01-2
店まで連れ帰り、扉を開ける。心地のよい鈴の音が、小さく響いた。
「おかえり」と声をかけてくれた店番をチラ見して、少女の顔が真っ赤になる。
――ん?
「あ、あの人……だれ?」
「うちの同居人のオーフェリアさんだけど、それがどうかしたの?」
少女はくるっと周り、悠真の背後に隠れた。
そして、ちらりと顔を覗かせ、オーフェリアを見つめている。
――な、何? どうしたのっ?
ちょっと引き気味に思っていると、オーフェリアも不思議に思ったらしく「どうしたんだ、その子」と言った。
「うん……この子、公園で転んでね。あんまり汚れてるから顔だけでも洗ってもらおうと思って、連れて来たんだけ……ど」
制服の後ろ衣がクイクイ、と引っ張られる。
「な、何?」
「カコイイ」
小さな声だった。少し聞き取り難い。
悠真は「は?」と呟きながら身体を曲げ、少女に耳を近づけた。
「ドキドキする! 好きになったかも!」
悠真は姿勢を元に戻し、オーフェリアに苦笑いを向けた。
オーフェリアが女性に好かれるのはいつもの事であり、特別に驚くような事ではない。
彼女のファンは老人から園児まで、男女問わず多いから。でも。
――この子多分、人間じゃないと思うんだけど……そんな子までときめいちゃうの?
オーフェリアは涼しげな緑色の瞳と、滑らかな白い肌を持つ細身の美女だ。
光沢のある黒髪は後頭部で結い上げられ、確かにキリッとした印象を受ける。物腰も穏やかだし、気品ある貴族の子息みたいだと評される事が多い。
――僕にとってはナイト、だけどね。
幼い頃、彼女に助けられたから自分はここに居る。
「オーフェリアさん、鏡取ってもらえるかな?」
「あ、ああ。どうぞ」と渡されたのは、客がアクセサリーを選ぶ時に使用している置き鏡だ。
もちろんそれも、アンティークのデザインが施されている。
装飾された楕円の鏡を覗き込んだ少女は驚いたように目と口を開け、慌てて目を反らせた。
そして悠真に向かって小声で言う。
「お顔汚れてるぅ~」
半泣きで。
「奥に洗面所あるから」
「えっ、いいの? 使うよ? 使っちゃうよ?」
「う、うん。そのつもりで来てもらったんだし。案内するよ、どうぞ」
少女はオーフェリアと角度をとりながら、悠真の身体の影に隠れ、移動する。
まとわりつかれ、すごく歩き難い。
けれど何とか、店と自宅の境の扉を開け、奥へ行かせる事に成功。
「どっち? どこ、洗面所っ」
「左手の突き当たり」
「ありがと。それと、タオルも借して欲しいの」
「ど、どうぞご自由にお使いください」
タオルを貸すのなんて予定のうちだけど、向こうからグイグイ来られると、ちょっと引く。
あの愛らしい外見から受ける印象とリアクションが、何か違うな。
オーフェリアに会って、理性が飛んだのかも知れないが。
廊下の奥から水音と、「ひぃ~ん」と言う泣き声が聞こえた。
もしかして水が傷にしみて痛いのだろうか。
でも頑張って顔を洗っているようである。
――そんなに綺麗になりたいかな……無理しなくていいのにな。清潔になれば、それで。
少女の顔立ちは可愛くて、綺麗でもあった。そこらに居る幼女とは比べ物にならないほどだ。
睫毛は長く、瞳はガラスのように透明で、くちびるは果実の色だった。
近所の子達とは、素材からして違うのが分かる。
「ふえ……やっぱり痛いよぉ」
悠真はため息を吐いて、洗面所へと向かった。
見てみると、その口元から赤い筋が流れ落ちていた。
「口の中、切っちゃったんだね。うがいした?」
少女はコクンと頷く。
「じゃあもういいよ」と言って水を止める。
口元の赤い雫をタオルで拭き取ってやった。
「……お着替え、ある?」と催促されたが、この家に小さな女の子の服は無い。
人形の衣装はさすがに小さいし。
――この子の服白いから、確かに汚れが目立つなぁ。近所回って聞いてみよっかな。女の子が居る近所のお家は、あそことあそこと、あそこと……それから、えっと。
頭の中で何カ所かピックアップする。
「借りて来てあげるから待ってて。その汚れた服で、オーフェリアさんの前に出たくないんでしょ」
少女は数秒固まった後、頬を染めてコクン、と頷いた。
悠真は狭いリビングに少女を連れて行き、ソファの上に座らせる。
ジュースか何か出してあげようかと思ったのだが、水が染みるほどに口の中を切っているなら、しばらく飲食させない方がいいだろう。
「ここで待ってて」
そう言ってリビングを出ようとすると、不安そうな声で少女は言った。
「は……早く帰って来てね」
悠真は小さく笑い、「うん」と言って部屋を出る。
服を借りた和菓子屋の若奥さんと、お茶屋のおかみさんと、団子屋の娘さんが、少女を見に付いて来た。
服を借りた手前、断る事は出来なかった。
悠真はリビングで待っていた少女に服を渡し、着替えてもらった後、店へと呼んだ。
少女はおずおずと、扉の奥から姿を現した。
