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その夢は蝶の羽ばたき  作者: siki
2/2


 朝。朝比奈 理恵りえは焦っていた。家を出る時間がいつもより遅くなってしまったので、出勤時間に間に合うかギリギリなのだ。


 勢いよく事務所のドアを開けてタイムカードを打てば、始業時間の1分前。間に合った。


 が、大きな音を立てて事務所のドアをくぐって来た理恵に視線が集まっている。幸か不幸かタイムカードの近くに席があるは同じ課の社員だ。

 集まってしまった視線に一瞬動きを止めるも、振り払うようにデスクに向かって歩き出した。


「……うきゃっ!」


 そして、デスク横のゴミ箱に足を引っかけた。

 ガッターン! けたたましい音を立てて倒れたゴミ箱を、持てる反射神経の限りを尽くして即座に元の位置に戻した理恵。

 集まった視線は、すぐに鳴った始業のチャイムによって散っていく。朝のミーティングだ。

 ホッとしたのか、髪の毛が跳ねていないか気になるのか、髪の毛先を撫でる理恵。しかし、理恵と共にミーティングを行う課員たちの視線は集中したままであることに気付いていない。

 何とも微笑ましい光景だった。



 上司による連絡事項が済み、ミーティングは終わる。


 それを待ち構えていた絵里が、早速とばかりに理恵にの肩を叩いて話しかけた。


「こんなギリギリなんて珍しいね。どうかした? 寝坊?」

「そうだよ。テレビ見てて寝るのが遅くなったら、朝起きれなかったの。」

「そういう事ってあるね! そういえば最近、知らない内に痣が出来ててちょっと怖いんだよ。見て、ここ。こういう事ってよくある?」


 絵里はカーディガンの袖をめくって左腕を出している。そこにあるのは10円サイズの青痣。打撲の痕跡。


「そういうの私もある! いつぶつけたか覚えてないんだよねー。ちょっとここ見て!」


 絵里と気の合う理恵も、同じくそういう事が有るらしい。

 席に座ったままで見えるように少しスカートを持ち上げ、ストッキングに包まれた右足を絵里の方に伸ばす。


「あれ? これ?」


 困惑した声を出したのは、その右足の持ち主である理恵。


 その足の脛には痕がある。うっすら赤い打撲の痕跡。

 しかしそれは、記憶にある絵里のものと似た青痣とは違う。まるでぶつけたばかりで青くなる前のような……。


「それって今ぶつけた所じゃない?」

「あれー!? おかしいな、青痣があったはずなんだけど……ぶつけたのって、今だよね? 夢だったのかな?」


 あれー? と困惑したまま首を捻る理恵。

 数分前、衆人環視の中で盛大に音を立ててゴミ箱を蹴倒したのは、記憶は新しい。

 この赤い痕とかすかな痛みは、どう考えても以前からあったとは思えない。


「また夢? 連続で正夢なんてスゴイ!」


 スゴイ! と言う絵里も半笑いだ。

 昨日のミスを防いだ正夢とは、規模に雲泥の差がある。しかも、今回は防げていない。


「こんなの正夢って言うかな? やめてよー。」

「まぁまぁ、いつぶつけたのか分からない痣とかちょっと気持ち悪いし、理由が分かって良かったでしょ! ね?」

「そうかも、しれないけど、……。」


 うぅ……、と理恵は唸る。そんな理恵を面白そうに見ながら、絵里は仕事を開始する。

 すでに始業時間になっている。私語もそこそこに、納得いかないような表情ままの理恵も仕事に取り掛かった。 



_____




 昼休憩。1時間の休憩時間は、今日も女子社員たちの声で賑わう。


「昨日見てたドラマなんだけど、本当にカッコよかったの!」

「うんうん、それで夜更かし?」

「それは言わないでー!」


 理恵が遅刻しかけた原因のテレビドラマだった。


「朝比奈さんの旦那さんって、その俳優さんに似てるんですか?」

「似てない、似てない! あんな若くてカッコいい子と一緒に出来ないよ! 私がまだ若かったらもっとカッコいい人を狙ってみるのになー、なんて!」


 異性の話題は、特に盛り上がりを見せる気がする。

 例え、既婚者だったとしても。

 ちなみに理恵は既婚者で、絵里は現在付き合っている相手も居ない。


「朝比奈さん、全然若いですよ! まだ20代なんですからそんなこと言わないでください!」

