出会いは森の中
それは、深い深い森の奥の出来事。
「くそ」
ギルドからの任務を受けた俺はある森に訪れていた。その森は、俺が拠点にしている街から然程、離れていない。顔見知りの狩人もよく狩りをする森だ。色々な生き物の鳴き声が至る所から聞こえてくる。
「やっと、出られた」
長草を掻き分けて、比較的ましな獣道に出る。鱗鎧についた枯れ草をはたき落とし、辺りを見渡す。怪物の姿はなし。小さな湖畔で鹿の群れが水を飲んでいるくらいだ。丁度いい時間帯に来た。ちょっとご同伴に預かります。
「よっと」
背嚢から布に包んだ乾燥果物を辺りに適当に放り投げながら、警戒を薄くさせて群れの中に入り込む。基本的にこちらから手を出さなければ、繁殖期でもない限り、この鹿はこちらに手を出さない筈。危機察知に優れた鹿の側にいれば、俺も素早く逃げる事ができる。
「特に変化はないな」
苔が表面を覆っている岩近くに腰を下ろし、作業を始める。下が尖った透明な石を地面に刺して、その色の変化を紙に書いていく。任務の内容は森の異変調査。何でもこの森の大気中の魔力濃度に異変があったらしく、それを調べこいと言うギルドのお達しだ。
「なんだ、お前」
俺の姿が気になったのか幼体の生後間もない子鹿が、俺に近づいてきた。
「うぉっ、舐めんな舐めんな」
小鹿は、俺の顔を兜越しにその小さな舌で舐め回す。親鹿も特に気にした様子を見せず、黒い瞳で俺を眺めているだけだ
「ほらあっちいけ」
余っていた乾燥果物を放り投げてみるが、小鹿は興味を示さず、地面に刺した今は赤い石の匂いをしきりに嗅いでいる。
「はぁっ、邪魔はすんなよ」
地道な作業を続けていく。色が変わっては書いて変わっては書いての繰り返し。たまにちょっかいを出してくる小鹿の相手を片手間にしてやりながらも、作業を続行。しかし、地味な作業をずっとしているというのは苛立ちが募ってくるわけで。
「くっそ、面倒くさい」
俺は愚痴をこぼしながら、手を動かす、なんで俺がこんな事をしなければならない。
「ギルドも俺以外の奴に依頼出せばいいだろうが」
本当なら今頃俺は、怪物退治に向かっていた筈だ。こんな作業をする為に今日を迎えたのではない。朝起きてギルドに向かったら有無を言わせずこの任務。報酬も高い訳じゃないし。
「こんな時こそ、日頃飲んだくれてる奴を使えよ」
何故、日頃から真面目に働いている俺がこんな事をしなければならない。真面目にしている人間が割りを食うこの世界は間違っている。
「帰ったら絶対に文句を言ってやる」
大体この森の何処に異常があるってんだ。他の森と何ら変わりない。大気中の魔力濃度に異変があったなんて話だが、計測してる魔力の濃度に異変は見られない。魔力濃度に異変が起こると、その地域に住む生物の分部が変化してしまう。大事な作業とは理解していても、面倒なことには変わらない。
「ついにギルドの計測機もぶっ壊れたか」
新品にした方がいいんじゃないのか。いつまでも昔のオンボロなやつを使っているからだ。
「新しいやつにしたらどうですかっと」
計測者からの一言欄に皮肉を書き込み、仕事は終わり。
「今は…正午前くらいか?」
日の高さから大体の時間を確認。今からギルドに戻って依頼を受ければ、怪物退治にはいけるか。いやいっそのこと近くの村で怪物で困っている事がないか聞いてみるか?
