03-1
■03■
気付いた時、身体が冷たくてとても寒かった。
全身が濡れていて怠く、あまり動けない。
だがゆっくりと、上半身を起こしてみる。
手を、伸ばす。
指先が〈何か〉に触れた。
――あれっ?
もっと〈向こう〉が見えているのに、そこで止まってしまった。
ああ、ここに〈何か〉があるのだ。
「お、おい……あれ」
透明な〈何か〉の向こうに五人ほどの人が居て、少し驚いたような、怒ったような表情でこちらを見ていた。
「これは……」と、向こうのひとりが呟く。
「先生っ、これってもしかして、成功したんじゃないですか!」
「そうだよ、そうだぜ! 動いてるし、ちゃんと五体満足でこっちを見てる!」
はしゃぐ三人と、身動きしないふたり。
それがヴィヴィアンが初めて見た〈あいつら〉だった。
「ジョージ、ギル、バート、はしゃぐのは止めたまえ!」
怖い顔の男が怒鳴ると、背後の三人が戸惑ったように大人しくなる。
「どう言う事だね、ユージン。説明したまえ」
ユージン、と呼ばれた若い男は真っ青になり、小さく震えていた。
「やはりお前、あの時何かを〈入れた〉だろう!」
「先生はいつも失敗ばかりして、ホムンクルスひとつマトモに作れた試しがなかっただろう! だから、アレンジしたんだ! 成功したじゃないか、感謝しろよ!」
「バカな事を! 材料を追加するならするで、なぜもっと素材を選ばん! 見たまえ、こんなモノを作り上げてしまって、どう言い訳する気だ! お前ひとりの生命で償えるとでも思ってるのか!」
「あんたは悔しいんだ、そうだろ? エグバード先生。学生の俺達が、初めての人工生命の実験で成功してさ、憎いんだろ、惨めなんだろ、嫉妬してるんだろ! これは、俺達四人の作品だからな!」
ユージンが高らかに、やけくそ気味に笑っていると、その身体が突然吹っ飛び、壁に激突したのが見えた。
「こんなモノを表に出せるわけがないだろう! お前、自分のやった事が分からないのか!」
先生、と呼ばれている男が怒鳴り返した。
「見ろ! よく見ろ! こいつの顔を見るがいい!」
ユージンはエグバードに首の後ろを押さえつけられ、こちらに顔を寄せた。
チラリと一瞥して視線を反らし、嫌悪感丸出しの息を吐き出す。
「あの女と同じ顔をしているではないか! 髪の色も目の色も、全く同じだ! どう責任を取るんだ!」
「知るかよ! 髪を持って来たのはアンジェリカだ、あんたの元教え子のな!」
「アンジェリカ、あいつか……! 今、宮仕えの下っ端をしていると聞いたが。あのクズ!」
「可愛い後輩の俺らに協力してくれたんだとよ。あんたの責任で皇女のバケモンを作らせて、追放とか死刑とか拷問とか、そう言う罰でも受けさせたかったんじゃないのか? どうせ恨まれてるんだろ? あんた、ロクデナシの教師だからな!」
「こ……の!」とエグバードが唸ると、再びユージンの身体が飛んだ。何かが潰れ落ちるような、鈍い音が小さく響いた。
「ジョージ、ギル、バート。こいつを始末するぞ」
「えーっ、そんなぁ! せっかく成功したのに……ぐふっ」
ひとりの口から、大量の血が溢れ出た。
「成功? いいや、失敗作だ。お前達、これが公になったらどうなるのかまだ分からんのか。皇女の遺伝子を実験に使ったんだぞ。淀んで蠢く細胞の中に、皇女の髪を投入したんだぞ。不敬にもほどがある。どんな咎めを受けても、文句は言えん。それほどに恐ろしい事をしたのに、理解すら出来ないのか」
エグバードが低い声で言い聞かせている。言い聞かせると言うよりも、脅迫であった。
「わたしが責任を追求されるような事があれば、お前達も一緒に地獄に道連れだ」
その言葉に、誰も反論しなかった。出来なかったのだ。
「これは始末してしまおう。誰かに知られる前に、葬るぞ」
エグバードの言葉に「ちょっと待てよ」とユージンは言った。
