07-5
『僕が……僕こそがきみの〈宿り木〉だ!』
悠真はそう叫んだと思う。
上手く声に出来ていたかどうかは、分からない。
ヴィヴィアンが悠真の〈空間〉に飛び込んで来たのは、物理的な時間など関係無かったと思う。
気付けば悠真を通り越し、背後にまで走り込んでいた。
悠真はヴィヴィアンを視線で追って、振り向く。
そこは白い世界で、何も無かった。
――これは……ここは〈宿り木〉の中?
走り抜け、行き過ぎたヴィヴィアンがスピードを落として、こちらを振り返る。
「ゆ……悠真」
涙を零して、もう一度こちらに走って来る。
悠真は上半身を起こして座り、両腕を広げて彼女を受け止め、抱きしめた。
「怖かったね。でももう大丈夫だよ。きみはこれから〈ここ〉に居るんだ。もう他へ行く必要はない」
ヴィヴィアンは悠真の胸の中で泣きじゃくった。
怖い過去からの迎えだなんて、想像しただけでゾッとする。
自分は母親のナイフ一突きで死ぬ事が出来たけれど、この子は違うのだから。
死ほどの苦痛を、ずうっと継続させられていた。
そんな場所に戻すわけにはいかない。
何度も「大丈夫」と声をかけ、ヴィヴィアンの髪を撫で続ける。
「それにしても〈宿り木〉の中って、結構広かったんだなぁ。初めてだよ。こんな場所を見たのは」
身体の中にこんな空間があるなんて。
『そう……そうなの。じゃあこの子ごと連れて帰るからいいわよ?』
外からアンジェリカの声が聞こえた。
ヴィヴィアンはビクッとして、振り向く。
声の方に視線を向けると、身体の外の世界が見えた。
あの部屋の壁や天井をバックに、アンジェリカがこちらに手を伸ばそうとしている。
胸の中に居るヴィヴィアンの身体が、再び強張った。
そして。
「い……いやあーっ!」
ヴィヴィアンの絶叫が響き渡り、悠真は息を飲み込んだ。
その時、背後からゾクッとするような気配を感じて、そちらを振り向いた。
遠くから……距離など掴めない遥か遠くから〈何か〉が迫って来る。
それは畏怖、とでも言うのだろうか。
圧倒的な〈何か〉だ。
正体など遠くて分からない。
心に恐怖がそそり立ち、身動き出来なかった。
ほんの数ミリしか確認出来なかったそれは急激に近づき、大きくなり、自分達を追い越し、外の世界へと飛び出して行く。
『ひっ』と、息を吸い込む音が聞こえた。
『あ……あああ!』
関節が外れてしまいそうなほど大きく口を開け、ガタガタと震えだすアンジェリカ。
『ゆ……ゆるし……!』
悠真の視界の中で〈それ〉は一瞬にして膨張し、見ていられないほどに発光し、そして。
意識をアンジェリカへ向けたのが、分かった。
突然、周囲が闇に包まれる。
〈宿り木〉の中だけはさっきまでと同じで明るいのだが、外に見える〈あの部屋の中〉が真っ暗になっていた。
暗い中に、あの女と〈それ〉だけが居る。
そして、数瞬の静寂の後。
金色に銀色に輝く稲妻のような、炎のようなエネルギーがどこからともなく吹き上がり、まるで蛇のように、龍のように、帯状の身体をくねらせた。
悠真は、マグマの映像に似ていると思った。
帯の周囲で、飛び散る無数の光がスパークしている。
弾ける無数の光はアンジェリカに降り注ぎ続け、絶叫を上げさせている。
雨のようにいつまでもいつまでも降り止まない光と、それに抗う事の出来ない、逃げる場所も無いアンジェリカ。
そして煮えたぎる熱を放出して止まない光の本体は、勢いを殺す事なくターゲットへと向かった。
あの女へ。
目玉をむき出し、絶望的に顔を歪め、恐怖に全身の筋肉が硬直してしまっている様子の、あの女へ。
アンジェリカへ――。
光の帯に巻き込まれたアンジェリカは燃え上がり、灰も残さず燃え尽きた。
ほんの、数秒の出来事だったと思う。
何があったのか、悠真には理解出来なかった。
アンジェリカが燃え尽きた時にはもう、恐怖の気配は消えてしまっていた。
あまりにも巨大なエネルギーが姿を消し、ホッとしたのだと思う。
身体がガクガクと震え、両足を前に投げ出し、悠真は座り込んでいた。
全身に冷たい汗をかいて、猛烈な吐き気に襲わながら。
――い、今の……!
意識の中に残像が残っている。
今、自分達を通り過ぎ、アンジェリカを燃やしたのは〈顔〉だった。
大きな顔であった。
悠真の中学の校舎全体よりも、面積的には大きかったような気がする。
その顔の目は閉じられており、眉間に少し縦ジワが入っていたと思う。
女の顔であった。
女と言うより女の子、くらいだったような気がする。
そいつの顔がターゲットへ近づくにつれ、閉じていた目が開いてゆく。
その時にはもう、光の帯は部屋中に伸び、暴れ回っていたと思う。
瞳はゆっくり、ゆっくり――アンジェリカを目指して。
それが目的で。
瞳が開ききった時、アンジェリカは燃えた。
顔に一睨みされ、彼女は燃えた。
その視線が、トドメを刺したのだ。
ほんの数秒の、たったの、一睨み。
それだけ。
それだけで、終わった。
終わって、しまった。
「悠真、今の……?」
悠真は首を横に振った。
あれが何か、なんて分からない。
ただ昔、よく似た感覚を抱いた事がある。
どこかの寺だったか、神社だったか。
像がたくさん安置されている場所に連れて行ってもらった事があった。
観光地だったような気がするから、京都や奈良だったのかも知れない。
幼い頃の記憶なので、そこら辺はあまり鮮明ではない。
だが。これとよく似た恐怖を味わった。
いや、別に攻撃されたわけではない。
ただ、怖いのだ。
とにかく怖いのだ。
理由や意味なんて分からない。
冷徹なエネルギーが悠真の全身に突き刺さり、その後、高熱を出して一週間寝込んだ。
それほどに怖かった。
その時の経験で感じた鋭利さに、よく似ている。
もちろん今、目の前で見た強烈さより、何十倍も何百倍も、何千倍も、何億倍も、薄い微かな経験だったけれど。
――……神?
ぽつり、と心が呟く。
――だけどあの顔、ヴィヴィアンに生き写しだった。と言う事は、今のあれは……。
慈悲など無い、力の塊。
同情や優しさなどありはしない。
強過ぎるエネルギーに対する、原始的な恐怖。
力が抜けて、身体が崩れ落ちる。
ヴィヴィアンの悲鳴が聞こえ、身体が揺すられているけれど、それに応える事は出来なかった。
――そう言えば〈天帝〉って、神様みたいな存在の事、なんだっけ? 皇女、と言う事は……こと、は……。
意識が……遠くなってゆく。