「悩むな」
それとも、小鬼か仔狼の巣でも殲滅させてくか。幸い、今日は怪物退治をする予定だったから装備は完璧。油断しなければ巣の二、三個を潰すくらいは出来る。異常事態がなければだが。
「チチチ」
「ん?なん、っ」
作業を終え、道具を背嚢の中に戻していると一匹のリスが目の前に現れた。毛並みは白く、目は赤い。普通なら愛でる愛玩動物にもなるリス。しかし俺は跳躍し、そのリスから距離を取った。鞘に手を伸ばして短刀をいつでも引き抜けるよう身構える。
「怪物か……」
俺の行動に驚いた小鹿は、側を離れ群れに帰っていった。遠巻きにまるで観客のように、何を考えているのか分からない顔で、俺たちを見ている。
「何の怪物だ?」
【怪物】
それは人類と敵対する生命体。遥か昔に存在していた魔王と呼ばれる存在が、生み出した種族。その多くが人類を敵対視し、手を交わせる事はない。小さいからと言っても、油断はするな。大体が人間を殺す術を持つ。様々な種類の怪物がいるがその多くは、瞳が血のように赤い。
「初めて見るな……」
しかしこのリスの怪物は初めて見る。本当に、怪物かと疑うがそもそもこんな真っ白な体毛のリス自体が珍しい。もしかしたら変異種かもしれない。油断はできない。
「チチチ」
大きさは成人男性の拳ほど。普通のリスに比べれば小型。倒せなくはないとは思うが小型の怪物は、物理的な力はないがその代わり特殊な力を持つ。毒であったり、群れであったり。……魔法だったり。
「不味いな…」
魔法だった場合、その種類によって勝てる確率はグッと下がる。
「チチチッ」
睨み合う俺と動くリスを眺めるのは鹿の群れ。鹿達は、怪物がいるというのに逃げる気配を見せない。
「おかしい」
このリスは小さいと言えど、捕食者。人間だろうと鹿だろうと、食える物は何でも食う。だというのに、その捕食者から鹿達は逃げようとしない。怪物は動物ではない。その怪物から逃げないのは何故だ?
「チッ!」
「っ、はやっ!?」
その小柄さからは考えられない程の跳躍力。まるで森人の放つ矢の如く、一直線に俺の顔目掛け飛んできた。
「くっ!?」
身を捩らせ回避しようとするが、追いつかない。せめて衝撃と急所は外そうと、横に飛ぶ。致命傷にはならないだろうが、この鱗鎧と兜の性能を信じるしかない。
「……ん?」
「チチチ」
しかし、思っていたような衝撃が俺を襲う事はなかった。不思議に思って肩に視線をやると、目の前にいた怪物は俺の肩に乗って、何やら動いて伝えようとしている。
「ぎゃあアアああアっッ!?!?」
金切り声が森の静謐を切り裂いた。ヒステリックな狂ったような叫び声。誰の口から?俺の口から。
「離れろ!?」
怖気が走る。背筋が冷えていき、鳥肌が全身に広がっていく。呼吸が乱れ、手足が震える。
「降りろ!」
右腕を必死に振るい、リスを振り落とそうとするがリスはその小さな手で掴んで、離れようとしない。
「チチチッチチッ!」
「なんだってんだよ!」
何かを懸命に伝えようとしているが、俺に怪物の言葉が理解できるはずがない。それより今は泣きそうで、失神しないようにするのが精一杯だ。
「なんだよ!?ついてこいって言ってんのか!?」
「チチッ」
俺の言葉に反応して、何度も頭を縦に振るリス。なに、言葉理解してんのこいつ。怖っ。
「ふざけんな、そう言って俺を殺すつもりだろ。誰が信じるか」
「チチチッ」
「てめーら、怪物なんてなぁ!害でしかねーんだよ!!」
「チチチチチッ」
「離れろよ!何がしたいんだ、てめぇ!」
短刀を引き抜き、突き刺そうとするがリスはちょこまか動き回り、攻撃が当たりそうにない。これだから、小型種は嫌いなんだ!
「大体なぁっ、って何だお前。離れろ、危ないから」
先程まで遠巻きに見つめていた小鹿が、何を思ったのか喚いている俺にトコトコ近づいてくると、頭を垂れた。なんだ、何がしたいんだ?
