04-1
■04■
ふたりの武将に案内され、ミルドレッドが来てくれた。
悠真はヴィヴィアンを抱いて、やっと結界の外に出る。
長い夜が明けた。
少しだけホッとするが、心は固いままである。
心配だったがミルドレッドは無事で、今はとても機嫌がよかった。
衣服が多少汚れてしまっているくらいかな。ケガもしていないようだ。
敵を上手く撃退出来たのだろうな。よかった。
だが、何だろうか。この違和感は。
彼女は明るい笑顔で、多少、気持ちが舞い上がっているように見える。
「おはよ、悠真、ヴィヴィアンっ。私、昨夜はこちらのおふたりに、助けていただいたのぉ~っ」
ミルドレッドがふたりの真ん中に立ち、男達の腕を、左右の腕で抱く。
そしてそれぞれの腕に頬をすり寄せ、喜んでいる。
悠真は驚き、軽く引いた。
「見せてあげたかったわぁ~。すっごく! 格好よかったのよ! あいつらの後を追ってくれて、ボッコボコにしてくれたの! でもトドメは刺さなかったのよ? 紳士でしょ~、クラクラしちゃったぁ!『我らは、彼らの始末の許可を受けてはおらぬ故』とかって、きゃーっ! 素敵ッ」
モノマネまで織り込むミルドレッドに対し、ふたりの男は無表情なりに顔を引きつらせていた。
身体も小さく震えている。
その震えは怒りだろうか、気恥ずかしさだろうか。
きっと後者だろうな、と悠真は思う。
「感謝してもしきれませんわぁ~。そうだわ! おふたりも温泉にご一緒しませんこと?」
「い、いや我らは……」
「ご遠慮なさらないで! ほんのお礼の気持ちですわ!」
「誠に申し訳ないが、我らは使命ある身。やるべき事がある」
「あらぁ、残念。でもそうね! お仕事のお邪魔をしてはいけないわ。わたくし、そのような女にはなるまいと心がけておりますのよ。空気の読めない女はご迷惑ですものね。それでは、またの機会にお誘いしてもよろしくて?」
「あ、うっ……都合次第、とだけ」
あんなに強くて冷静な男達が、動揺しているように見える。
「都合次第」と答えた男が、もうひとりの方に視線で咎められている。
答えた方は、申し訳無さそうに眉を歪めた。
――お気の毒に。
「次にお会い出来るのを、心より楽しみにしておりますわ。さて……あまり長居をして、おふたりのお仕事に影響してはいけませんわね。わたくし達も、そろそろ行きましょうか。悠真、ヴィヴィアン」
ミルドレッドの視線がやっと、こちらに向いた。
悠真は「はい」と返す。
「お名残惜しいですけれど、わたくし達はこれで。失礼致します」
ミルドレッドは優雅に礼をし、悠真も彼らに頭を下げた。
ヴィヴィアンは勿論、無反応のままだ。
片方の男が「少年」と声をかけて来た。
「は、はい?」
「その娘――まだ間に合う。お前のよき心で迎えてやるがよい」
「僕の、ですか……」
よき心だなんて自信はない。
自分がよい子であるとも思わない。
悠真は自分がどう頑張ればいいのか、その方向すらも分かってはいなかった。
それに迎える、とはどう言う意味だろう。
あの子の気持ちが戻って来た時、受け止めてやれとでも? こうやって抱っこする以外で?
悠真は男の言葉を理解出来ないまま「はい」と答えた。
「あら。ヴィヴィアンどうかしたの」
その問いにも、正直に答える気になれなくて。
そんな気力が心の中に見当たらなくて。
「はい、ちょっと」と答えを濁した。
ミルドレッドの車の前後は、道が寸断されたそうだ。
あの道を通って先へは行けないらしく、迎えが来てくれる事になっているらしい。
神社前の道でしばらく待っていると、ヘリが迎えに来てくれた。
猛烈な風を受け、呼吸が止まる。周囲で土煙が舞い上がった。音も、すごく大きい。
道路が使えないなら空、と言う事か。ダイレクトな回答である。
――いつか乗ってみたいと思った事はあるけど、いきなり過ぎる。僕、飛行機にも乗った事ないのにっ。
飛ぶ乗り物なんて、大丈夫だろうか。
大丈夫だと思うけど。墜落とかしないだろうけど。
――ち、ちょっと怖いっ。
心臓がバクバクバクバクして、気持ち悪い。だが、断れない。
――乗ってみたかったんだもん、乗るよ、乗るっ。それにさ、別にさ、スカイダイビングさせられるわけでもないんだから、少しは落ち着こうよ、僕っ!
