勢を崩しかけるが、俺はそれをギュッと抱きとめて支えた。
なぜ掴まらないのだ! と言いかけたが、狼のどこに掴まれば良いのか言わなければ分からないか、と自分の配慮の無さに反省する。
ティミリアは俺の掴み方を見たのか、同様にギンに掴まる。
ただ、せっかくギンに乗り草原を駆けているというのに相変わらず顔を俯かせている。
勿体ない、非常に勿体ない。
「顔を上げろ!」
俺がそう声をかけると、ティミリアはゆっくりと顔を上げた。
それから彼女は一度も顔を下げなかった。
一体どんなことを考えているのか。
どんな表情をしているのか。
俺にはわからなかったが、俺と同じようにこの光景を素晴らしいと思って貰えたらいい。
再びポンポンとギンを2度叩くと、馬車の方へ戻りゆっくりとスピードを落としていく。
元の場所に戻ると、まず俺が降りる。
勿論、彼女は一人で降りられないので、彼女の手を取り降ろそうとする。
「わっ!」
ティミリアは上手く降りることが出来ずバランスを崩してこちらに倒れ込んできた。俺はそれをギュッと抱きとめる。
想像以上に腰が細い。
ちゃんと飯を食べているのか。
そう思いながら彼女を地面に下ろす。
「も、申し訳ありません!!」
ティミリアが顔を青くしながら慌てて俺に謝罪をする。
「いや、問題ない。」
それに対して俺は首を振った。
「散歩、と言って良いのかわからないが、如何だっただろうか?」
乗っているときにはわからなかった彼女の心情を知りたい、と俺は問いかける。
「とても、良いものでした。」
彼女の朗らかな笑みと言葉に、かなり満足してくれたのだろうと思い「そうか。」と一言口にする。
「では、帰ろうか。」
俺たちは再び馬車に乗り込んだ。
ギンは疲れたのか足元で丸まって眠りにつく。それはいつものことだった。ギンはここぞとばかりにはしゃぎすぎる。
俺はパーティーの時から考えていたことを今告げるべきかと迷っていた。
今ではないからいつ言えばいいのか。
そもそも、わざわざ彼女に言うことなのか。
ぐるぐると考え込むが、考えること自体が面倒だと感じ俺は彼女に告げることにした。
「俺は、君に余りにも関心を持たなすぎた。」
唐突に切り出しすぎたか、彼女はこちらを見てキョトンとしていた。
「先日のパーティーで、君の体調が悪いことに気づきもしなかった。夫婦であるならば、すぐに気がつくべきことだ。全面的に俺の過失だ。」
俺の言葉に対して彼女は首を振る。
俺は悪くない、とでも言ってくれているのか。しかし、どう考えても俺が悪い。具合が悪いことに気がつかなかっただけではない。その上、俺は彼女を1人にして見失ってしまった。
「ティミリア、俺はもう少し君に寄り添う努力をする。」
俺は彼女の手を取り、ジッと目を見る。
彼女は一度下を向いたがすぐにまた顔を上げてこちらを向いた。
俺はそれに対して少し驚いた。
いつもの彼女なら顔を下に向けてから顔を上げずこちらを見てはくれない。
何かが彼女を変えたのだろうか。
「君も、俺のことを名前で呼んではくれないだろうか。公爵様と呼ぶ妻はいないだろう?」
食事会の時に公爵様と呼ばれてから、彼女はその呼び方を変えなかった。
いつまでも彼女は俺に心を許してはくれないのだ、と最近では悟ったものだ。
だから、呼び方から、そこから少しずつ変えていければ良い。
「あの、何と、お呼びすれば?」
「アレクと呼んでくれ。」
それは、かつて父や兄に呼ばれていた名前。親しい友人のみが呼ぶ名前。
「アレク、様。」
「様はいらない。」
「あの、それは、追々……。」
頑なに敬称を付けたがる彼女に俺は「仕方ない」と引き下がり、その手を離した。
いつか彼女が笑顔で名前を呼んでくれる日が来ればいい、と俺は思いながら窓の外を眺めた。




