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やどりぎ  作者: あおい
05
14/31

05-1

■05■


『声をかけても、肩を揺すっても、私は目を開けたまま呼吸をくり返すだけで返事もしなかったから』


 ――ん? 何だ今の。


 悠真は目を開け、ヴィヴィアンの方を見た。

 悠真の腕の中で相変わらずクッタリとして、その髪が水面に広がっている。


 ――そう言えばそんな事を言ってたっけ。今と同じ、だよね。


 だからクーちゃんは殴って、蹴って、ヴィヴィアンの意識を呼び戻したと言ってたっけ。


 自分には出来ない事だ。と悠真は思った。

 自分の言葉に傷ついた子を、どうして殴れる? 出来るはずないではないか。


「ミルドレッドさん」


「なぁに? ほら、もっと飲んで飲んで。汗が出て気持ちいいわよ」


「お願いしたい事があるんだけど」


「あら。何かしら」


「クーちゃんを、地球に呼んでもらえないかな」


 ミルドレッドは驚いたように、少しだけ目を見開いた。


「この子が一番信頼してる人じゃないと……だから、僕ではダメなんだ」


 自分が原因なのだから、クーちゃんと同じように殴る蹴るしたって、戻って来るはずない。

 暴行をする勇気もなかった。


 でもきっと、クーちゃんなら。

 どんな手段を使ってでもヴィヴィアンを連れ戻してくれると思う。


「そうね。クェンティンなら、この子を呼び戻すかも知れないわね。空に戻れないのなら、彼を呼ぶしかないわよね……分かったわ。トバイアスに連絡を取るわ」


 そう言ってくれて、悠真はホッとした。


「ごめんね、ビビアン……。僕、クーちゃんが来たら、必死でお願いするよ。きみをこんなに傷つけたって、謝罪もする」


 だから、戻って来て欲しい。心の奥に隠れてしまった女の子。


 だけど、でも。


 戻って来た彼女に、居場所を提供出来るだろうか。


 今、遥斗が作っているのは、多分〈宿り木〉だ。

 ただの人形なら八桁なんて馬鹿げた金額が支払われるわけがない。

〈宿り木〉だから、その値段なのだ。


 祖母から魔術師としての素質を唯一受け継いだ遥斗なら、〈宿り木〉を作れる。

 彼にしか作れない。


 ……譲ってもらう? いや無理だ。

 八桁後半の金など、自分には用意出来ない。二千円の使い道ですら慎重にならざるを得ないのに。


 でも、他に〈宿り木〉は無い。

 悠真に作れる人形は、ジンジャービスケットモドキが限界だ。

 あれはただのダンボールだし、どうしようもないではないか。


 ――おばあちゃん、どうしよう……。どうしたらいいのか、分からないよっ。


 両親を亡くした悠真を引き取り、オーフェリアと遥斗に託したのが祖母の花純だ。

 悠真の居場所をくれたのが祖母で、今の生活が出来ている。


 実母に魔物への生け贄として殺害され、横取りをするように救い出してくれたのが精霊・オーフェリア。


 魔術師であり人形作家だった祖母がその昔、最高の星の配置を利用して作り上げた人形に、悠真の魂を移し入れてくれた。


 前後数世紀に渡って、そのような配置は巡って来ない。

 奇跡のような瞬間だったと祖母は言っていた。


 その時に祖母が作った〈宿り木〉は、各惑星のエネルギーを真正面から受け止めきった最高傑作だと言う。

 もし地球が滅ぶ事になったとしても、その人形は物体として残り、宇宙を漂うのではないかと笑っていた。


 それほどの〈器〉だ。


 ――そうだよ。皇女のための〈宿り木〉に相応しいよね。


 星は巡る。

 その時が来た、と言うだけなのかも知れない。


 自分が去ればいい。それだけの事だ。


 悠真は産まれた直後に殺された。

 元々〈ここ〉に居るはずの無い人間なのだから。


 ヴィヴィアンが戻って来たら、この身体を明け渡そう。

 最初からそうしていれば、あんな意地悪を言わずに済んだのに。


 ――本当にごめんね、ビビアン。僕、生に執着していたのかも知れない。


 生きる事に対し、否定的だと自分では思っていた。

 生きる事を肯定してる人の気持ちなんて、分からないと思っていた。


 だけど、違ったのだろう。我ながら、情けない。


 神社のふたりが『お前のよき心で迎えてやるがよい』と言っていたのも、きっとこの事なのだろうと思う。


 ――僕は、よき心になれたのかな。分からない、けど。早く戻っておいで、ビビアン。


 悠真なりの決断は出来た、から。



 その時。

 ごぼっ。と泡が浮かんで来た。


 水色のお湯が揺れ、悠真とミルドレッドはその泡を見つめた。

 沈黙が、ふたりを包む。


 充分な間の後、ミルドレッドがチラリとこちらを見た。


 思わず「ぼ、僕じゃないよっ」と否定して、逆に恥ずかしくなる。

 ミルドレッドの冷たい視線が顔面に突き刺さるのを、悠真は感じた。


 ――痛い痛い。視線が痛いよぉっ。


 ごぼっ。ごぼごぼっ。


 ――……っ?