「そうだよ! 田中ちゃんは若いからいいけど、私は理恵と同い年なんだからそんなこと言わないで。」

「ごめん、ごめん。」


 誤りながら笑う理恵。

 もう一人の事務員である田中は、私もそんなに変わらないですけど、と一人呟いている。確かにこの課で一番若いが、理恵達と5歳も離れていない。

 20代の理恵達に5歳も離れていない田中、計算できそうだが年齢の話題は禁句だ。考えない方が良い。


「理恵は既婚者だし、田中ちゃんも彼氏いるからいいよね。私も相手が欲しい……。」


 しょんぼり落ち込む絵里。

 よくあることだが、こうなってしまうと二人係りで絵里を励ますミッションが始まる。

 田中と顔を見合わせて笑った理恵がいつものように声を掛ける。


「この前の人にアタックするって言ってたよね? 確かにあれから一回も来ないけど、チャンスはあるだろうから頑張って!」

「誰のこと?」

「そんなこと言ってました?」


 いつものように励ましたつもりの理恵は思わぬ二人の反応に、えっと口を開いて目を丸くする。


「ちょっとやめてよ! 少し前に来た納品のドライバーさん、タイプだって言ってたよね?」


 二人の態度を冗談と判断して、理恵は笑い飛ばすように言う。

 しかし他の二人は「そんなことあった?」「私がいない時ですか?」と、ピンときた様子は無い。

 2対1で分が悪い理恵は、焦った。そして会心の一撃を決めるため、隣の絵里のデスクの引き出しを勝手に開けた。


「今度連絡先渡すんだーって、引き出しにメモ入れてたよね!? ここに……、あれ?」


 ない。声にならずに、唇だけが動く。


「入れてないから、探しても無いよ?」


 呆然とする理恵を見て、絵里は面白そうに笑った。

 仕事で使う机である以上、勝手に開けられても怒ったりはしない。見られて困る物は入ってないのだから。

 それこそ、私用に使うための連絡先の書いたメモなんかを忍ばせていない限り。


「これも正夢になるかな? 今の理恵、下手な占い師より当たりそうだからテンション上がる! 連絡先のメモ、用意しようっと! チャンスは初めの一回だけなんだよね?」

「本当にそんな人が来たらスゴイですね! 名前とか分かりますか?」


 夢だなんて言ってないのに、夢であると決めつけられた。

 嬉しそうに自分の連絡先をメモし始める絵里。占いを前に興奮する女子のように目を輝かせる田中。


 2度あることは3度あると言うなら、これが3度目かもしれない。


 夢だったのかな? と、不安そうに呟くも二人に促されるように理恵は笑顔を貼り付ける。


「ええと……確か、中田さんだったと思う。」

「私好みの顔の中田さんだね! ああー、楽しみ!」

「中田ですか、私の苗字の逆ですね。」

「本当だ! 私がその人と結婚したら、理恵と田中ちゃんの両方の反対の名前になって面白いね!」

「そうなりますね!」


 ウキウキとした様子で、楽し気に話す二人。


 ”りえ”と”えり”は名前が似ている。苗字の方をもう一人の女子課員の”田中”に寄せるなら”中田”だろうか。

 意外性の無い名前。理恵の夢として考え着きそうな名前だ。


 やっぱり夢だったのかもしれないと思いながら、理恵は曖昧に笑う。

 夢と同じことが現実に起こるなんて、滅多にない。ましてや連続で、なんて事は……。



「なんかいつもと違うドライバーさんが来てて卸場所教えて欲しいみたいだから、発注した人行ってくれない?」



 玄関の受付カウンター近くに席のある社員にそう声を掛けられる。

 ハッと立ち上がった絵里は、書いたばかりのメモをポケットに押し込んだ。


「はーい! 私行きまーす!」


 まだ昼休憩が残っているというのに、声を弾ませて玄関に向かった。

 後ろ姿に見える一つにくくられた髪の毛が、尻尾のようにご機嫌に揺れていた。


「絵里のタイプって、人畜無害そうな顔だよね?」

「そうですね。あの人、そんな感じかもしれないです。」

「そんな感じにも見えるけど、理恵のタイプってよく分からないんだよね。」


 いくつか席を挟んだカウンターの向こうに見えるいつもと違うドライバーは、確かにそんな顔かもしれない。しかし、人畜無害そうというものが指すのは顔の造形なのか雰囲気なのか、よく分からない。

