密室ラブレター
以前の拍手ssを元に大幅に、加筆修正しています。
「真廣先輩、密室は逃げられないですよ」
大事なのは矢印の向きです。誰から誰に向けられた手紙なのか考えて、考えて、その頭の中を埋め尽くしてください。
単純な答えを切り取って謎にしてみせるから、推理してください。
ね、真廣先輩。
*
旧校舎の忘れられたような一室に文芸部の部室はある。
部員は四名。そのうちの二名は名前だけの部員なので実質は二名。
男子一名、女子一名だ。
部室は広いとは言えないけれど、息苦しさを感じさせない丁度いい空間だと思う。
奥の窓を開けるとカーテンが揺れて気持ちのいい風が入ってくる。
入り口のドアも開ければ、窓からドアへと風が流れる。
最初に部室に入った人はこうやって暫く換気をする。
閉めるのは後から部室に来る人の役目だ。
こうして軽い足取りで部室に向かいながら思いを馳せていると、初めての出会いの記憶も鮮やかに蘇る。
入学して間もなく、静かな場所を探して旧校舎に入り適当に歩いてたら、開いてるドアがあった。
気持ちのいい風がそこから流れてきたので思わず覗いてみる。
奥の窓が開かれてカーテンが風でふわりと揺れる。
長い机とパイプイスが置いてあり、そのイスのひとつに男子生徒が座っていた。彼は手元にある本に目を落としている。
一歩近付くと古い床が音を立てた。音に気付いて彼が視線だけ上げる。
少し長めの黒い前髪から真っ直ぐな視線を向けられ、心臓が跳ね上がった。
私に気付くと顔を上げ、そうして彼は安堵したように笑った。
「一年生? 入部希望?」
不意に、後ろから声を掛けられた。
人の良さそうな顔で笑いかけて、私の横をするりと通り過ぎて部室の中へと入っていってしまった。
ここはなにかの部室だったのかと、目印を探している私をよそに彼はにこにこと言葉を続けた。
「もしかして新入部員? しかも女子じゃん。よかった、来た甲斐があったわ。な、真廣。廃部にならなくて済んだじゃん」
「巽、その子は新入部員じゃない」
本を閉じて黒髪の男子生徒が静かに制した。
やはり、どこかの部室だった。
彼の言葉は、通りかかっただけとは言いづらい雰囲気をいくらか和らげてくれたようにも思えた。
「そうなの?」
「多分、ここが文芸部だと知らずに来たのだろう」
「なんで入らないの」
「巽、あまり困らせるな」
後から来た男子生徒は笑顔を引っ込めて、分かりやすく顔に出し不満の声を漏らす。
そんな彼を、先に来ていた男子生徒が宥めていた。
二人のやり取りに思わず笑みが零れる。笑みを落ち着けながら私は口を開いた。
「すみません、今日は見学だけでも構いませんか」
突然の交友的な言葉に驚いたのか少し目を見張り微笑むと、落ち着いている男子生徒が先に言葉を返した。
「いいよ、歓迎する」
「俺は掛け持ち、っていうか名前貸してるだけだから文芸部には余り来れないとけど仲良くしてくれるとすっげー嬉しい」
「話進めるより自己紹介が先だろ。俺は真廣 景幸で、」
「はい、はーい!俺は巽 明人。真廣と同じ二年。で、新入生ちゃんお名前は?」
「私は――」
後になって聞いた話だと、文芸部は三人の部員しかおらず廃部寸前だった。そんな時、新入生が見学に来たので思わず、ほっとしたと言っていた。私は四人目の部員なのでギリギリ部として存続させることができると。
速度を落として部室の前で一度立ち止まり、私――朝比 藍梨はそっと中の様子を窺った。
先輩ひとり、しかいない。
初めて出会ったときと同じように男子部員――真廣 景幸が座っている。
先輩は机の上に視線を落としていた。
少し長めの黒い前髪で隠されている奥で瞳がゆらりと動く。足音で誰かが来たと気付いたのだろう、視線がゆっくりと上がる。
私は音を立てて一歩踏み出した。
「こんにちは、真廣先輩」
そう言って文芸部の部室に入りドアを閉める。
真廣先輩が眉をひそめた。
「遅い」
「時間ぴったりですよ」
軽く笑いながら奥へと足を進めて先輩の横を通り過ぎ、窓を閉めた。
先輩の隣の椅子に座る。
鞄を置いて、ちらりと横を見ると机の上には教科書とノートが置いてあった。
私が来たときに手放したのか、手元にシャーペンも置かれている。
「うわっ。勉強してたんですか」
