06-1
■06■
クーちゃんが改まって言う。
「説明してもらおうか」と。
座卓を挟んで正面に、クーちゃんが座っている。
悠真は彼に視線を合わせられなかった。
説明、と言われたって。
「用事があるから俺を呼んだんだろう。さっさと話せよ」
悠真は説明しなければならない。
ヴィヴィアンが悠真の言葉により大きなショックを受け、現状に至っている事を。
分かっているのに心苦しくて、言葉に出来ない。
うつむいて、苦しい呼吸をくり返すだけ。
「お前に言っても理解してもらえないかも知れないけどさ、俺らが地球に居るのって、それなりにリスクあるわけよ。いくら自然の中で波動を地球用に書き換えたって言ったって、それは応急処置みたいなモンだ。予想外のハプニングに襲われれば無事じゃ居られない。……かも知れない」
「あの……〈宿り木〉を自分の身体にする事が出来たら、その心配は無くなるんですか」
数秒考えてから、クーちゃんは答える。
「さぁなァ。でも人間だってさ、事故に会えば死ぬ事もあるだろ」
「完全ではない、って事ですか」
「完全なんてモノを信じてるのか? バカじゃねーの」
返す言葉がない。
完全にならないからって、〈宿り木〉を渡さないつもりはない。
悠真はもう決めたのだから、それはいいのだ。
「〈宿り木〉は、お渡しします。だから、あの子を呼び戻してください」
「だから、説明しろって」
「……〈宿り木〉が実在するなんて、どうしてあの子に伝えたんですか。手に入らないかも知れないって、入手出来る確率は低いって、あなたなら分かってたんじゃないんですか」
「そんなの知るか。俺に〈見えた〉事を伝えただけだ。それに付随する情報なんか、配慮する必要なんて俺には無いね」
「くーちゃ……」と言いかけた時、その瞳にまた睨まれた。
うっ、と息が詰まる。
「クッ……ク……クエ……クエッ……」
名前が出て来ない。クーちゃんの本名、何て言ったっけ?
「クェンティンっ!」
怒声と共に、卓が激しく叩かれる。
「クエッ……てぃん、さんっ」
悠真は怯み、声が裏返った。
「なんだっ」
「〈宿り木〉は今、使っている物しか無くて! それを譲り渡すと言う選択肢が僕の中にまだ無かった時、僕は『無いから難しい』って、言ってしまったんです! それで……それ、で」
あの子は、絶望して。
「あ・そー」と棒読み調でクーちゃんは言った。
「それで悲劇のヒロインになりきってエスケープしてやがるのか、このクソガキ」
彼の視線が、眠るヴィヴィアンの方へと向けられる。
「呼び戻してもらえますよね」
「知るか! 好きにさせとけ!」
「……どうしてですか」
クーちゃんがそんな事を言うとは思わなかった。
呼び戻してくれると思っていたのに。
「何で俺がそこまでクソガキの面倒なんか見なきゃいけないんだ! 方向はもう示してやった。お前だって〈宿り木〉を渡す気で居るんだろ? なのに自分の殻に閉じ籠ってるような奴、俺が知るか! 帰るっ!」
立ち上がり、彼は窓の方に向かった。まさか、そこから出るのか?
