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3/3

敵か味方かそれともナニか。

 この世界の整理をしてみよう。

 タイトルは「プレシャス・モーメント-聖なる乙女と瞬く翼-」、巷でそこそこ人気の乙女ゲームだ。

 繰り返すと、そこそこ人気であって超絶人気ではない。

 神がかったグラフィックのMMORPGを売りにしている会社の新領域のためか、恋愛重視のRPGという色が強く、RPGファンには恋愛に偏りすぎていると蔑まれ、乙女ゲームファンには戦闘が面倒だと非難を浴び、信奉者が少ないのだ。

 杏はその貴重な信奉者に勧められて、このゲームを手に取った。

 ヒロインのアンジェリカは下町生まれの十六才。十二才の時に聖獣のマスカットに見初められて、聖女として覚醒する。百年に一度選ばれる聖女の役目は、各地に点在する聖杯を浄化すること。この国を魔族から守る結界を作り上げている聖杯は、時の経過とともに力が弱まってしまうため、聖女がメンテナンスする必要があるらしい。

 攻略キャラは五人。アンジェリカは王都と聖杯のある街を行き来しながら各キャラとの仲を深めることになる。しかし、このゲームはその辺りが難しい。騎士のゲオルグは常に旅に同行するのでいいとして、他のキャラは王都から出ないことさえあるので、好感度上げに苦労するのだ。

 もちろん、プレイヤーたちの救済システムはある。

 宿泊先で発生するミニゲームをクリアすれば、イベントでいまいちな回答をしてしまったとしても、力業で好感度を上げることができる。また、モンスターを倒して得たアイテムがあれば、攻略キャラの好みに合ったプレゼントを用意することができる。このプレゼントは好感度を上げるだけではなく、本編とは関係ない特別なスチルが準備されているので、杏は必死になってモンスターを狩ったものだ。

 そして、この救済システムのすべてを取り仕切るのが、今目の前にいるお助けキャラというやつだ。

「今日は、あなたの好きな西の国の茶葉ですよ」

 差し出された紅茶から漂う香りは澄んでいて、自然と背筋が伸びる。

 お助けキャラは執事だった。名前はなく、ゲーム本編では「とりあえず執事」とだけ記載されている。ただし彼はモブと呼ぶには目立ちすぎる容姿をしている。

 銀色の真っ直ぐな髪と濃紺の瞳は色気を孕んでいて、攻略キャラにも劣らない彼は一時期隠しキャラと思われていたが、制作サイドのひっかけだったらしい。彼の好感度が上がると信じて、無駄にアイテム購入をしまくる人が後を絶たなかったとか。あまりに人気が出たために最近公式HPで公募が行われ、シェフリードという名前になった。来月のアップデートで名前が出るようになるそうだ。

 彼は他の恋愛ゲームのお助けキャラのご多分に漏れず、攻略キャラとの進捗状況や攻略のヒントも教えてくれる。冷静になって考えてみると、個人情報やら国の内情やらに精通しすぎる彼の存在は脅威だ。どこかの闇の組織の一員と言われても納得できるほど、彼は本当にいろいろなことを知っている。

 ちなみに聖獣は何をやっているかというと、見て癒やされるだけの存在で、プレイヤーの役には立たない。むしろモンスターとの戦闘において、ヒロインの経験値を半分奪っていくというお邪魔虫以外の何者でもない。

 杏の視線は、黒服の彼へと向けられた。

 庶民であるヒロインのお助けキャラがなぜ執事なのか。

 アンジェリカが聖女に選ばれると、すぐに王宮から遣いがやってきて国に保護される。かつて聖女が攫われて大変なことになったためと説明を受けるが、国を救う聖女が庶民というのは外聞が悪いとのことで、アンジェリカは貴族の養女となり、教養を身につけさせられた上で聖杯を浄化する旅に出る。

 その貴族の屋敷というのがこの場所で、礼儀作法を手取足取り教えてくれる兄のような存在が、執事である彼なのだ。詳しい場面は描かれていないが、会話の端々から察するに結構なスパルタだったらしい。たぶん彼はSだ。

 けれど聖獣なき今、杏が頼れるのは彼の他においてない。

 紅茶を一口だけ運んで、杏は切り出そうとした。

「あなた、どなたですか」

「えっ、えと、水上杏っ、十七才、女子高生ですっ」

 当然、右舷上方から届くのは、胡乱げな眼差しだ。

「それで、水上さんとやら。あなたはなぜアンジェリカ様の中に入っているんですか?」

「それはあたしが知りたいですっ。気づいたらアンジェリカに憑依してて、出たいのに出られなくて困ってるんです」

「憑依ということは、魔族か何かなんですか?」

「あたしは人間ですっ」

「では、亡くなられていると」

「違いますっ。死にかけたことはあるけど、死んでないですっ。幽体離脱ってこっちの世界にこの言葉があるかわからないけど、こう、心がふわふわって体から出て、すとんと別の人の体に入ってしまってたんです」