「はぁっ?」
あろう事か、小鹿はリスを頭に乗せた。抵抗するそぶりはない。魔法で洗脳された気配は感じない。
「チチチッ」
「ついてこいって本気で言ってるのか」
「チチッ」
「………」
どうする。本来、凶悪な怪物がここまで人間に対して対話を試みるのはあり得ない事だ。絶対にこいつに連れてがれた先には何かある。十中八九、異常事態。
「……行きたくない」
「チチッ!」
心の底から嫌な声を出した俺の言葉に過剰に反応するリス。焦っているのか、慌てているのか分からないがその小柄な体躯で何を伝えようとしているのやら。
「チチチチッ」
しかし、この怪物からは知性を感じる。理性などこの世に生まれ落ちると共に何処かに捨てた本能で生きる他の怪物とは違うような気もする。俺に何をさせたいのかは見当もつかないが……。
「……しょうがない。行ってやる」
逃げる手段も切り札もある。道具も揃えてあるし、邪教の手先が出てこない限り、こんな駆け出し用の森で死ぬような間抜けにはならない。
「案内しろ」
竜の尾を踏むような出来事にならなきゃいいがな。
「チチッ」
そこからのリスは早かった。チョロチョロと小鹿の頭から流れるように降りると、一目散に何処かへ向かって走り出す。
「はやっ」
魔法の類か、凄まじい速さでリスは森の中を突き進む。俊足の指輪を身につけている俺が、追いつくので精一杯だ。
「チチッ」
「はいはい、ちゃんとついてます」
しきりに背後を気にするリス。だが、問題なく俺は後をついてきているので安心して欲しい。ここまできたら逃げやしない。
「つっても、何処にいくんだ?だいぶ、奥地じゃねぇか」
「チチ」
「まぁ、お前の言葉分からないんだけど」
草木を掻き分け、邪魔な木の枝の下を掻い潜り、奥へ奥へと突き進んでいく。木々の枝や葉が太陽の恵みを遮り、辺りが薄暗くなってきた。
「おいおい、どこまでいくんだ?」
流石にこんな所まで来れば、怪しいと訝し始める。まさか、このリス変なことを考えていたりしてないよな。
「チチッ」
「どうし、ってあれ、人か!?」
木の幹に隠れてよく見えないが、地面に力なく手をついている人の手。死んでいるのか生きているのかは分からないが、それを確かめる為にも速さを上げる。
「大丈夫か!?」
木の幹の前に行くと、その人物の姿が露わになる。
「森人が何でこんな所にいんだ!?」
絹のように滑らかで光沢のある深碧色の長髪。すらりとした長い手足に力は入っていなく、ぴくりともしない。華奢な体つきは男性とも見間違える程だが、顔の造形は女神が彫刻したかのように整っている。今はまるで、人形のようにその目を閉ざし、動かない。
「おい、大丈夫か!?」
森人は潔癖な性格をしていると言い、他人に触られるのを嫌う。だが、今は非常事態なので許して欲しい。革手袋を外し、脈を測る。
「生きてはいるな。こいつはお前の飼い主か?」
「チチ」
「そうか。わかった」
血色が悪いせいか、元々が色白であろう肌が病的なまでに青白い。外傷はないのが気になるが、この森でこんな状態で昼寝って訳でもないだろう。兎にも角にも、ひとまずここから離れなければ。
「ォ…ォ…」
「今度は何だっ!?」
木々のざわめきに混じり、地響きのように低い音。途切れ途切れに聞こえてくる物憂げな音は、不愉快で耳障りだ。頭上より響いてくる重低音に、引かれるように顔を上げる。
「チチッ」
「なぁ、リス」
たらりと汗が一筋流れていく。不快な重低音は徐々にその音を、声を明確にしていく。
「あれ、お前の飼い主?」
「チチチッ」
リスは違うというかのように、首を横に振った。
「だよね!!」
「オオオオォオォオォッ………!」
ぼろぼろな黒衣を身に纏い、痩せ細ったシワだらけの皮を子供が貼り付けたような骨だけの顔。眼孔に瞳はなく、肉のこびりついたような骨の手足が伸びている。翼がないのに、どうやって浮いているのかと叫びたい。
「呪悪霊!?」
何で、悪霊種の怪物がここにいんだよ!?
「流石にこいつは予想外だ!」
廃墓地や戦地跡じゃないここに何で、悪霊種の怪物がいる!獣種のみの怪物なら、いくらでもやりようはあった。だが、悪霊種に通じる攻撃手段を俺は持っていない!
「ここは、逃走の一手!!」
呪悪霊の骨の腕をかわし、雑嚢に乱暴に腕を突っ込む。ガチャガチャと道具が擦り合う中で、目当ての物に手先を触れさせながら、森人の腕を握りしめる。
「チチチッ!」
「あぁ、くそっ!こいリス野郎!」
「チチッ!」
ちょこまかと呪悪霊の腕を掻い潜っているリスに腕を伸ばす。するとリスはまた、矢のように突っ込み俺の胸に飛び込んできた。
「【帰還の宝珠】!!」
貴重な帰還の道具を使うと、俺たちの足元に陣が現れると同時に手先に触れていた宝珠が砕け散る。一瞬だけ肉体が重力から解放され、体の中身が浮いたかと思うと次の瞬間には慣れた重力が体をつなぎとめた。
「ふぅ…やばかった」
そこは、先程までいた森ではなく見慣れた宿の一室。至る所に並べられた道具や薬草の類の中に埋まるように俺たちはいた。
「で、どうすっかねぇ」
目を覚さない森人の姫君を見て俺は首を捻るのだった。
思ったより長くなってしまった