 それに、人畜無害というのは褒め言葉ではないはずだ。絵里が好きであるというのだから褒め言葉のつもりだろうが、どうなのだろう。


 そんな感じ男性と、声は聞こえないが楽しそうに話す理恵が、一緒に卸場所まで行くように出て行くのを見送った。



「本当に正夢なのかな?」

「そうですよ! もし名前が違っても、ここまで合ってれば十分スゴイです!」


 楽しそうに笑う田中を見て、理恵は思った。


 胡蝶の夢。蝶の夢か、人の夢か。今が夢なのか、現実なのかが分からなくなる。

 夢が現実になる正夢というものがあるなら、そんなこともあるのかもしれない。なんて。



_____




 お昼休憩も開けた頃、絵里は足取り軽く席に戻ってきた。


「連絡先、渡しちゃった♪」


 ポニーテールを楽し気に揺らし、弾ませた声での報告だった。好感触だったことがわかる。


「名前はどうでしたか?」

「中田さんだったよ! 理恵の夢は正夢だった! 凄過ぎるよね!」

「本当ですか! 凄過ぎです! 朝比奈さんってそういうの多い人ですか?」


 二人の上がり切ったテンションを見て、理恵は若干引き気味だ。


「えっと、正夢とかあんまり見たことないかな? 昨日今日で急にかも?」

「急に? なんでだろう。何か変わったこと始めたりはしてない?」

「特に何も変わりないかな。」


 へぇー。不思議ー。と、声を上げる二人を見ながら理恵はもう少し考える。

 急に霊感が目覚めたとかそんなことは無いはずだ。いつも通りの日常を過ごしていただけで、変わったことはしてない。体調だって悪くは無い。体調は悪くないけど、そういえば無いものがあった。


「……妊娠、とか?」


 ポツリとこぼれた心の声は、はしゃいでいた二人にも聞こえてしまった。


「え!? 本当!? お祝いしないと!」

「本当ですか!? おめでとうございます!」

「いやいや……! 忘れて! ちょっと思っただけだから! そんな事もあるのかなって思っただけだから!」


 そんな事実は()()確認していない。慌てて否定する。

 その様子を見て、状況を察したようだ。


「そうですか。でも、あるかもしれませんよ? 妊婦さんが買ってもらうと宝くじの当選確率が上がるとか聞いたことがあります。正夢で良い事あったのと関係ありそうだと思いません?」

「なにそれ、聞いたことない。何でそうなるの?」

「確か、妊婦さんと赤ちゃんの二人分の運を使えるとかそんな感じだったと思います。」

「それって運使ったら減るんじゃない? 大丈夫?」

「本当ですね! 気付かなかったですけど、そう考えると怖いです! 正夢はやめた方がいいかもしれませんね!?」

「やっぱり!? 私の事で使わせてごめんね! もう大丈夫だから、安静にしててー!」


 あわあわと焦って騒ぐ二人を見て、理恵は噴き出した。


「だから、妊娠したかは分からないって! 偶然正夢になったけど、会社の夢ばっかり見るんだから、ミスだったりいつもと違うドライバーさんが絵里のタイプだっていうのも確率的にあり得るでしょ? たまたまだよ、全部たまたま。」


 それに、もし本当に妊娠していて胎児と二人分の運を使っていたのだとしても、夢を見ないようにする方法なんて知らない。そもそも、仕事の夢ばかりに見ることを悩んでいたほどだ。更にそれが正夢にならないようにする方法など、分かるはずもない。

 結局、なるようにしかならないだろう。


 絵里と田中もそのことに気付いたのか、しゅんとした様子で騒いだことについて謝った。

 そして、止まっていた仕事の手を動かし始めたのだった。

 


 毎日繰り返し、繰り返し、繰り返していく。同じような日と少し変わった日、そして特別な日。

 そんな日常に似た夢を見続ければ、正夢を見ることもあるのだろう。


 この正夢については、ちょっと不思議ないいことがあった。話のネタになる面白い事だった。

 そう思うこと以外に出来ることも無い。

 ……他にあえていうなら、本当に妊娠しているか検査することくらいだろうか。

 



※※※




 まだ、誰も知らない。

 理恵が本当に身籠っていたことを。そして絵里の今日の出会いが結婚に繋がることを。



 今回の正夢は、繰り返した仕事の夢からの偶然だったのだろうか?

 それとも、二人分の運を使っていたのか?

 運というものが見えない以上、無いとは言えないが使っていたかは分からない。使っていても、減るようなものかも分からない。


 夢から”胡蝶の夢”が連想されたなら、その蝶で連想できるのは”バタフライ効果”だろうか。

 一匹の蝶の羽ばたきが、遠く離れた場所で竜巻を起こすことがある。

 日常の延長である信じられないような小さな出来事が、未来に影響を与えたのかもしれない。


 果たして、この夢は何かに影響を与えたのだろうか。

 そんな事は分からない。


 ただその夢は、同僚であり友達である一人の数年後の結婚相手と結び付けた。

 早めに妊娠に気付けたこともあるのか、健康な男児が生まれた。


 喜びを分かち合う事。それが今出来る最善。




仕事の夢、ミスの夢、曜日感覚のずれ、知らない内の痣。そんな事は有りませんか?

女性と限りませんが、身の回りで聞いたよくある話一つにまとめて正夢にしてみました。

日常の一コマが喜ばしい未来に繋がっていたら嬉しいですね。

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