悠真は彼を追いかけ、腕を掴んだ。
「放せよ! 付き合ってられるか!」
「どうしてそんな、冷たいんですかっ」
「呼び戻したいなら、お前が殴るなり蹴るなりすりゃいいだろ! そんな役目を他人に押し付けようなんて、どう言う根性してやがるんだっ!」
「殴りたくないって事ですか!」
「ガキ殴って喜ぶ奴が、どこに居るんだよ! もし居るならそいつ連れて来て、殴らせとけ!」
あいつら、の顔が頭を過った。
温泉まで追いかけて来たのだから、もしかしたらそんな展開になってしまっていたかも知れないのに。
「あなたじゃなきゃ……」
「ぁあ?」
「あなたじゃなきゃダメだって事くらい、分かってるんだよね! なのに、どうしてそんな薄情なんだよっ」
悠真は気付くと泣いていた。
涙が勝手に零れ落ちてゆく。
クーちゃんの胴体に両手を回し、引っ張る。
「てめぇ! 五秒以内に放さないと容赦しないからなっ!」
彼がグーの拳を作り、そこに息を吹きかけた。
まるで大人が子供を脅すような仕草だ。
自分は彼に、そんなにナめられているのだろうか。
悠真はさすがにムカついて、クーちゃんの身体を強く引っ張った。
彼の身体は見た目よりも遥かに軽かった。
ふわっと。あっさりと。
悠真に抱え上げられている。
ヴィヴィアンも軽かったけれど、彼も負けてはいない。
これが不安定、と言っていたものの正体だろうか。
よく分からないが、予想外の軽さに、悠真の身体は仰け反った。
なんか、格闘技でこんなポーズと言うか技があったような気がする。技の名前は、よく分からない。
そのままふたりで背後に倒れ、身体を畳に打ち付けた。
悠真は後頭部をシッカリと打った。板やコンクリートじゃなく、畳でまだよかったと思う。
結構、いやかなり痛いから。
後頭部を押さえて転がると、身体の上にあったクーちゃんの感触が消えていた。
彼は、悠真の右横に立ち上がっていた。
怒りの瞳でこちらを見下ろしている。
――うっ……!
また再び、あの目を見る事になろうとは。
自分が食い下がったのだから、当然かも知れない。
悠真はヴィヴィアンのために、勇気を出して頑張ったのだ。
そう。頑張った。
怖かったけれど、彼を引き止めた。
彼の足が片方、すうっと持ち上がる。
そして、悠真の身体のどこに狙いをつけたのか。
その足が、こちらに向かって素早く下りて来るのが見えた。
怖くなり、両目を閉じて呼吸を止める。
全身の筋肉に力を入れ、蹴られる覚悟をした。
……なのに。
一秒。二秒。三秒。……七秒?
――……あれっ?
恐る恐る目を開けると、彼はこっちを見ていなかった。
悠真は彼の視線を追いかけ、部屋の入り口の方を見た。
そこには見た事のない少年と、その一歩後ろにミルドレッドが居たのである。
服装が、クーちゃんと全く同じだった。
ただクーちゃんは多少着崩しているけれど、その人はきちんと着こなしている。
全く同じデザインのようだから、もしかして制服だろうか。
部分的にゆるくウェーブの入ったブラウン色の髪と、同じ色の瞳をしている。
少し幅のある二重で、落ち着いた雰囲気の人だ。
キラキラして激しいクーちゃんとは対照的である。
――あの人が、ミルドレッドさんの……えーっと。名前、何だっけ。
もしかして自分は、人の名前を覚えるのが苦手だったりするのだろうか。
と言うか、日本人以外の名前は苦手である。
耳慣れないと、印象に残らない。
「うちの施設で暴れるのは止めてくれないだろうか……クーちゃん」
「てんめえぇぇ!」と叫んで、悠真の上を飛び越えてゆく。
クーちゃんはたった一歩で、八割ほど距離を詰めていた。結構遠い所に居たのに。
十二畳ほどの部屋の中を、斜めに。
窓際から、入り口の方へ。
「お前までクーちゃんとか呼んでんじゃねーよキメぇんだよっ」
ネクタイを掴み上げ、クーちゃんは男の顔に自分の顔を近づけた。
「そんな事で興奮するな、落ち着きたまえ。みっともないぞ。……クーちゃん」
クーちゃんは無言で男の額に、頭突きを打ち込んだ。
相手は結構な衝撃を受けたらしく、フラリと一歩、足が出る。
「……本気で痛い」
「からかうからでしょ。遊んでないで、トバイアス」
――ああ、そんな名前だっけ。トバイアスね、トバイアス。
トバちゃん、とでも呼ばれているのだろうか。トバちゃん、って感じの人ではないけれど。
――あの人がここの、実質オーナー、でいいんだよね?
