02-1
■02■
トバイアスが権利を持っている温泉、とは。
空に暮らす彼が地上で代理人を選び、その人物に指定の土地を購入させる。
そこには豊富な湯脈があり、ちょっとボーリングすれば温泉が吹き出した。
地熱発電だの温泉だのあらゆる利権が絡んで、巨大な金が動いている。
そのような土地、らしい。
現在はミルドレッドがトバイアスの代理人として動き、彼に報告を行っている。
などと言う説明を、ミルドレッドの運転するセダンの中で聞かされた。
悠真は後部座席に眠るヴィヴィアンとふたり、並んで座っている。
結局オーフェリアは店に残り、悠真はヴィヴィアン、ミルドレッドと共に温泉へと向かう事になった。
目的地は自宅から約二時間ほどの山中だそうだ。
――往復四時間なら、日帰り出来そうだけど。いや、運転する方はキツいよね。うん。日帰りはムリだぁ。
お金を出してもらっている身でありながら学校をサボるなんて、申し訳なくて良心が痛む。
一昨年、祖母が他界してしまってから、遥斗が生活全て面倒を見てくれている。
店番くらいしか出来ない自分を常々、情けなく思っていた。
なのに、なのに、学校を休んで温泉だなんて。
――でも、今回は仕方ないのかなぁ。
ヴィヴィアンの事は心配だし、〈宿り木〉を欲しがる事情もよく分からないし。
と言うか、この人達は何なんだ。
「その〈空〉って大雑把に言うと、どんな定義の場所なのですか」
車は峠道に入っており、鬱蒼とした樹木の隙間から時折、オレンジ色に輝く夕日が車内に差し込んでいた。対向車もなく、今のところ順調に来ている。
「そうね、人の言葉では楽園、かしら。それとも天国? 端的に言うと〈天帝〉がいらっしゃる所よ」
――わお。天国だって、パラダイスだよ。すっごぉ~い。
などと心の中で茶化してみるが、気持ちは盛り上がらない。
天国、などと言われてしまい、興味が冷めてゆくのが分かった。
「空に暮らす者達は、人から見れば……精霊? 妖精? 妖怪? 妖魔? そのような〈エネルギー体〉と言う表現が近いと思うわ。こちらの科学者がまだ解き明かせていない、暗黒物質の一部なの」
「ダークマターってヤツかな、そうなんだ」
「星が動いているのは、知ってるわよね?」と言う問いに「はい」と答える。
「ホロスコープって、分かる?」
「詳しい事は僕には分からないです。けれど、周囲にはそれを〈読む〉人は居るから、何となく分かります」
「そうなの? 人間にしては珍しいお知り合いが居るのね。ホロスコープはね、時計なの。あれが指し示すように事象が動くわ。その時計は空も地球も共通でね、似たようなタイミングで似たような出来事が起こると言われているの。似たような時代に産まれると言う事は、同じ世代を生きろと言う意味で……ふふっ。私もあなたもこの子も、同世代・同時代の仲間ね」
分かるような、分からないような。悠真は何となく笑っておく事にした。
「でも私やヴィヴィアンは空から来たから、地球じゃ〈そのまま〉では過ごせないの。身体の中の〈波動〉を地球に合わせて〈書き換え〉ないと動けなくなるわ。方法はひとつだけ。でも手段はいくらでもあって、それは〈大きな自然の中〉へしばらく潜む事よ。地球のエネルギーを体内で使るよう、システム的なモノを〈書き換える〉の。この子が疲れてるみたいだから、温泉へ連れて行こうと思ったのよ。チャージも兼ねて」
「地球で過ごすのは、大変なんですね」
「仕方ないわ、〈世界〉が違うのだもの。でも、それくらいの手間をかけなければ、今よりもっと行き来が増えて、秩序が保てなくなる危険性もある事だし。敵意を抱いた宇宙人なんかにウジャウジャ来て欲しく無いでしょ」