「みんな必死で頑張ったのに、ただ灰にされてたまるか……」
「ふん、産廃をどうしようと? 言っておくが、こいつの髪も血も細胞のひとかけらすら、残す事は許さんぞ」
「じゃあその細胞が全滅するまで、俺達にやらせろよ」
「何をだ」
「攻撃魔法の実験台だ。縛り上げて樹に吊るし、的にする」
「リンチか――その提案は小気味よいな。それならば許そう。森の奥に運ぶがいい。他人が入って来れない結界を、わたしが張ってやる」
「私はその後、透明な瓶から引っ張り出され、その言葉の通り、攻撃魔法の的にされたの。毎日、毎日、何時間も身体を燃やされ、切られ、針がのめり込むような痛みに泣き叫んだけれど――死ねなくて」
悠真は吐きそうになっていた。
ヴィヴィアンの言っている事が分からない。いや、分かりたくない。
嫌悪感で全身が満たされ、目眩が治まらない。
「だけどある日、クーちゃんが私を見つけてくれたの」
ヴィヴィアンが瞳を閉じて、小さく微笑む。
「後から聞いたんだけど、結界が綻んでいたんだろうって。だからきっと、自分は足を踏み込む事が出来たんだと思う、って。私、吊るされてたんだって。降ろした後、声をかけても、肩を揺すっても、私は目を開けたまま呼吸をくり返すだけで返事もしなかったから、少しずつ殴る手に力が入って、最後にはケリを入れたんだって。酷いよね。でも……私、クーちゃんの顔が初めて意識の中に入って来た時、泣いたんだよ。初めて会った人なのに。あいつらみたいに酷い事をする人かも知れないのに。でも、分かったの。この人、私を蹴っているけど、あいつらとは違うんだ、って」
涙をポロポロ零しながらヴィヴィアンは笑う。
「クーちゃんに助けられた最初の頃、私はボーッと意識を飛ばす事が多くて、蹴ったり殴ったりしないと気付かなかったらしいけど、最近はビンタやグーパンですら痛いんだよ、私。すごいよね」
空の世界の事は、悠真には分からない。
学校とか先生とか攻撃魔法とか、地球の常識とはあまりにも違うから。
でも、そのような魔術やオカルトが地球にも存在している事は知っているし、悠真はそれらの恩恵を受けてもいた。
「悠真がミルドレッドを助けに行きたいのは分かる。でも私、悠真にはあいつらと接触して欲しくないよ。これ、わがままなの?」
「僕がその頃のビビアンみたいに、酷い目に遭うかも知れないから?」
「それだけじゃない……私、ひとりになりたくない。ミルドレッドが酷い目に遭ってるかも知れないのに、わがままだよね。わがままなんだよ。私、悪い子だよぉ」
ひとりで膝を抱え泣いているヴィヴィアンに対し、慰めの言葉も出て来ない。
このロープから出てしまえば、百鬼に見つかり八つ裂きにされる。
誰の助けも借りずに神社を抜け出す事は出来ないだろう。
今は、ここで待つ事しか出来ない。
朝になればきっと、化け物達はここから消える。
今、自分に出来る事は――ヴィヴィアンの傍に居てやる事だけ。
「地球で暮らしたいから〈宿り木〉が必要なの?」
「うん。クーちゃんが、もう空には戻って来るな、って。お前は居てはいけないし、居場所も無いよ、って」
自分の存在を全否定されるって、どう言う気分なのだろう。
それも〈敵〉ではない、助けてくれたクーちゃんにまで宣言されるの、って。
お前の居場所は無いんだぞ、って。
――絶望、とかかな。
自分なら耐えられるだろうか。
そんな酷い目に遭わされて、やっと助けてくれる人に出会って、その人からも居場所の事で追い出される、なんて。
ひとりぼっちになるのは、怖いと思う。
しかも、わざわざ波動を書き換えなければ居られないような遠い地球で、ひとりぼっち。
小さな居場所である〈宿り木〉すらも、無い。
探しているのに、見つからない。
可哀想に。と、悠真は初めて思った。