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鍼使いとドラゴンの子  作者: 琵琶まるお
一章 鍼使い
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藤枝泰雅

ある日の藤枝泰雅

 数日前のことを思い出していた。


その日もいつもと同じように仕事をしていた。

「ありがとね、また来るね。」

60後半の女性が孫の世話で疲れる、なんてニコニコしながら愚痴なのかなんなのかわからないことを鍼を身体に刺されながら1時間ばかり話して帰っていった。

「お孫さん重いんだからあまり無理して抱っこしない方がいいですからね、お大事にー。」

ニコニコして帰ってくれるとこちらもニコニコしてしまう。

年収としては低いがお金も貰えて笑顔になってもらえる鍼灸院というのは自分に合っていると心底思う。

しかし自分に合っていたとしても生活ができないのであればそれはただの自己満足に過ぎない。

俺、そのうちビッグになる男だからよぉ、なんて言っている何にもしていない輩と大差ない。



ポストを見てみると請求書がいくつか来ているのを見つけた。

いつもの請求書に加えて広告費の支払いか…。

「はぁ…なんでお金って出ていくときはまとまって出ていくんだろ。」

たまには広告でも出してみるかなんて思って営業電話に乗っかってバスに広告をだしてみた。

けど反応なんて全然なかった。

もう二度とやらんぞ…。


これからまだ紬の妊婦検診や血液検査もある。

ベビーグッズもそろえないといけない。

なんとかもっと稼ぎたいがだからといって急に患者が押し寄せてくるなんてことはない。

ひとりひとり確実に満足させていくしかないのだ。

そう、分かってはいる。

しかし焦りもある。

「子供が生まれるまでにはもう少し稼げるようにならんと…。」

危機感を募らせながら独り言ちる。



藤枝泰雅の鍼灸院は順調とは言い難い状況だ。

平均的な価格設定をしているが周りの格安ボディケアのチェーン店に押され、なかなか新規の患者が来ない。

リピートする患者はようやく来てくれた患者の2割程度。

週6日営業しているがぽつりぽつりとくる患者をこなすだけで大抵暇だった。

そしてその暇な時間をたまに有効に使うのだがほとんどは無駄にするばかりであった。


鍼灸師としての腕はかなり良い。

大抵2回から3回の施術で症状を良くしてしまい、元気な状態を長持ちさせることができた。

しかし経営者としての手腕はそれほどでもない。

名プレイヤーが名監督になるかといえばそうでもない。

そうなる方が珍しいくらいだ。


妻の紬との2人暮らしもぎりぎり、というかむしろ赤字である。

貯金を切り崩して生活しているような状況である。


患者の症状を確実に良くする腕があるのにも関わらず、お金を儲けようという素振りをみせない。

いい人と言えるかもしれないが経営者としては無能といえるだろう。

それがこの時の藤枝泰雅だった。


泰雅はやるべきことがまだあるのにやることはやったという謎の達成感を持っていた。

そしてその結果がでるには時間がかかる(患者は急には増えない)と考えていた。

果報は寝て待てという楽観的な考えである。

しかし寝て待っていられるほど時間(経済的)に余裕はない。


これから子供が生まれるとなると費用はかなり掛かる。

だからこそ必死にやるべきことをさらにさらに探さなくてはならないのだがそれをしないし、しなかったためこの状況を招いていた。


踏ん張って自営を続けるか、店を畳んで雇われに戻るか。

泰雅は悩んでいた。

他人から見れば改善の余地はまだかなりあるのがわかる。

しかし泰雅本人は楽観的な思考と焦りが混在し、それがまったくわからない。

紬は、あなたならきっと大丈夫。がんばって!、なんて言うが泰雅はなぜそう言われるのかが分からないし、いい腕を持ってはいたがその腕を披露する機会があまりに少ないがために自信を失いつつあった。



