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■01■
駅前商店街の一角にある、アンティークショッブ。
カフェと文房具屋に挟まれた、狭い店である。
その出窓にはドールハウスが再現されていた。
小さなイスにベッド、猫足のバスタブ。その周囲にはアクセサリーや星の形の透明な石などが飾られ、キラキラとしている。
眺めているだけでお姫様気分を味わえるような、小さな女の子が喜びそうな外観であった。
ショッブのオーナーは桜城遥斗と言う名の青年で、年齢は今年二十六歳になる。人形作家だ。
他に同居人がふたり居る。
中学生の桜城悠真と、オーフェリアと言う女性だ。
悠真は遥斗の弟ではなく親戚であり、従弟に当たる。
オーフェリアはヨーロッパの小国出身らしい。彼女の年齢は不明だが、外見は二十歳過ぎくらいにしか見えなかった。
「きみ。窓に張り付いて何してるの」
強烈な夏が過ぎ去った、秋の始めの午後。
下校した制服姿の悠真が、十歳ほどの少女に声をかける。
悠真の声に驚いたのか、身体をビクンとさせて振り向く少女。
少女は白いワンピースを着た、愛らしい顔立ちの子供であった。
大きな瞳でこちらを見上げる。
少しグリーンが混ざったような、茶色の瞳をしている。背中まで伸びた髪も同じような色だ。
その視線が真っすぐ、こちらを見つめ返して来た。
そしてすぐに、少女はうつむく。
「あの、ここ……お人形……」
遠慮がちな声だ。
「うん、ドールショップだよ」
悠真の言う通り、この店はアンティークドールを中心とした商品が集められている。
衣装や家具や関連の小物、そしてついでに、人間用のアクセサリーなんかも置いてある。
「何か探してるの?」
少女は気弱そうにコクン、と頷いた。
「ん、何? ママへのプレゼントとかかな」
悠真はしゃがみ、少女の目線に合わせる。
彼女は戸惑ったようにこちらを見つめてから、ぽつりと言った。
「〈やどりぎ〉……」
悠真の心に、ズシッとした驚きが走る。
言葉を失いそうになったが、冷静さを保たなければ、と気持ちを押さえ込む。
「〈宿り木〉って何かな、それ。教えて?」
必死で笑顔を作って質問をすると、少女は首を横に振り、逃げて行った。
逃げられて思わず「あっ」と反応したものの、悠真は少しだけホッとする。
こんな日常の中に〈宿り木〉を探す人が突然現れるだなんて、予想していなかった。
いや。このショップに居る限り。
自分の元に〈宿り木〉がある限り、それは想定されている事なのだが。
〈宿り木〉――それは、魂の〈容れ物〉である。
見た目はただのアンティークドールだが、観賞用の〈人形〉ではなく、カテゴリとしては〈道具〉と言った方がいいだろう。
地球における〈人間の世界〉は、正式な手続きの元、母体から産まれた者しか〈存在してはいけない〉事になっている。
だがルールを守らない者はそれなりに居るし、イレギュラーな来訪者も存在するらしい。
悠真には、それらの詳しい正体は分からない。が、別次元の存在だったり、もう亡くなってしまった過去の者だったりするのだろう。
他の可能性も大いにあると思うが、悠真の想像力で思い浮かぶのはそれくらいだ。
魂と言うものが長く地上に留まるためには、〈居場所〉が必要らしい。
それは生活の場、などと言う私的空間の事ではなく、物理的な居場所の事である。
一時的に魂の居場所になれる――それが〈宿り木〉だ。
ただ、〈宿り木〉の事はあまり知られてはいないはず。
なのになぜ、あのように小さな子が知っているのであろう。
国内でたった一カ所、この店だけが〈宿り木〉を扱える。
世界中探したって〈宿り木〉と言うタイトルの作品を取り扱っているショップが、ここ以外にあるのかどうか。
悠真は聞いた事がなかった。
ここまで辿り着いた、と言う事は、あの子は普通の子供ではないと言う事だ。
――もしかしてあの子、人間じゃないの? それとも、保護者が何かしらの情報を持っているのかなぁ。
どちらにしても、このまま放ってはおけない。〈宿り木〉の情報を広めてはいけない。
悪用されかねない〈宿り木〉の存在なんて、知られない方がいいのだ。言わば偽造パスポートみたいな物なのだから、利用しようとする者にロクな奴は居ないであろう。
――だけど、あの子……。
あまり悪い子には感じられなかったけれど、どうして〈宿り木〉なんか探していたのだろう。気になる。
悠真は店番をしているオーフェリアに学校の鞄を預け、少女の後を追った。
確かこちらの、児童公園の方に逃げたと思う。
しばらく走り、商店街を抜けてすぐの場所で、少女の声が聞こえた。
「ごめんなさい、ごめんなさい」と、ブランコの向こうで泣いている。
『場所見つけたんならさっさと奪えよ! 後の事は知らないからな、俺はっ!』
半透明の男が、何度も少女を蹴っていた。長い足先が小さな身体に打ち込まれる。
悠真は唖然として、その景色を眺めた。
中高生くらいの男が、地面にひれ伏している少女のお尻辺りを何度も、何度も蹴っている。
そのたびに少女の身体は揺れ、小さな悲鳴を漏らしていた。
――な、なにあれ。
単なるイジメのような場面だが、相手の男は半透明なのだ。
半透明。
男の身体が透けて、その向こうの生け垣が見えている。完全に。
なぜだ。
まさか映像?