「朝比は宿題でてないのか?」
「部活のときまで勉強の話はやめましょうよ」
二人しかいない文芸部だから今日の活動内容なんて簡単に変更できる。
先輩のことだから、勉強会にするとか言いかねない。話を変えるために言葉を続ける。
「真廣先輩、これを見てください」
徐に一通の手紙を先輩の目の前に差し出した。
ただの手紙ではないことを補足して。
「ラブレターです」
先輩の視線がその手紙にだけそそがれる。黒い瞳が僅かに動くことを私は見逃さない。
先輩の好物をもう一振りかける。
「差出人を推理してください」
その眼差しが、すうっと私を見た。そうして、あからさまに顔を顰める。
「心当たりぐらいないのか」
面倒なのか、そんなに嫌そうな顔しないでくださいよ。ただの手紙じゃないんですよ。
そう含ませるように私は考えるような素振りを見せる。
「そうですね。見ていいですよ」
私の手で持ったままの手紙を机の上に置く。彼はまた視線を落とし、なにか思うところがあったのか手紙を手に取る。
裏も表も、差出人も宛名もなにも書いていない。
真っ白の、封のしていない封筒。その中に白い便箋が二つ折りで入っている。
そこまで確認すると私に手紙を返した。
「読め」
先輩の言葉に躊躇なく封筒から便箋を取り出し、一枚だけの便箋を開いた。
書いてある文字に視線を落とし息を小さく吸う。
「好きです。大好きです。出会ったときから」
「ストップ。声に出して読めとは言ってない」
「えー。せっかく感情込めたのにな」
「込めなくていい」
「告白なのに?」
「告白でも、声に出さない方がいいだろう」
告白だから声に出したほうがいいのに。
「ふーん。そういうものですかね」
便箋を折りたたんで封筒と一緒に渡す。
先輩は考えるように眉を寄せた。便箋を開けることなく封筒に入れられて先輩の指が封筒を撫でる。
「封はしてなかったんだな」
「そうですね」
「便箋に名前書いてあったか?」
「書いてないですよ」
「内容を読んで心当たりは?」
「ありますよ」
淡々と返せば、先輩の目が僅かに見開かれた。
そういう表情もいいな、と緩みそうな頬を抑えて困った顔を出す。
「でも、真廣先輩に解いてほしいんです。好きですよね、推理もの」
楽しくて語末は少し頬が緩み、首を傾げ先輩の表情を窺う。
私が言った言葉を吸い込むように瞬きを、ひとつした。
口角が上がり、愉快そうに告げる。
「好きだよ」
私自身に言われたわけではないのに、愛の言葉のように聞こえて胸の奥が震える。
それも数秒だけで先輩の瞳が手紙へと移った。
先程より興味を示してくれている。彼を促してみる。
「読んでください、先輩」
真廣先輩宛ですよ。と、言いそうになって飲み込む。
先輩はもう気付いてるのかもしれない。
矛盾だらけの会話なのに読もうとしているのだから。
「読んでいいんだな?」
「はい」
私に確認をとると、便箋を開いた。中身を見て先輩の動きが止まる。
「なんて書いてあるんですか?」
私も読んだのだから内容は知ってる。それでも、敢えて聞く。
「”好きです”って書いてあるだけだ。お前……嘘ついたな」
先輩の言う通りで、便箋の始めに――好きです、と書かれているだけで後に続く文はない。
「ちょっと雰囲気を盛り上げて読んだんですよ」
「お前は、この手紙の差出人を知ってるんだな」
私の表情の変化を見逃さないように落ち着いて言った。
嬉しくなって笑ってしまう。
「知ってますよ」
「それなら、俺が答える意味がないだろう」
「意味ならあります。こんなに分かりやすいのに」
「差出人は誰だ?」
「それは先輩の口から聞きたいな」
甘えるように言えば、先輩の口から溜息が出た。
その顔は呆れてるでしょ。それとも降参ですか。
なにも言わない唇がじれったくて私はまた口を開く。
「じゃあ、大ヒントあげますね」
得意げに笑い、机の上に置かれたままのシャーペンを手に取る。
ノートの端に書こうしたら手を掴まれた。
「いらない」
「え」
ヒントを書いたら先輩が気付いて終わる流れだったのに止められてしまった。
「朝比」
先輩の低い落ち着いた声が私を呼ぶ。
「なんですか」
声が動揺しそうになる。掴まれたままの手を意識してしまう。
「わかったよ、差出人」
