06-3
「色々と大変だったわね」
突然話しかけられ、ヴィヴィアンは思わず振り返った。
思い出の水晶の世界に、見知らぬ老婦人が居る。
――ここにはクーちゃん以外、来ないはずなのに!
突然の来訪者に、警戒心がそそり立つ。
「あら、ごめんなさい。あなたの大切な思い出に土足で上がり込んでしまったわね。でもワタシ、あなたと少しだけでもお話がしたいの。過去の映像を消してもらえるかしら」
言葉はゆっくり、そして声は柔らかだった。
白髪混じりで、顔立ち自体は綺麗な人だと思う。白いブラウスと山葡萄色のスカートを履いている。
誰だろう。初めて会う人だ。
ヴィヴィアンは仕方なく、水晶の空間を意識から消した。
とりあえず何となく、白いだけの空間にしてみる。
暗すぎず明るすぎず。
その人がよく見えるような、淡い空間だ。
「あの……」
「お願いを聞いてくれてありがとう。ワタシは桜城花純よ。よろしくね」
おうしろ……聞いた事があるような?
「〈宿り木〉の制作者なの」
その言葉に、心が疼いた。
「ほんとにっ?」
「ええ、そうよ。今日は謝りに来たの。ワタシの孫が、本当にごめんなさい。でもあの子も、悪気があったわけじゃないの」
突然ごめんなさいとか言われても。
「孫?」とは、誰の事だ。
「悠真は、ワタシの息子の子供なの」
悠真の名前に、ヴィヴィアンの気持ちが硬直する。
ヴィヴィアンを受け入れる〈宿り木〉の入手は、困難だろうと言ってくれた。
言い難かったはずなのに、教えてくれた。
それ自体には感謝している。
彼が悪いわけではない。
でも、だけど。
その人が近づいて来て、ヴィヴィアンの目の前にしゃがんだ。
そう言えば悠真も初めて会った時、こんな感じで視線の高さを合わせてくれたっけ……。
「心配する事ないわ。ワタシが最後に作った最高傑作の〈宿り木〉は、あなたを受け止められる」
「でも悠真、難しいって」
その人は少し困ったように笑った。
「大丈夫よ、大丈夫。あの子にはこれから先にもチャンスはあるから」
どう言う意味だろう。悠真にチャンス?
もしかして彼も人形作家を目指しているのか?
「だから〈その時〉が来たら、戸惑わずに飛び込みなさい。あなたがクーちゃんを選んだ時のように」
「その時が、来るの?〈宿り木〉に、巡り会える?」
「〈宿り木〉は、もう、あなたのすぐ傍まで来てるわよ。だからそんなに嘆かないで。みんな心配しているわ」
みんな?
「そうよ、ほら」と言うその人に、ヴィヴィアンは抱え上げられた。
その人の腕の中から、周囲を見る。
床に転がりはしゃぎまくっている三人と、言葉で諌めているのかいないのかよく分からない女の人。
――クーちゃん、トバイアス、ミルドレッド……それに、悠真。
悠真がクーちゃんに足を蹴られているみたいだった。
みんなを見るだけで、胸が熱くなる。
心がキュンキュンとして、苦しくて、痛い。
涙が、溢れ出る。
「心が落ち着いたら、戻ってあげて欲しいの」
――みんな……。
あの中に、自分も戻りたい。
「あなたを待ってるから」
――わ……たし、を。
待っている。
待ってくれている。
あそこで、四人もの人が。
「ヴィヴィアン?」
目を開けると、ミルドレッドが静かな声で呟いた。
クーちゃんが自分にくれた名前を、優しい声で呼んでくれた。
おでこを、撫でられている。
「少し汗をかいたわね。暑かったのかしら? それとも……」
微笑む彼女に、ヴィヴィアンは抱きついた。
涙が止まらない。
「あらどうしたの? 怖い夢でも見てたのかしら」
