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いいようのない何か  作者: 桜井 薫
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カツカレー

落ち着かない環境で小説を書くことがこんなに困難なことだとは思いもしなかった。ここは空港の喫茶店。次の便を待つ人や、到着して一休みする人が溢れ返っている。

喫煙室という閉鎖された空間のわりに休むにはよい空間であるが、さっと入って長居する人には向かない。そして私はその一人である。

小説を書くためにいつもの喫茶店を利用しようとしたら、運の悪いことに喫茶店で小さなイベントをやっていて、小説が書ける空間ではなかった。肩を落として帰路に着いたが、そこで諦めては自分に負けたような気がして近所の空港に足を運んだ。それが間違いだったのだろう。

空港は一般人が利用する施設ではない。旅行客やビジネスマンが度々入れ替わり入ってくる。ごく当たり前なことなのだが、少しは落ち着けるだろうと目算した私が甘かったのだ。

席は比較的落ち着く端の席を選び、飲み物は最低限のホットコーヒーを頼んだ。値段はリーズナブルで、お腹が空けば少し値は張るがボリュームのある食事が摂れる。喫茶店としては中々いい立地であると評価してもよい。

 ただ問題なのは、人の話し声と居心地の悪さだ。隣で繰り広げられるビジネスの話。私はヒューマンドラマを書くのが主になっているのだが、ビジネスを題材に小説を書くことはない。他愛の無い無駄話は作品のネタになりうるが、何時にこんなことをして会議がこうでああでと言われても沸かない。

別にネタ探しをに来たわけではないが、横から聞こえてくる話し声が雑音にしか感じないということを初めて実感している。

今構想を練っている作品を書こうと思ってやってきたのだが、全然集中できなくてこうして喫茶店の居心地の悪さを文にしている。一種のウォーミングアップになればいいが、全くプラスにならなかったとしたらここのコーヒ代やタバコの本数が全くの無駄。それよりこの貴重な時間が無駄になってしまうことに腹立だしさを覚える。

ここで一服するとしよう。何かいいアイデンティティが生まれるかもしれない。しかもこうやって書いていると、意外に環境にも慣れてきた。

人というものは不思議なものだ。さっきまで雑音だと思っていた中年男性の話し声も、その社会で生きている人の言霊なのではないかとさえ思えてきた。

私はここ最近、女の世界でしか生活をしていなかった。だから中年男性に違和感を感じていたのかもしれない。それは私自身が反省しなくてはならないことなのかもしれない。

先程の中年男性の口から『絵に書いた餅』という言葉が発せられた。普段女性はそんな言葉を使わないのが一般的だろう。それは偏見かもしれないが、どちらかというと男性脳的発想であると考えられる。そんな言葉が普通に出てくる中年男性はある意味魅力的なのかもしれない。

しかし、ここで何時間も作品を書き続けるには無理がありそうだ。どこか落ち着かない孤立感が否めない。せっかく書き始めたこの文章も私のなかではただの愚痴に終わるのではないかという危機感を覚える。

この話に起承転結をつけるとすればどのような話になるのだろうと考えてみる。まず小説を書きたいと思う。

これが起である。そして小説を書く場所を見つけて店に入ったこと、そして居心地が悪いということが承であろう。そろそろ転を入れないといけない。

 転というものは難しいと私は考える。もしここでこの喫茶店で強盗が入って立て籠ったとしよう。そうしたらものすごい転が書けるのではないだろうか。しかし、このあまりにも普通な日常のなかで強盗など入るわけがない。空港なだけにたくさんの警備員がいるだろう。

すぐに取り押さえられておしまいである。

 じゃあ何を転にしようと考えると日常でありうるでも且つ非日常な出来事が起きないと読者は読んでいても面白くない。まず第一にまだ一ページしか書いていないのに転を求めるのがどうなのだろうかとさえ考える。一ページがものすごく大きな山のように感じてしまう。

 そうだ。カツカレーを食べよう。そうしたら大きな起になるのではないかと思う。この小説のタイトルが『カツカレー』になるのかもしれない……それは避けたい。

 あまりにも稚拙な小説の展開になりそうだ。どちらかというと小説というよりはエッセイになってしまうのかもしれない。

 ここに来て小説を書きたいと思っているのにも関わらず、周りの空気に馴染めずに愚痴を書き、挙げ句の果てに『カツカレー』を頼もうとしている。私はいったいここで何をしたかったのだろうか? お金の浪費をしに来たとしか言いようがない。しかもあろうことかカツカレーを頼んでしまった。お腹が空いたら作品なんて書けないじゃないか。と、言い訳をしながらカツカレーを待つ。


 カツカレーを頼んだことで少し居心地の悪さが軽減された。でも結論としては空港では小説を書くのは居心地が悪いことが発見できたということだ。もし家で作品を書いていれば家には炊飯器もあるしキッチンもある。

お腹がすけば自分で作ることもできるのだからわざわざ食べに来る必要もない。

 そんな話をしているうちにカツカレーが運ばれてきた。後ろの客が頼んだカツカレーはものすごく美味しそうな臭いを醸し出していたのにも関わらず、実際来たものを味わうと脱力感で一杯になった。

 まず、ココナッツオイルを使っている私の苦手なカレーだ。しかも甘い。辛さの欠片もない。カツ自体はからっと揚がっていて旨いのだが、それに見合うカレーではなかった。これでこの価格なのか。空港は恐ろしい。少し高級感のある喫茶店だから期待もしたのだが、正直な感想を言えば不味かった。

 カツカレーに関しては不服しか感じなかった。コーヒーは美味しいのに。

 目まぐるしく動く空港では、隣にいたビジネスマンがいなくなり、環境的にはものすごくいい環境になった。あのカツカレーさえなかったら。私が後ろの客に惑わされてコーヒー以外のものを頼んでしまったのが仇となってしまった。

 ここまで我慢してここにいるのだから、このカツカレーという作品は例え十ページになろうとも書き上げてやるという野心に燃え上がっている。

 しかし、油ものは年のせいか胃にもたれる。最高だったカツさえも私に牙を向こうというならば、味方なのは福神漬けとらっきょうだけだったということか。

 そんなことならば、おみやげやさんで家族にアスパラの漬け物を買って帰ったほうが数倍マシだったような気がする。

 この失態をどうやって家族に伝えなければならないのだろうか。家で待っている家族とともに安いファミレスで楽しく談笑しながらコーヒーを飲めばよかったのではないかと後悔してしまう。


 約束の時間まで後一時間を切ってしまった。作品もできず長々とこの喫茶店について書いていても作品は先には続かない。この時間は一体なんだったのだろうか。

 居心地の悪い室内で、作品を書くことに集中もできず、終いには不味いカツカレーを食べて胃もたれを起こすという失態をどう穴埋めすればいいのだろうか。

 しかも、作品的にまだ二ページぐらいしか書いていない。こんなもの賞に出すほどのものではない。ただの気分転換だ。

 これをきっかけに今までやっていた作品をやれるようになればいいと思う。自宅にいたら甘えが出てしまうからといって、外で小説を書くことにしたのは間違いだったのではないだろうか。

 しかし、今まで聞いたことのない中年男性の話を聞くこともできたし、ここの喫茶店のコーヒーはうまいがカレーは不味いということも発見した。

 これはなかなか体験することのできないことだったのではないだろうか。いや、そうやって自分を慰めているだけのような気もする。

 この『カツカレー』という作品はこのまま放っておいて何か食べたときや、

感じたときに仕上げていけばいいのではないかと思ったりする。



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