「遠慮せずに乗りなさい」と背後から急かされる。
ステップが必要なほどではないが、足場はまぁまぁ高く、ヴィヴィアンを抱いたままでは乗り込めなかった。
一度ミルドレッドに渡し、乗り込んでから再び受け取る。
機内は五人くらい乗れそうだった。
シートベルトを着用し、準備を整える。
それをパイロットが確認するとテイクオフだ。
機体が浮き上がる。腹の中がぞわん、とした。
ヘリは平行を保つため、微調整しながら高度を上げてゆく。
悠真は恐る恐る、窓の外に目を向けた。
神社も山道も、鉄道模型のジオラマセットのように見える。
大きなプロペラの音に怯えている間に、ヘリは無事、目的地へと到着した。
事故らなくてよかったと、臆病な自分が心の中でヘタり込む。
到着した場所は、遠くに近くに煙が上がっている山の中。
どう見ても温泉観光地ではない。
素っ気ないシンプルな建物がいくつか点在していて、そちらを視線で指しながらミルドレッドは言う。
「あれらはラボ。研究施設よ。地層を調べたり、発電したり、お湯の成分を調べたり、周囲に生息している生き物や植物や微生物、それから温泉饅頭のレシピも研究してるんじゃないかしら」
「そ、そうなんだ……色々やってるんですね」
「研究させてくれ、と言う申し入れはほとんど受け付けているから。新発見も特許も、権利は全て放棄すると言ってあるし、機材の導入も自由だし、魅力を感じる大学や企業はそれなりにあるんじゃないかしら。費用は自分達で賄ってもらっているし」
「へぇ」
「だからスポンサーも付きやすいのよ。イメージがいいでしょ。それにある程度の家賃は払って頂いてるけど、それはどこで研究しても同じ事だものね」
損して得取れ、と言う諺があったような気がする。商売の言葉だっけ。
「こんな山奥だから土地は安かったし、税金もそれなりだし」
ミルドレッドは、一番手前にあるもうひとつの建物に向かって歩いてゆく。
「これはまぁ、接待用の施設ね。温泉に入ってもらって、お食事をしてもらうのよ」
「誰にですか」
研究者は多く居そうだが、彼らを接待したりはしないだろう。いや、するのか?
「もちろん〈偉い人〉よ。ここはトバイアスが地球で使用する拠点のひとつにするのだもの。だから湯脈を探り当て、掘らせたのだし」
「温泉ってお金になるのかな」
商売をするのは大変だと思う。
旅館なんて建設するだけでも大変そうだし、人件費もかかるだろうし、結構山奥だし。
この土地に、温泉以外の観光資源があれば別だろうが。
――ああ、でもお金はスポンサーが出すんだっけ?
「温泉でなくとも、発電でなくとも、別にいいのよ。使えれば、何でも。何なりと運用出来れば、それで。ラボが集まってくれているだけで有り難いのよ。ここはトバイアスにとって、地球における〈足場〉である事が重要なだけだもの。表向きの看板なんてどうでもいいの」
ミルドレッドがそれでいいと言うのだから、それでいいのだろう。大人の世界はよく分からない。
まだ整備されていない砂利や石の道を、その接待館へと向かって歩いた。
ミルドレッドについて建物に入ると、悠真はギョッとした。
シンプルな外観からは想像もつかない、ホテルロビーのような明るい空間が広がっていたのだ。
フルートやオーボエの音楽が流れていて、照明は穏やかで優しい。
背の高い観葉植物がバランスよく配置されていて、入り口正面の受付けでは綺麗な女性が微笑んでいた。
――旅館、じゃなくてホテルみたいだ。て言うか多分、ホテルなんだよね?
スーツを着た男が、ベルボーイに先導され歩いてゆく。
ソファやテーブルが並ぶラウンジの方では、打ち合わせでもしているらしい人達が数組居た。
「こっちよ」と言い、ミルドレッドが左奥に歩いてゆく。
ティーラウンジの横を通り抜け、人通りの少ない通路を歩いてゆく。
この廊下ももちろん綺麗で、決してスタッフ用通路ではないだろう。
廊下を少し進むと左右がガラス張りになり、和風庭園が広がっていた。
池に、鹿威しに、盆栽をそのまま大きくしたような庭木が、苔むした潤いのある庭園に配置されている。
まるで別世界だ。
廊下の先も建物で、そこは少し薄暗いけれど上品な空間であった。
さっきの建物がホテルなら、こちらは老舗旅館と言う感じ。
柱が木で、照明のシェードは和紙のようだった。
いくつかの扉を通り過ぎ、階段ホールに出て、そこを下りる。
下りた廊下の少し先には、大きく広がる暖簾が掛かっている場所があった。
そこの前で、ミルドレッドにヴィヴィアンを奪われる。
「男子はそっちよ」と背中をドンッ、と押された。
暖簾の中は、脱衣場だった。
アメニティの並んだカウンターがあって、ロッカーがある。全てが白っぽい肌の木製だ。
ぴらり、と暖簾が持ち上がる。
「そっちの棚の中に水着があるから、好きなの使って」とだけ言って、ミルドレッドは引っ込んでしまった。
でも、そうか。水着着用の温泉なのか。
――そう言えばロビーの方で、外国人を何人か見たっけ。
日本の温泉はタオルすら湯に浸けてはいけないはずだが、ここは違うのだろうな。
研究や接待のための施設のようだし。
――どれだけの財力があれば、こんな施設を建てられるんだろう。
想像もつかない。