第6話「その二、カレシ」
――翌日――
昨日は一之瀬くんのお世話になり、家の前で一之瀬くんとスマホの番号を交換してから家に入った。一之瀬くんは私が玄関を閉めるまで見守ってくれて、本当に紳士的で参ってしまう。
学校中の女子が一之瀬くんに惚れる気持ちが少しだけわかった。
学校へくる間は昨日のようなことはなく、無事辿り着いて下駄箱で靴を履き替える。
「双葉さん、おはよう」
「――田中、くん……おはよう」
靴を下駄箱にしまって、横開きの靴箱の扉を閉めた瞬間だった。その向こう側からこちらを見ていたらしい田中くんが挨拶をしてきたのだ。
それまでまったく気づいていなかった私は驚きのあまり、小さく息を呑んだ。背筋が凍りそうだったけれど必死に声を出して挨拶を返す。
私の返答を聞いて田中くんは満足そうに微笑むけれど、いつものように通り過ぎていかない。
私もその場を動けずに立ち尽くしていたけれど、急に田中くんが下駄箱を思いっきり殴った。ガァンと独特の音が辺りに響き渡り、周囲の人たちが集まってくる。私は大きな物音が苦手なため、驚きのあまり小さな悲鳴を上げた。
「おい、あれ……双葉さんじゃね?」
「隣の男子だれ?」
「なになにー?」
どんどん集まってくる生徒たち。私は進路も退路も塞がれてしまい、原因を作った田中くんを見上げた。
「昨日、何で逃げたの?」
「え……?」
「双葉さんをつけてたの俺だよ?」
告げられる真実にやはりと思いつつ、私は震えそうになる身体を必死に奮い立たせる。どんな理由であれ、私に非はないのだ。私が身を引く理由なんて、ない。
「――どうして、私をつけてきたの?」
「どうしてって……『カレシ』が『カノジョ』と帰るのは当たり前でしょ?」
田中くんはあくまで笑顔で言った。けれどその言葉の意味をつかみあぐねる私の耳に、周囲の人の小さな会話が耳に入ってくる。
「え!?双葉さんとあの男子付き合ってるの!?」
「マジかよ?俺密かに狙ってたのにー!」
「――わ、私たちは付き合ってない!!」
ようやく理解した、と言えばうそになる。だってどんな話で田中くんが私と付き合っていると思ってるのかわからないから。
それでも事実は一つ。私の中では田中くんという存在は昨日、奈々ちゃんに聞くまで知らなかった。
「それ、本気で言ってるの……?」
叫ぶように否定した私を見て、野次馬たちは黙り込んだ。しばらく沈黙が場を制したが、田中くんがそれを破った。
目を大きく見開いていながら、その表情はまだ笑顔を保とうとしているせいで、とても不気味な顔になっている。ここまで勘違いしている理由はわからないが、はっきりと田中くんの言葉を拒絶する。
「昨日の放課後!俺に告白してきたの双葉さんのほうだろ!?」
「知らないっ!!私、昨日はすぐに奈々ちゃんと帰ったもん!」
「ふざ――」
「朱姫!!」
玄関にまで出来ていた人垣をかきわけて、奈々ちゃんが現れた。奈々ちゃんは田中くんを素通りして、私のところまで駆けよると手を握ってくれた。
それに安心して涙腺が緩んで、涙が溢れそうになる。そんな私を見て、奈々ちゃんはキッと田中くんを睨んで、私をかばうように立った。
「わけわかんないこと言わないでよ、田中!朱姫は昨日、私と真っ直ぐ駅まで帰ったんだから!!」
「そんなはず……二人して俺をからかってんのか!?」
「やめて!」
奈々ちゃんに手を上げようとした田中くんを見て、私はとっさに奈々ちゃんを引っ張った。その反動で私が前に出るようになるが、奈々ちゃんを守るためだ。
衝撃を覚悟して両目をぎゅっと閉じたけれど、田中くんの手が私の元に届くことはなかった。
私の頬に衝撃がない代わりに、私と田中くんの間の下駄箱が強く叩かれたから。
「――そこ、邪魔なんだけど」
一之瀬くんが田中くんを見据えて告げる。田中くんが一歩下がると、一之瀬くんはゆっくりと靴を履き替えて、我関せずといった様子でこの場を去ろうとしていた。
「……と、とにかく!昨日、告ってきたのは――」
一之瀬くんが私の横を通り過ぎる最中、田中くんが言い募ってきて、私も否定しようと息を吸い込んだ。
しかし、目の前に出された私より大きな腕が、田中くんの言葉を制した。
「その辺にしときなよ」
「一之瀬くん……」
私たちの間に割って入ってきた一之瀬くん。ただでさえ修羅場と思われているのに、学校一のイケメンが入ると状況は一気にヒートアップする。
野次馬たちも再びやいやいと騒ぎ始めた。
「お前ら!いったい何を騒いでいる!!早く教室に入れ!」
けれど事の騒ぎを知ってか現れた先生の一喝により、野次馬衆はあっという間に散らばっていく。
「……双葉たちも、早く教室に行きなよ」
「で、でも……」
「朱姫」
現状を作ってしまったのは私と田中くんだ。それを一之瀬くんに任せるわけにはいかないと、食い下がろうとした。けれど奈々ちゃんに制されて思いとどまる。
昨日といい、一之瀬くんの厚意を無駄に仕掛けていると考えては、お礼を告げて奈々ちゃんとその場をあとにした。