07-1
■07■
クーちゃんが窓を開け、空を仰ぎ見ている。
――本当に外でケンカするつもりっ?
ちょっとイヤだな、と思った時、今度はトバイアスに身体を引っ張られた。
「な、なにっ」と叫んだ時にはもう、ふたり共に窓から外を見ていて、悠真は彼らの後ろに移動させられていた。
その後ろ姿は、数秒前までとは状況が違うと語っていた。
――え? なに?
クーちゃんが窓枠に足をかけ、そのまま外へ飛び出す。
「ミルドレッド、ふたりを僕の部屋へ!」
トバイアスは外を向いたままそう叫び、彼も窓から出て行った。
この階は確か、五階くらいだったと思うけれど……まぁ、精霊のような空の住人だから、大丈夫なのか?
何が起こっているのだろう? と窓から外を覗くと、遥か上空にふたりの影があった。上昇したのだ。
ここからはもう距離が遠く、シルエットは小さな影となっていた。鳥みたいだ。
「悠真、行くわよ」とミルドレッドに腕を引かれ、その部屋を出る。
「彼の部屋に行くんですか?」
絨毯が敷かれ、足音の響かない廊下を走る。
「そうよ」とミルドレッド。
「そう言えば温泉に突撃して来た奴ら、どうなったんです?」
確か永遠に階段を上り下りさせる、とか言っていたけど。
「目くらましの中に落ちて行ったわ。あのまま迷い続ければ、いつか時空のポケットに入り込んで、二度と出て来られなくなるはず」
よく分からないが、トドメを刺したわけではなさそうだ。だけど異次元送りだなんて、結構怖い。
階段ホールに到着。
だが、階段はもう上に続いてはいなかった。ここが最上階である。ならば、下りるのか?
悠真が考えていると、ホールの突き当たりの壁に、ミルドレッドが右手を押し当てた。
壁は淡く緑色に輝き、スライドし、その奥の空間が姿を現した。
まるで隠し部屋である。
と言うか多分、隠し部屋なのだろう。
「入って、早く」と背中を押され、足を踏み入れる。
そこは教室くらいに広くて、正面の壁一面が本棚の洋室だった。
エメラルドグリーンの絨毯が敷かれている。クラッシックな書斎机と椅子のセットがあって、いかにも執務室と言う感じだった。
「ここ、トバイアスの私室なんですか?」
「そうよ。具合はどう? ふたりとも」
具合? と小首を傾げ、自分の身体に不調はないのか考えてみる。
が、これと言って不快感はなかった。さっきまでと一緒だ。
「僕は、別に」
「私も、平気」
「そう。ここは空に近い波動が通っているから、体調を崩すなら悠真の方ね」
「と言う事は、もし空から敵が来たら」
「もちろん元気になっちゃうんじゃないかしら」
そう言えば温泉から逃げる時、そんな事を言っていたな。
「あのふたりは、何に向かって飛び出して行ったんですか」
「私は直接見ていないけど、あのふたりが同じ行動をするくらいだから、まぁそれなりに歓迎出来ない相手ね、きっと。じゃあ、あなた達はここに居て。出て来ちゃダメよ」
「ミルドレッドさんも行っちゃうんですか」
彼女は微笑んだ。そして「もちろんだわ」と言う。
「あの、ミルドレッド」
「なぁに?」
「気をつけて、ね」
呟いたヴィヴィアンの顔が、赤く染まる。
表情は不機嫌そうだ。怒っているようにも見える。照れているのだろうな。
「あら、ありがとう。あなたに心配してもらえるなんて、嬉しいわ」
ミルドレッドはヴィヴィアンの前にしゃがんで、その頬に軽くキスをした。そして、立ち上がり。
「悠真」
「は、はいっ」
「大切な子なの。お願いね」
「はい」
そう答えた時、悠真の左頬にも軽いキスが来た。
驚いて、思わず身を引く。
触れた肌が、熱い。
「まぁわたくしとした事が。日本人は、挨拶でキスはしなかったわね。マナー違反だったわ。許していただける?」
「はい……」
「嬉しかったんでしょ、悠真」
「えっ」
ヴィヴィアンが冷めた瞳でこちらを見ている。そりゃ嬉しかったけど。
「いやあのね、ビビアン。嬉しいとか嬉しくないとか、僕はその、ちょっと驚いただけで」
「あら、ヴィヴィアンも嬉しかったの?」
「うっ」
頬を染め、ヴィヴィアンはうつむいた。
ミルドレッド。この人も他人をからかうのが好きそうだ。
今にして思えば、クーちゃんが悠真の着替えを覗かなかったのは奇跡だったかも知れない。
男の着替えなんか見たくもないだろうけれど、意地悪するためには手段を選ばないような気がするし。
「じゃあヴィヴィアン、悠真。仲よくしててね」
そう言い残し、ミルドレッドは行ってしまった。
彼女もふたりと同じように、あの部屋の窓から外に飛び出すのだろうか。