期待しそうな想いを抑えて静かに息を飲んだ。すっと掴まれた手が離される。
先輩は立ち上がり、窓の方を向いた。
「この手紙に内容が少ないのには意味がある。書かなかったんじゃなくて、書けなかったんだ。筆跡という手掛かりをできるだけ少なくするために」
あぁ、もう答えに行き着いてしまったのか。短い遊びを名残惜しむように
顔を上げて答えを待つ。
「差出人は、朝比 藍梨だ」
そう言って微笑む先輩を見て、私も口元が緩んだ。
パチパチと大きな拍手が頭の中で響いた。嬉しくて先輩に抱きつきたいぐらいだけど、
嫌がられたくないので思いとどまる。変わりに立ち上がった。
「お見事です。さずが、真廣先輩です」
「どうしてこんなに、回りくどいことしたんだ」
「先輩の好物でインパクトを与えてみようかと思ったんです」
「あのな、推理小説が好きだからって推理ができるとは限らないだろ」
「でも先輩は、ちゃんと正解を引き当てましたよ」
「分かりやすくヒントがあったからな。お前の反応を見て考えただけだ」
「嬉しいですよ。私のことを見てくれてたって証拠ですから」
「……それで、俺はどこまで本気にとればいいんだ?」
「全て本当ですよ。嘘は付いてません」
「……手紙の内容も?」
「本心です。朝比 藍梨から真廣 景幸への手紙です」
”好きです。大好きです。出会ったときから好きです。”
「真廣先輩、密室は逃げられないですよ」
私の気持ちを意識してください。
一歩、近付く。
笑って距離を詰めて手を取ると、先輩は驚いて赤くなると予想した――
のに先輩はちらりと横目にカーテンで閉じた窓を見て、その双眸は私を捕らえた。
「楽しい?」
「え?……あ、はい」
「そう。……俺も楽しいよ」
先輩はゆっくりと目を細めた。
いつもと違う微笑み方で、はじめて見る表情に動揺する。
手を取ったはずの私の手が掴まれて、くるりと体が反転した。
立ち位置が逆になる。窓を背に、目の前には先輩の顔がある。
「気付かないふりも難しいな」
先輩の目はそんなにも楽しそうに熱を帯びていただろうか。状況に頭がついていかない。
「朝比、密室は逃げられないんだよな?」
綺麗な瞳の奥に惹き込まれる。
「せ、せんぱい?」
「さっきまでの勢いはどうした?」
「近いです。近すぎます。離れましょう」
「朝比の方から近付いてきたのに?」
「待ってください。せんぱ」
笑った。愉しそうに笑った。くすくすと可笑しそうに言う。
「自分からは押してくるときは強気だったのに」
だって、それは気付かれないと思っていたから、先輩は鈍いと思っていたから。
先輩に指摘され顔が熱い。落ち着かない。
「わ、悪いですか!」
「可愛い」
両手で頬を捕らえられて、強制的に視線を絡めさせられた。
「だから近いです。離れてください。私のこと好きなんですか」
興味がない様子だったのに、と脳裏に過去の出来事が蘇ってしまい八つ当たりのような苛立ちを投げかける。
距離をとろうと両手で体を押してもびくともしない。それどころか、また手を取られてしまう。
「あれ、知らなかったか?」
私の指先にキスをして意地悪く笑った。
弧を描く唇が動く。
「告白、」
じわり、指先から熱が伝わってくる。
逃げられない。否、逃げるつもりはない。最初からこの密室から逃げようとしなかった。
先輩も。私も。
「ちゃんと口で言ったら朝比のほしい言葉をあげるよ」
甘い言葉につられて、すぐにでも吐き出したい衝動が押し寄せてくる。
同時に、前から私の気持ちに気付いていたのではないかと、羞恥心も溢れ出た。
そのどちらも押し込めて、無理やり口角を上げた。
「先輩は、意地悪だったんですね」
正面から視線を受け止めて見据える。
「でも、先輩の口から聞きたいです」
「逆に返すなよ」
「今日の私は強気ですから」
「怒ってるのか」
「いいえ、全く。真廣先輩は――」
顔に影が落ちてきて、続く言葉は唇に飲み込まれた。
柔らかな感触を意識した後に、唇は離れて至近距離で呟かれた。
「好きだよ。真廣 景幸は朝比 藍梨が好きだ」
唇がくすぐったくて堪らずに口を閉じる力がこもる。
僅かな抵抗も先輩の指で撫でられると、容易く開いた。
「……先輩は、意地悪です」
「でも、好きだろ」
唇に吐息がかかる。少しでも動けば触れ合う距離を、自らゼロにした。