白地に赤いチェック柄のワンピースには、襟と袖の縁に小さな白いレースが付いていた。ローウェストには白いリボンが付いている。
コーディネートなど全く分からない悠真は、借りて来たのをそのまま少女に渡しただけだ。
なのにニーソックスまできちんと履き、服をちゃんと着こなしていた。
彼女が着ていると単なる服が、衣装のように華やかになる。
——あぁ、顔が可愛いって得なんだな。女子が必死に化粧をするわけだ。
悠真は服を貸してくれた奥さんに「ありがとうございます」と礼を言い、小さく頭を下げた。
「いいのよー、うちの子にはもう小さいし、バザーにでも出そうと考えていたところなの。まぁ、こんなに可愛い子に着てもらっちゃって、嬉しいわぁ。天使みたいね」
――いや、それは褒め過ぎのような気が。まぁでも、女の人は好きだよね。天使とかって表現。
「あなたに差し上げるわ、お嬢ちゃん」
少女の顔は強張っていた。
初対面の人に緊張しているのか、照れているのか分からない。
でも小さい子は、結構こんな態度だよね。と思う。
「いいんですか。ありがとうございます」と悠真は再び頭を下げた。
フと見ると、少女の、オバさん達を見る目がちょっと据わっている。
見知らぬ人達がオーフェリアを取り囲んでいるのを見るのは、イヤな気持ちなのだろう。
その顔に『追い払いたい』『どっか行け』と書いてある。
子供が黙ったままそんな表情をしているのは、結構怖いな。
続いて、その視線がこちらに流れて来た。
『早く追い返せよ』と言わんばかりの視線が、悠真に突き刺さる。
そんな目で見られたって、あのオバさん達を追い払う術など自分には無い。
――どう断れって言うの? 単に店に来て喋ってるだけの人達を。器物破損も名誉毀損も、何もしていないし。そんな人達だから、警察を連れて来たって追い返せないのに。
オバさん達は悪い人達ではないし、時々差し入れとかもしてくれるし、色々とお世話になっている。
分からない事や困った事があれば、いつだって相談に乗ってくれるのだ。この商店街の人達は。
確かにオーフェリアに向けられる好き好き光線は鬱陶しいものの、犬や猫やアイドルを愛でているのと同じで、実害は無いし。
――だから、追い返せないよ。
悠真は少女に笑って見せた。表情筋が引きつっているのを感じながら。
「本当に、羨ましいくらいに可愛いわぁ。お嬢ちゃん、お名前は何て言うの?」
「ヴィヴィアン……」
頬を染め、低い声で答える。
「まー、ビビアンちゃん! 可愛いわねぇ~」
「オーフェリアさんのご親戚か何かかしら」
「え? えぇ、まぁ、そのような子です」とオーフェリアも適当に合わせた。
「後でおやつ持って来てあげましょうねぇ」
「いえそんな、お気遣いなく」
「遠慮なさらないで~。同じ町内に住む者同士、仲よくしましょ!」
「あ、ありがとうございます」
オーフェリアがレジカウンターへ追い詰められ、逃げ場を失いかけた頃である。
店の扉が開いて、客が入って来た。
大学生くらいの四人組で、オーフェリアに「こんにちは」と言った後、アクセサリーを物色し始めた。
彼女達も常連で、オーフェリアを気に入って通ってくれている。
ただでさえ狭い店が、窮屈になった。
「あらアタシ達、お仕事のジャマね。帰りましょうか、店もあるし」
「そぉですね」
「じゃあオーフェリアさん、またね」
それぞれ手を振り、出て行った。
店の外からでも、あの三人の笑い声が聞こえる。
ふぅ、と三人で息を吐く。
エネルギッシュ過ぎる女性と言うのは、実はちょっと苦手だ。
――何を食べてたらあんな元気で居られるんだろう。
悠真は呆れた気分で出入り口方面から目を反らし、ヴィヴィアンの方に視線を移す。
彼女は頬を染めたまま、オーフェリアを食い入るように見つめていた。
オーフェリアの方は、引きつり笑いで視線を店内に泳がせている。
ヴィヴィアンの強い視線が、彼女をあのような表情にさせているのだ。
好かれ過ぎると言うのも、気の毒だな。
「ビビアン、ちょっと来て」とその腕を引っ張ると、彼女は少し不満そうにこちらを見上げた。
「オーフェリアさん、少し店番お願いします」
「あ、ああ」
店の扉を閉め、再びリビングに戻る。
ヴィヴィアンをソファに促し、座らせた。
悠真はその正面にしゃがみ込む。
そして、目を見つめて。
「改めて聞くけど」と切り出すと、ヴィヴィアンの頬がピクッ、と動いた。
「〈宿り木〉、どうするの」
「あなたに関係ないもん」
「探してここまで来たんだよね」
「そうだけど、ここには無いんでしょ。なら、どこかに探しに行くから」
そう言って立ち上がり、部屋を飛び出そうとしたヴィヴィアンの腕をまた掴む。
「教えて。どうしてここに来たの? 情報源が知りたいんだけど」
「情報源とか知らない……ただ、クーちゃんが教えてくれたから」
「クーちゃん?」
――だ、誰? それ。
クミちゃんだろうか、クルミちゃんだろうか。いや、そんな名前の心当たりは居ない。
――他に〈ク〉が付きそうな名前……えっと?
