03-2
「皇女と同じ顔をしてるから、かぁ。天帝って、神様みたいなものなんでしょ。皇女って事は、天帝の娘って事だよね」
「あの、私もよく知らないけど、クーちゃんが言うには、空の住人は地球での人間とは違うって」
「うん。精霊みたいなものだって言ってたよね。エネルギー体だって」
「ガスとかチリとかが何となく固まって、ひとつの人格になるって。惑星みたいなものだって言ってた」
悠真は、ドライアイスの煙が人の形に漂うのを想像していた。シルエットはもちろん、ジンジャービスケットだ。
「何となく産まれた子達をとりあえず集めるのが〈学校〉で、そこで色々と学び、それぞれがどのような素質を秘めているのか判別させてゆく、らしいよ。クーちゃんやトバイアスは地球との親和性があって、一年生の時にオリエンテーリングに来たんだって。日本は世界の中でも優しくて親切で、理性的な国だって言ってたよ」
「そうかな……よく分からないけど」
空では母体から子が産まれたりするわけではない、と言う事か。
生まれたてで学校生活が送れるのなら、母体なんて不必要かも知れない。
「〈宿り木〉さえあれば、きみはちゃんと生きてゆけるの?」
「え」
「知り合いも仲間も誰も居ない。他人しか居ない世界で、きみはそれでいいの?」
クーちゃんの傍に居たい、のではないだろうか。
ヴィヴィアンの表情を見ていると、そんな気がする。
「だ、だって……」
ヴィヴィアンが突然、怯えたような顔になった。
「死ねない、んだもん……! 燃やされても、刻まれても、体液を絞り尽くされても、首の骨を切断されても、手足が引き千切られても、お腹に杭を打ち込まれても、私、死ねなかったんだよ! 好きで産まれたわけじゃない……よぉ!」
ヴィヴィアンは泣き叫んだ。
詳しくは語らないけれど、悠真の想像を超えるリンチを受けた事だけは分かった。
クーちゃんもきっと、自分に出来る精一杯のアドバイスをこの子に言い聞かせたのだろう。
地球に下りて〈宿り木〉を手に入れろ、と。
それ以外、この子に言ってやれる事などなかったのだと思う。
――それにしても凄いな、強靭なタフさ。それが皇女の遺伝子?
「皇女って、何者?」
ヴィヴィアンは首を横に振るだけだった。知らないのか。
「強過ぎるのも、つらいね」
人間は、自分は、脆かった。
あっさりと死ねる事は、実は幸福な事なのかも知れない。
生き続ける地獄と言うのも、実際はあるのだろう。
生きている事が幸せで、産まれる事が幸福だなんて、それそは、生きて幸せを味わっている人だけが抱ける実感で、みんながみんな、幸せなはずはないと悠真は思う。
――なのに、どうして繁殖しようとするのだろうか。
そんなに他人は幸せなのだろうか。
他人の心の中は覗けないし、本当の気持ちは分からない。
生物としての本能、とか言うけれど、それは理屈であり屁理屈だと思う。
そして、子供を作らなければならないと言う固定観念かな。
人間の世界には〈世間体〉とか言うのもあるらしいから。
「僕も、好きで産まれたわけじゃないな。それはビビアンと同じだと思うんだけど」
くすん、とヴィヴィアンが息を吸う。
――僕はひとりぼっちじゃないからなぁ。遥斗が居て、オーフェリアさんが居てくれるから。
でもさすがにそれは言えない。ひとりぼっちの女の子に対して。
「〈宿り木〉か……難しいなぁ」
「悠真は〈宿り木〉の事を知ってるみたいだけど、どうして?」
「ん? ん~。〈宿り木〉が〈人形〉で、ウチの遥斗が人形作家なのは知ってるよね。だから噂レベルでなら、聞いた事があって」
「難しいって言うのは? どう言う事なの」
「僕にはよく分からない世界の話だから、あまり突っ込まれても困るんだけど。聞いた話だよ? 本当かどうかは分からないし、僕には知識も無いから間違ってるかも知れないんだけど」
「うん」
「ホロスコープって分かるかな、星の配置の事なんだけど」
「う、うん」と困惑した声が返って来た。よく分からないようだ。
話す者と聞く者の両者が共にきちんとした知識も無く、理解も把握も出来ていないのだから、ここから先の会話はデタラメで、ムチャクチャになる可能性が大いにある。
だけど、言わなければいけないと悠真は思った。
ありもしない〈宝物〉を漠然と探している子を、放ってはおけない。
「星は世界に影響を与える。それは人形作りでも同じ事で、質のいい物を作ろうとするのならば、星の配置が重要らしい」
毎日少しずつ動き角度を変える惑星と、それらの影響を受け取る諸々の事象。それが星術だと思う。
「でも、その時期は過ぎてしまった――。作れないわけじゃない、いい配置の時もそれなりには回って来るみたい。でも僕は、皇女の遺伝子を受け継ぐビビアンを受け入れられるだけの〈器〉が、そう簡単に作れるとは思えないし、他に実在もしいていないんじゃないかな、と思うんだ」
こちらを見ていたヴィヴィアンの瞳から、小さく煌めいていた光が消えた……ように見えた。
そして、沈黙が横たわる。
悠真の身体の中で、不快な鼓動が徐々に大きくなってゆく。
なんだ。この吐きそうな居心地の悪い気持ち、は。
ざわざわと、全身に不安が広がってゆく。息が、苦しくなってゆく。
――ぼ、僕。今、何を……。
今、自分がヴィヴィアンに言ってしまった事、とは。
お前の器など、手に入るわけがない。
そんな意味の事だ。
背筋にぞくん、とした物が走る。
それは、言わなければならない事だったのか? 本当に?