「もぉ……なんで? どぉしてぇ?」
「どうしてって、何が?」
「なんであの三人、楽しそうに暴れてるのぉ……」
「えっ!」と三人の声が同時に聞こえた。
「ずるいよぉ……」
「ナンだお前、こいつの事蹴りたいのか? 弱ってるから今がチャンスだぞ」
「ちょ……なんでそうなるんだよっ」
「そうだぞクーちゃん。このような事に子供を巻き込むべきではない。苛虐趣味が芽生えたらどうするんだ。遊びにしても控えるべきだ」
「クーちゃんて呼ぶなつーの。だが、それもそうだな。これは大人の遊びだからガキには早いかもな。なぁ? 悠真ぁ」
「人の足を突つくのの、どこが大人の遊びなんだよっ」
「大人がやってりゃ、大人の遊びだろぉ~?」
クーちゃんが二度三度、悠真の足首周辺を蹴っているようだった。
そのたびに悠真が悶えている。
「あれ、何の遊びなのぉ」とミルドレッドに聞くと、彼女は苦笑いした。
「見苦しいでしょ。あれはね、悪ふざけと言うのよ。真似しちゃダメよ」
「う、うん」
「そうそう。きみはいい子だよね、ヴィヴィアン。暗記は苦手だったけれど」
「う」と言葉が詰まる。
「今そんな事を言わなくてもいいでしょう」
「ん、だから~。頭がいいだけの子よりも、心優しい女の子の方が幸せになれるから大丈夫だよ。ヴィヴィアン。例え塩と砂糖を間違えても、素直に謝れる事の方がどんなに素晴らしいか」
「う」
「トバイアス……」
「あれ? 褒めたつもりだったのだが……。どうもクェンティンの傍にいると調子が狂うな」
「聞こえてるぞ! 人のせいにすんじゃねぇ!」
〈宿り木〉が入手出来ると言う事は、自分は本格的に地球で暮らす事になる。
この人達とは、離れて。
ミルドレッドが地球に長居しているとは言っても、帰る場所はやはり空。
今になってこんなにも大切な人達だったと言う事を、痛いほど実感するなんて。
悲しい。こんなにも悲しい。
――クーちゃんが広げてくれた、お友達。
「ほらぁ~。また泣き始めたわ、トバイアス」
「これは……すまない、ヴィヴィアン。まさかきみがそんなに気にしていただなんて。でもね? みんな失敗を経験して大人になるんだよ。あまり落ち込む事はない。さ、ミルドレッド。彷徨うこの子のために、きみの失敗談をここで披露してくれたまえ」
ミルドレッドの身体がピクン、と反応した。
「今更失敗談のひとつやふたつ聞いたからと言って、きみの事を嫌いになったりはしないさ。軽蔑もしないよ。だから遠慮せずに、さぁ。勇気を出してくれたまえ」
「よッ! ミルドレッド、いいぞ話せ話せ」
クーちゃんは煽りながら拍手をした。パチパチと軽薄な音が鳴り響く。
「何言ってるんだよ、話す事なんて無いですよっ。話す必要があるなら、ビビアンとふたりきりの時でもいいじゃないか」
「うるせーな。お前は黙ってろ」
「も、もう僕、痺れはだいぶ治まって来たもんね! 全然、大丈夫だしっ」
「はあぁ~? 痺れが消えたくらいで俺に勝てるとでも思ってんのか?」
「何度も言うが、うちの施設の中で暴れるのは止めてくれたまえよ。被害が出たら請求はさせていただく。一円たりとも値引きはしないから、そのつもりで殴り合うように」
「よし悠真、オモテ出ろ!」
「やだよ! なんで僕がクーちゃんとケンカしなきゃいけないんだよっ」
「てめぇクーちゃんクーちゃんしつっこいぞ! それに挑発して来たのはお前の方だろうがぁ!」
「挑発とか、そんな事してないもんっ!」
激しいやり取りが続く中、ヴィヴィアンは泣き続けた。
自分はいつまでもずっと、永遠に、この中に居たいのに――。