「もちろんです」
「まぁ、この峠を走ってるだけで本当は随分とラクになれてるはずだけど、やはり温泉は気持ちいいしね」
「あの、あなたはこの子とどう言う関係、なんですか」
「ミルドレッドでいいわよ」
「ミルドレッド……さん」
「ん~、そうねぇ。私もこの子も、大切な人が居るの。お互いの大切な人同士が仲良しだから、彼らを通しての知り合い、ね」
「それで彼女の面倒を見てるんですね」
「あら、あなたは放っておけるの? 知り合いの子が遠い町で迷子になり、泣いているのを見て」
「いや、それは」
「でしょ」と言って彼女は口を閉じた。
その後、沈黙が流れる。
悠真は単に会話が終わったようだ、と思ったのだけれど。
数秒後。
狭い峠道で車は、急ブレーキの唸り声を上げた。
身体がガクンと前後に大きく揺すられ、シートベルトが食い込む。
息が止まるほどの衝撃で、頭の中に星が飛んだ。
「……っ?」
呼吸を止めて前方を見ると、スクリーンに夕日が反射しているような色彩に覆われていた。
煙っているのだ。細かな粒子が、夕陽の輝きを含んだ状態らしい。
色、だけではない。音や重力も違和感がある。さっきまでと違う。
身体に振動が伝わり、周囲に響き渡る重低音。
車は突然、バックを開始していた。
身体に圧がかかるほどに乱暴な動きである。
「どうしたんですか!」と言う疑問どころか、驚きの悲鳴も出ない。
すると今度は背後の方で、似たような音と衝撃が上がった。
車は再び急停止する。甲高いブレーキ音が耳障りだった。
再びシートベルトが身体を強く止めてくれて、やっと全てが停止する。
驚き過ぎてすぐには話せなかったけれど、しばらくして悠真は震える声を出した。
「何……どうしたんですか」と。
質問を投げかけてみるのだが、すぐに返事がもらえなかった。
どうしたのだろう、と不安が大きくなる。
左隣に座っているヴィヴィアンが、悠真の腕をきゅっ。と握って来た。
窓の外からカツン、と音が聞こえた。
――なにっ?
驚いてフロントガラスの外を見ると、夕日が乱射している砂煙の中に、人のシルエットがあった。
「失敗作を探していたら、まさかあなたに会えるなんてねぇ。ミルドレッド先輩」
男の声だ。
年齢は、自分達と同じくらいか。少しだけ上、かも知れない。
成人、と言う感じの声ではない。
「こんな強引な手段で車を止めるなんて、危ないわ」
気配は、車の前後にひとりずつ。
「失敗作が逃げ出して、空中探したけれどどこにも居ない。まさかと思って来てみたけど、本当に地球に来ていただなんてさ。それだけでも驚きなのに、先輩がご一緒とは」
徐々に煙が落ち着いてゆく。
前方のシルエットも、こちらに近寄って来る。
そして少しずつ、その人物が見えてきた。
胸ポケットに紋章の入った白いシャツと、濃い緑色のネクタイを着用した、高校生くらいの男だった。
短めの黒髪で、賢そうだが冷たい笑顔を張り付かせて、感じが悪い。
ヴィヴィアンが、悠真の左手を強く握って来る。
小さな手は、震えていた。悠真は黙ったまま、なるべく優しく握り返す。
視線を向けると、ヴィヴィアンは顔を強張らせ、大量に涙を流し前方を見ていた。
手だけが必死に、悠真に縋り付いている。
――えっ?
泣くほど怖いだろうか。小さい子だからこんな事故は怖いかも知れない、けれど。
けれどヴィヴィアンの表情はあまりにもつらそうで、悠真は違和感を抱いた。
『クェンティンよ。殺されそうだった私を、助けてくれたの』
――追いかけて来た、この人達が?
この小さな子を追い詰めていたという、犯人?