――そんな、わけ、ない……。
強烈な罪悪感に悠真は襲われた。
心が震え、身体が震える。
未熟な知識で語ってはいけなかったのではないか?
でも、小さな子をひとりで彷徨わせるには、世界は広過ぎるし、多分残酷過ぎる。事実は事実だ。
この子が入れる〈宿り木〉など、他にあるわけがない。
――でも。だけど。
ヴィヴィアンの身体から、くったり。と力が抜けてゆくのが悠真には見えた。
首が少し前に倒れ、背中が丸まり、両腕の先が無造作に地面に触れる。
大きくて丸い瞳はぱっくりと開き、口は小さくぽかんと開いて、それこそ抜け殻のようになってしまった。
「ビ……ビビアン」
悠真は恐ろしくなって、声をかけた。
震えて、小さな声だった。
自分でも聞き取るのがやっとの、小さな声だ。
風に揺れる葉っぱの音の方が、もっと大きくて聞き取りやすい。
――希望を持っていたはずだ。だから探しに来たのだ。〈宿り木〉を。
腹の底に、ずしんとした痛みが走る。
この子のためだと思った。それは嘘じゃない。
だから言い難かったけど、言った。
言いたくて言ったわけじゃない。
でも。
言っていい事と悪い事があるのではないだろうか。
小さな子を絶望に突き落とす事は、言ってはいけない事だったのではないか。
「ビビ……アン」
声が、擦れる。
悠真は両腕を伸ばし、その身体を抱き寄せた。
――冷たい……!
でも、抱ける。
こうやって、感触がある。
身体の波動を、地球用に書き換えているから。
何て小さくて細い身体なのだろう。
頼りなげで、儚げだ。
「ごめ……ビビアン、僕、きみを悲しませたかったわけじゃ、ない……んだっ」
情けない言い訳は、それくらいしか言葉にならない。
ヴィヴィアンの身体を抱きしめたまま、悠真は泣いていた。
「こんな風に、きみを追い詰めるつもりじゃなか……っ」
そして悠真はヴィヴィアンを抱きしめたまま、何時間も泣いた。
夜明けが来たと気付いたのは、境内の方から鶏の泣き声が聞こえたから。
酷い頭痛を感じながら空を見上げる。
淡い紫色の空に、白い雲が浮かんでいた。
胸の中のヴィヴィアンに視線を移す。
彼女はあの時と変わらず瞳孔を開いたまま、身動きひとつしなかった。
――ふん、何が皇女サマよ。ただ〈産まれただけ〉で、地位にあぐらをかいているような奴が。
下働きの制服を着た女が、宮中の長い廊下で作業をしている。
肩より少し短く切りそろえられているブロンドの髪と、赤みの強い煉瓦色の瞳を持つ女だ。
彼女は昨夜使用された部屋全室の、ベッドメイキングを終えた所であった。
仕事はもちろんひとりでやったわけではなく、仲間と共に。
「アンジェリカ、ちょっとリネン室から取って来て欲しい物があるのだけれど」
先輩に呼ばれアンジェリカは、素直に「はーい」と返事をした。
彼女のエプロンポケットには皇女の物だけでなく、様々な要人の髪が隠され、小分け袋に整理されている。
それは〈やってはいけない常識〉であったが、彼女はルールなど守るつもりはない。