映像にあんな影響力があるだろうか?
こちらに居る少女を蹴りつけ、その身体を小さく振動させる物理的な影響力。
それを与えられるような映像技術が、あるのだろうか?
いくら日本の技術力が世界最高にズバ抜けていると言ったって、ありえないはず。聞いた事がない。
もちろん、世の中の全ての情報を知っているとは、自分でも思っていないけれど。
――僕が知らず、ニュースリリースされていないだけで、そんな技術がどこかの町工場に実在するのかも?
そんなバカな、と自らの考えを否定してみるが、日本の事だ。ありえそうな気もした。
医療現場で実用化が間近だとかなら、考えられる。
でも、今そこで暴れているのは……ただの学生にしか見えないのだけれど。
世界トップクラスの技術をただの学生が、知り合いの女の子に蹴りを入れるため使えるとは思えない。
――その町工場のオジさんの息子とかなら、使えなくはないと思うけど。でもやっぱり不自然だよね、あんなの。
だいたい、町工場の人が〈宿り木〉の情報を持っているとは思えないし、欲しがるとも思えない。
いくら〈宿り木〉が道具だからと言っても、普通の人に扱える物ではないのだ。
一定のレベルを超えた魔術師や能力者でなければ、使う事など出来はしない。
『入手出来なきゃ知らねーぞ! いいか! とにかく絶対こっちには帰って来るなよ! お前の居場所なんて無いんだからな!』
色々と怒鳴りつけていた男は、その言葉を最後に姿を消した。
悠真はハッとし、少女に駆け寄る。
――蹴られてる子供を黙って見ていたなんて!
助けてやらなかった自分に驚き、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
倒れている子を起こして、立たせた。
「大丈夫?」
さっき店の前で声をかけた相手であると気付いたらしい。少女は「あっ」と呟き、再び逃げようとした。
慌てて腕を掴み、引き止める。
「ちょっと待って! 逃げてる場合じゃないでしょ、ケガしてるじゃないか」
「平気だもん、いつもの事だもんっ」
「えっ!」
「えっ?」
「ちょっと、おいで」
悠真は立ち上がり、少女の腕を引っ張って歩き出す。
「やだ、離してよっ」
「うちに鏡あるから、見せてあげる。今、きみがどんなに汚れちゃってるか。そんな姿でウロウロしてたら目立つし、お巡りさんとか呼ばれちゃうかも知れないよ?」
「逃げるから、平気っ」
「女の子がそんな格好でフラフラしちゃダメだよ。この町はね、そんな子を放っておくような町じゃないの。警察に捕まって、保護者の事とか連絡先とか聞かれたら、どうするの? 警察の組織は全国を網羅してるし、国境を超えた協力も出来るんだよ? きみの逃げ場なんてこの地上に居る限り、無いんだから」
悠真は適当な事を言ってみたのだが、さすがに怖くなったのだろうか。少女は黙り込んでしまった。
国家権力の組織を持ち出して子供を脅すなんて、自分のバカ。
でも、どうしても心配だし。
「帰って来るな、帰る場所は無い、って言われてたよね」
掴んだ細い腕がピクリ、と反応する。
それから自宅まで二度、三度。
少女は逃亡しようと試みたようだったが、悠真は腕を放さなかった。
とりあえず、最低でもその顔の汚れだけは拭ってあげたいと思っていたから。