 がばがばがばがばっ!


 大量の泡が無数に沸き上がり、水面が大きく揺れる。


「悠真っ」と腕を引かれ、ヴィヴィアンをミルドレッドに取り上げられた。

 理由がわからないながらも、悠真は慌てて湯船から脱出する。


 お湯は噴射をするように、空に舞い上がった。

 思わず見上げ、息を飲む。

 プリズムが上空で反射し、穏やかに煌めいた。


「かっ間欠泉……?」


 間欠泉だなんて、風呂には向いていないのではないだろうか。熱湯が吹き出すらしいし。


「なにノンキな事言ってるのよっ!」


 ミルドレッドに引っ張られ、脱衣場へ逃げ込む。


「あいつらよっ!」


「えっ?」


 ロッカーから服を取り出し、奥へと逃げる。

 全身ずぶ濡れの水着姿で老舗旅館風な場所を走るのは、すごく恥ずかしかった。

 でも、他に人は見かけないし、それだけは救いだ。


 階段を駆け上がりながらシャツを着込む。

 そしてズボンは……履こうか? 履けるのか?


 少し想像してみた。きっと履きづらい。

 逃げるスピードも落ちるに決まっている。


 それに濡れたトランクスの上からズボンを履いたら、不幸な事にならないか? いや、なる。

 これは持って逃げるしか無い!


 上半身だけシャツを着て、びしょ濡れトランクス丸出しで、靴下すら履いていないなんて、下品な格好である。

 でも今は、そんな事を気にしている場合ではない事も事実であった。


「あいつら、始末してもらったんじゃなかったんですかっ?」


「言ったでしょ! ボコボコにしただけだ、って!」


 そう言えばそうだった。

 なんかミルドレッドがモノマネしてたっけ。『許可が無いでござる』的な。


「トバイアスの私室……逆にダメよね、あいつらも余計に元気になっちゃう」


「え?」


「仕方ない……足止めの結界を張って時間を稼ぐから、その間に最上階まで行って!」


 またヴィヴィアンを受け取る。


「は、はいっ。この階段上がればいいんですよね」


「そうよ、急いで!」


 ミルドレッドをひとり残して逃げるのは申し訳ないが、悠真には何も出来ないし、自分の腕の中にはヴィヴィアンが居る。

 この子を抱きっぱなしでそろそろ腕は痛かったけれど、そんな事は言っていられない。


 決して体育会系ではない悠真は、階段を上る事さえつらくなっていた。

 荷物は邪魔だし、ヴィヴィアンは大切だし。必死で頑張り、息切れしながら上ってゆく。


 階下からミルドレッドの声が聞こえて来る。

 言葉ではないようだ。声と言うか音と言うか、聞き取り難い感じの〈音声〉だった。


 少しの間の後、バヒュッ! と空気が抜けるような音がして、ミルドレッドがこちらに駆け上がって来た。

 そして、追い抜かれる……。


「次は目くらましよ、早くっ」


 ヴィヴィアンを奪われ、腕を引っ張られる。


 ――体力が……スタミナが……。


 身体が思うように動かない。空腹のせいかも知れないと思った。

 そう言えば、何時間食べてないのだっけ。眠ってもいないし。


 悠真の身体の本体は、三十センチほどの単なる人形だ。

 それが〈悠真〉として見えているのは、動いているのは、触れるのは、食事のエネルギーを〈そのように〉使っているから。


 見えるように、動けるように、触れるように。

 それが術なのだ、と昔、聞いたような気がする。


 物体へエネルギーを〈入れる〉だけなら、出来る人間はかなり居る。

 職人の作品なんかがそうだと教えられた。


 霊体の方も、器との相性が良ければ「ここに決ィ~めた」と、勝手に棲み付く事が出来る。

 特に人形や鏡や水辺や強烈な電波の傍は、宿りやすいらしい。

 多くの実例だってある。たまには人形の髪だって伸びたりするだろう。写真に写ってしまう事もたびたびあった。


 でもそれらは結局は、単なる〈物体〉でしかない。

〈宿り木〉のように、霊体本人を〈再現〉したりはしないのだ。


 遥斗の取引相手がどのような人物なのか、または組織なのかは分からない。

 でも、それを利用する事の出来る、珍しい相手なのだろう。

〈使える〉者でなければ、いくら〈宿り木〉とは言え、やはり単なる物体でしかないのだから。


〈宿り木〉に憑依した者が、人間として生きる。

〈食事〉と言う行為はそれにかけられた〈術〉であり、そのために必要な条件なのだ。


 だからエネルギーが切れかけると、苦しい。

 こんな感じになってしまうのだな。足を動かすだけで、もう必死だ。

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