見た目は、自分達と変わらないくらいの年齢に見える。外見通りの年齢ではないかも知れないが。
「あの、桜城悠真さん?」
トバイアスに呼びかけられ、慌てて正座した。
「は、はいっ」
なぜ正座する必要があったのか。自分でも分からない。
「僕にもお話を聞かせていただけますか」
「……え」
すごくイヤだと言う感情が、声になって漏れた。
さっきまで微笑んでいたトバイアスが、妙な表情になる。
理解しかねる、とでも言うようなニュアンスの表情だ。
「そ、そんなにご迷惑だったら、遠慮させて頂きますけど」
トバイアスが賢そうな顔で、苦笑いを浮かべた。
「おい、お前」
クーちゃんがこちらを向く。
「よかったな。こいつもヴィヴィアンの事情に興味があるみたいだぞ。蹴ってもらえ」
「何を言っているのだきみは。そのような役目は性に合わない。お断りさせていただく」
「だからっ。他の人じゃダメだって言ってるのにっ。ク……クエッ……えっと」
「人の名前、何でそんなに覚えられねーんだカス!」
――だ、だって。一番最初に「クーちゃん」と刷り込まれてしまったから!
などと言い訳をしても、聞いてはもらえないだろうなと思う。
カタカナぽい響きの名前を覚えられない悠真が悪い、と言えば悪いのだし。
「お前もウジウジ言ってないでさっさとヤれよ! 取り返しがつかなくなっても知らねーからな」
「えっ! タイムリミットなんてあるんですかっ」
クーちゃんにグーで頬をグリグリと捻り込まれた。彼の手の骨が、頬骨に当たって痛い痛い痛い。
悠真は両手でそれを押し返そうとするのだが、彼も力が強く、抵抗される。
「人を脅すのは止めたまえ。感心しないな」
「可能性の話だろーよ。俺はちゃんと忠告したからな、いいな? 恨まれる筋合いは無いからな。じゃ!」
言葉と同時に、悠真の頬が解放された。
「待ってよクーちゃんっ!」
「待ちたまえクーちゃんっ」
逃げようとしたクーちゃんに反応し、追いかけようと動いた悠真は、転げた。
ほんの少ししか正座していなかったのに、足が痺れてしまっていたのだ。
これも体力低下の影響なのだろうか。
恥ずかし過ぎて、悲鳴が声にならなかった。
顔が熱くなる。
「ぶ……ははーはは! マジか! ブ・ザ・マ! 見てらんねぇな! そのまま苦しんどけ!」
――だ、だって僕、今、スタミナ限界だしっ。正座なんて慣れないしっ。
「し、失礼な言動は慎みたまえ……うくっ」
トバイアスも悠真から顔を反らした。その身体が小刻みに震えている。
――酷い。あの人まで笑ってる……!
短い時間正座していた男が、畳の上に転がった。
そんなに面白いだろうか。
面白い、のだろうな。
彼らはあんなに笑っているのだし、自分はこんなにも恥ずかしいのだから。
「いや、失礼。まさかこんな展開になろうとは、僕も予想だにしていなかったもので。広い心で許して欲しい」
「マジで動けないの? ラッキー、蹴っちゃおー。ひゃはははは! ざまぁねぇな!」
クーちゃんの足の指先が、悠真の足首周辺を何度も触れて来る。決して強くは触らない。
そのたびに悠真は短い悲鳴をあげて、身悶えた。
「……最低だわ。ふたりだけでも会話が成立した事はあまりなかったのに、悠真が混じると分けがわからなくなるのね。可哀想なヴィヴィアン。あなたの事を心配しているのは、本当は、私ひとりなのかも知れないわ」
足を突つかれ、何度も息絶え絶えに叫ぶ悠真達の傍で、ミルドレッドはヴィヴィアンの髪を優しく撫でた。
その額に汗が少し、にじんでいる。