「なんで紬は大丈夫なんていうんだろう。こんなにもダメな稼げない旦那なのに。」

紬は基本的にヒントはだしてくれるが答えは教えてくれないタイプだ。

まるで優秀な教師である。

そして俺はダメな生徒。

彼女が大丈夫というからには根拠がある。

けれども考えても考えてもこの先どうしていいか分からない。

ストレスで白髪もチラホラ見えるように増えた。


こんな悩みもため息と一緒に出て行ってくれないだろうかと願いながらふーっと大きくため息をついた。

もちろん悩みは頭にこびりついて離れない。

「・・・悩んでいてもしょうがない。まずは腹ごしらえだな。」

幸い、妻の紬は弁当をいつも作ってくれる。節約にもなるしなにより健康にいい。

いつも外食だと飽きるんだよね。

年齢的にも太りやすく痩せにくくなってるしね。

触ればぽよんといいそうな少しだけお肉のついた自分のお腹を触りつまむ。



「ごちそうさまでしたッ!」

と、弁当を完食しお昼休みが終わるまで残り1時間。

紬の様子が気になり電話することにした。


結婚して3年、ついに妻、(つむぎ)が妊娠した。

性別が分かったのが1ヶ月前。紬の希望通り、男の子だった。

2人でも苦しいのに1人増えるとなるとかなり厳しいだろう。

それでも紬は、苦しいかもしれないけどなんとかなるよ!なんて俺を励ました。

稼げなくて禿げそうなのはおれの頭です。


数回のコールの後、紬が電話に出た。

「もしもし?どうしたの?」

いつもの優しい声色。気持ちが安らぐのを感じる。

「いや、紬どうしてるかなって思って。」

「うん、洗濯物干して、ちょっと台所掃除してたよー。」

「体調はどう?」

「いまは落ち着いてるよ。相変わらず魚の匂いでおぇってなるけど(笑)」

「そっか(笑)手伝えることはやっていくから。」

「ありがと。でも少しくらい動かないと太りすぎちゃうから。んと、あのさ…」

「ん?なに?どした?」

泰雅たいが無理してない?」

「あぁ、大丈夫だよ。自分のペースで仕事できてるから。まだ暇だけど患者さんも徐々に増えていくさ。」

「ならいいんだけど…。身体には気を付けてね。」

「あの時はがんばりすぎたよね。自分で言うのも変だけど。拘束時間酷すぎたし。」

自分の店を作る前、雇われの身だったころ、まさにブラックな会社にいたことがある。

通常業務以外に朝の勉強会、閉店後の反省会という大して意味の無いミーティングにより一日の拘束時間が毎日15時間を超えていた。

しかも薄給だった。

上司のストレスの捌け口なのか人格否定までされるなんてのはザラで肉体的、精神的ストレスの蓄積により身体を壊して辞めていくやつも少なくなかった。

「最近家でもパソコンでなんか仕事してるでしょ?遅くまで。」

「ホームページとかマメに更新しないと。でも無理はしてないから。」

「そう?」

「うん。精神的なストレスがないだけで随分と違うもんだよ。でもちょっとくらいは無理してがんばらないとうまいもんだって食べられないだろ?」

「もうほんとにわかってるの!?私は心配してるの!」

「わかってます!ご心配いただきありがとうございます!」

「ったくもぉー。あ、電話かかってきた、じゃあね、午後もがんばってね!」

「ありがとう。頑張るよ。」

そういって電話は終わった。


もうちょっと話したかったな。

紬の声は俺に勇気をくれる。

精神的なストレスがないなんて嘘だ。

きっとそれは紬もわかっている。

電話が1日中ならないのが3日も続けば発狂したくなる。

それでも前を向いて先に進もうと頑張ろうと思えるのは紬が勇気をくれるからだ。

まだ自分はやれる。がんばれる。

でも最近は…。



…紬の声が聴きたいな…。




誰かの声がする。


2020年1月18日 一章完結。

           登場人物紹介を少しずつ書いています。大きなネタバレはなし。

           興味があれば是非お目通しください。

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