「こっちの世界、ということはあなたは異世界から来たのですか」

「どっちかっていうと、こっちが異世界ですよ! だって、ゲームの中なんだからっ」

 自分から話そうと思っていたことを、誘導尋問のようにすらすらと引き出されて少々気味が悪い。このままでは自分の主張まで飲み込まれそうだ。杏は困惑しながらも、シェフリードの様子を観察するより、主張を伝えることを優先した。

「シェフリードさんっ、あたしは元の体に戻りたいんですっ。だから、この世界の裏の裏まで知ってるあなたに、手伝って欲しいんですっ」

 途端に頭をわしづかみにされる。

「ちょっと、黙っていてください。考えごとをしている相手の思考を遮るものではありませんよ」

「い、痛いですっ、割れる、割れるからっ。シェフリードさんの大切な令嬢の頭が真っ二つになっちゃいますっ。いやですっ、乙女ゲームでそんなスプラッタ!」

 この執事、やはり闇の世界の住人なのだろう。握力が半端なく強い。手を離された後でも、悪い意味で心臓を鷲づかみにされたような気がしてきた。

「ちょっと衝撃を与えたら出て行ってくれるかと思ったのですが、ダメみたいですね」

「ぜんっぜん、ちょっとじゃないです。マジでしたよっ」

「私の言う本気というのは、ハンマーをフルスイングで殴るくらいなんですが、体験してみますか?」

 杏は、全力で首を振った。この執事、思った以上にやばい匂いがする。

「まあ、冗談はさておき。あなたが嘘を言うような性格ではないことはわかりました。異世界から来たというのも本当なのでしょう。過去に異世界出身の聖女もいたわけですから、聖女に異世界の魂が宿ったところで、何ら不思議はありません」

「異世界出身の聖女? その人たちって」

「ご期待どおり、大恋愛の末こちらの人間と結ばれ、大往生なさったと伝えられています」

 杏はがっくりと肩を落とした。

 くそっ転生者めっ。

 読者であれば、自分の世界を捨て、純愛を貫いた主人公に涙しただろう。今の心境としては、少しくらい現世に未練があってもいいと思う。

「まあまあ。あくまで多くの方は、ですよ。何人かは元の世界に帰ったといいます」

「それじゃあ」

「元の世界に帰る方法があるのでしょう。調べてみますので、少し時間をください」

「ありがとうございますっ」

 喜びのあまり両腕で万歳して、ふと気づくことがある。

 そういばゲームの中でアンジェリカは、ミニゲームをするにも、アイテムを加工するにも料金を支払っていた。その原資はヒロインが倒したモンスターの懸賞金である。ゲーム序盤ではなかなか高額なモンスターを倒すことができず、金策に苦しんだものだ。

 当然、この世界はそのゲームと同じなわけで、杏は手放しで喜べないことを瞬時に悟る。

「あのぉ。この世界に来たばっかりで、お金持ってないんですが」

 恐る恐る見上げると、彼は微笑んでいた。ゲーム中では基本、能面顔のバストトップしか出てこないので、彼の笑顔は貴重だ。例えそれが黒い笑顔であっても。

「私はそこまで守銭奴ではありませんよ。一刻も早くアンジェラお嬢さまからあなたを追い出したいし、あなたはその体から出ていきたい。利害は一致していますし、まけておきます」

「結局、金とるんじゃん!」

「いえ、支払いは労働という形でお願いするので心配いらないですよ。元に戻るまで、あなたにはアンジェリカお嬢さまとして過ごしていただきたいのです」

 さすがのびっくり提案に、杏は目をむいた。

「いやいや、そのバイト何の無理ゲーよっ」

「できない場合は金貨五万枚いただきます。もちろん、必要経費は別途ですから」

「それはそれで無理っ」

 金貨五万枚というのは、ドラゴンを二体倒した金額に等しい。ちなみにドラゴンは一巡につき一回しか出てこないので、ドラゴンについては金貨二万五千枚しか稼げない。そもそも、今の自分にドラゴンを倒せる力があるとも思えない。

「わかりましたっ。やりますっ、お嬢さまやりますっ」

「それはよかった。では早速、明日のティーパーティーに向けて練習をしましょうか」

「へっ? てぃーぱーてぃー?」

 前途多難な日々は、始まったばかりだ。

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