――楠崎、栗本、久保田……うわ、無数に居そうだな。
悠真はこれまでのクラスメート達を思い浮かべていた。〈ク〉を名前に持つ人物は無数に居るではないか。
「クェンティンよ。殺されそうだった私を、助けてくれたの」
衝撃的な言葉に、悠真の息が止まる。
――殺……され? こんな小さな子が?
お仕置きされそうなほど悪い子だとは思えない。
確かに少し図々しいけど、殺されるほどではないと思う。
「地球での緯度と経度を聞いて、やっとここまで来たのに、無いんだもの。他で探すしかないでしょ。だから私、もう行くから!」
強く腕を振り払われ、悠真は「ひとりで?」と問いかけた。
「他に誰もいないもんっ」
「て、手伝いましょうか」
思わず敬語になってしまった。
「結構よ、遠慮するわ」
不機嫌な声で言い捨て、ヴィヴィアンは店へ続く扉に向かう。
「あのさ、きみの服、今、洗濯してるからっ。取りに戻って来るよね?」
小さな身体がピクリと反応する。
「戻ってくれば、オーフェリアに会えるよ?」
静かに問いかける。
彼女は数秒、小さく震えた後。
くるっ。とこちらを振り返る。
その顔は真っ赤に染まり、怒ったような表情を浮かべていた。
だがしかし。
その大きな瞳だけは怒っていなかった。
必死で笑いを堪えているのが分かる。見ていて、こちらが恥ずかしくなるくらいだ。
「戻って来ればいいんでしょ、戻ってくれば! そんなに言うなら、戻って来るわっ」
「暗くなる前に戻って来るんだよ。この周辺は、詳しくないでしょ」
「子供扱いしないで!」
扉は強く閉められた。
『おでかけ?』とオーフェリアの声が聞こえる。
『は、はい』と、ヴィヴィアンの小さな声も。
『そう。気をつけるんだよ。ヘンな人に付いて行っちゃダメだよ』
『は、はい……では』
『行ってらっしゃい』
扉が開閉したのだろう。小さな鈴の音が聞こえ、そして静かになった。
悠真はリビングラックに置いてある小物入れから、小さなヒトガタを取り出した。
そして、それに息を吹きかける。
息の中には喉で作った〈言葉のようなもの〉つまり〈呪文〉が混ざっており、吹きかけられたヒトガタに変化をもたらす。
すると、それは。
床の上にひょこ、とひとりで立ち上がり、短い足で歩き始めた。
「あの子を見守ってあげて欲しいんだけど」
丸い点の瞳がふたつ、悠真の方を見上げた後、黙ってコクコクと頷いた。
「ありがとう。頼むね、ジンジャー」
ヒトガタは、悠真が小さく開けた窓からスルッと外に飛び出し、地面に着地。
再び普通に歩き始める。
「あいつダンボールだからなぁ。雨、降らなきゃいいけど」
悠真は空を見上げた。
多少曇っているが、降りそうな気配はない。
地面に視線を戻すと、身長十センチほどのダンボールヒトガタが短い足で歩いてゆく。
小さく揺れて、結構愛らしかった。
――見れば見るほど、ジンジャークッキーまんまだなぁ。
ダンボールを切ってヒトガタにしたのは自分だが、色と言い形と言い、そのまんまである。点の丸い目と口をマジックで書き込んだのも悠真だ。
「あいつの目撃証言が増えたら、地元の都市伝説や怪談が増えたりするのかな」
これまでも何度か他人に見られはしたが、そのタイミングでぱたん、と地面に伏せさせた。
すると目撃者は「ダンボールが風で転がって来ただけなんだな」と認識し、そのまま去って行く。
いや、数人はゴミ箱を探してそこに入れてくれた人もいるけれど、そんな親切な人はめったにいない。