第18話「双葉 市花」 Side 市花
「これはどういうことかな、市花チャン?」
「ごめんなさい、ごめんなさい……!」
「謝ってるだけじゃわからないよ?ねぇ――」
髪を乱暴に掴まれて、下げている頭を無理やり上げられる。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い……
――何で私はこんな目にあってるの?
すべてはそう、あの日から始まったんだ。
* * * * * *
『おかあさん、どこいくの?』
あの日、私の大好きな家族を離れて母が訪れたのは、母が浮気していた男のところ。
それ以来、母と私はその男の小さなワンルームアパートに住むことになった。
家に帰らないのかと聞いたこともあったが、その度に母に叩かれたのでやめた。
夜になると、私はキッチン側で、タオルケット一枚手渡され一人で眠る。
母と浮気男のいちゃつく音が耳に障る時は、必死に塞いで聞こえないふりをし続けた。
父のもとへ帰りたい。
大好きな妹のところへ戻りたい。
そう思いながら何度も泣き寝入りした。
そんな生活が一変したのは、私が中学に入学した頃。母は生活費を稼ぐため、掛け持ちで昼夜問わず働いていた。
浮気男はと言えば、どこかの雇われ工場長をしているらしい。けれど仕事には滅多に行かず、家にいるのがほとんどだった。
『ただいま……』
中学から戻ってきた私は、忙しい母の代わりに家事炊事をしていた。
その日も、帰ってから夕飯の準備をするつもりだったんだ。制服から着替えるため、箪笥から服を取り出して台所へと向かう。
ブラウスのボタンを一つずつ開けていると、いきなり寝室と台所の仕切りが開く音がした。
『きゃああ!?』
『おいおい、僕はお前の父親だろ?そんな隠す必要ないって。むしろ裸エプロンで調理しろよ、な?』
『こないでっ!近寄らないで!!』
自分の体を抱きしめてしゃがみこんだ私に、近づいてきた浮気男は肩を引いて振り向かせようとする。
怖くて仕方なかった。
何で私ばかりこんな目にあわなければいけないんだろうか。
浮気男を突き飛ばした私は、そこから飛び出した。
向かう場所はただ一つ。私が恋しくて恋しくてたまらない、たった一つの『家』――
この間、母が持っていた私の母子手帳を偶然見つけたのだ。
そこに書かれてあったのは、あの幸せだった頃住んでいた私の家の住所……
いつか必ず行こうと思っていた。それが今だっただけだ。電車をいくつも乗り継いで、駅員に確認してやっと辿り着いた。
近所の人に確認しようとしたら妹と、朱姫と間違われたから間違いない。
何度夢見ただろうか。ここに戻ってくる日を。
玄関を開けようとしたら、当たり前のことだが鍵がかかっている。とりあえず、まずは家に誰かいるか確認しようと庭を回った。
庭から見えるのは、皆でいつもご飯を食べていたリビング。テレビもそこしかないから、父や妹が帰ってきてるならきっといるはず。
ドキドキと、高鳴る鼓動を抑えながらそっと窓からのぞいた。
――最初に目に入ったのは、私そっくりの妹の姿だった。
私と同じで綺麗に育った妹。何度会いたいと思っただろうか。
そして向かい側に座る父。少し老けたようにも見えるが、まだまだ若い私の本当の父。
涙が溢れそうになった。二人とも元気で良かった。私もあそこへ戻りたい……
けれど、それがすぐに叶わないことだと私は悟る。
――父の隣には、私の見知らない女がいた。
母に負けず劣らず綺麗な女性だ。その女と父、そして妹は楽しそうに会話をしている。
私の居場所はそこになかった。
気がついた時にはふらふらと家を後にしていた。
私の居場所はこの世界のどこにもない。
この街の人間は、私を見るたび『朱姫ちゃん』、『朱姫ちゃん』と妹を呼ぶ。
まるで『私』なんていなかったみたいに。
――どうしてこうなった?
私の立場は妹でもおかしくなかったはず。
――そうよ。
何で妹はすべてを持っていて、私には何もないのよ。
こんなのおかしいに決まっている。
不公平だ。平等にしなきゃいけない。平等にならなくちゃいけない……
――私の心が壊れた瞬間だった。
『市花!』
そんな私の元へ、母が現れた。帰宅した折、私が飛び出していったことを浮気男に聞いたらしい。
そんな母の頬は、赤くはれていた。
それに気付きながらも、聞く気力もわかなくて私は母に連れられあの家へと戻るはめになる。
『見つかったわ』
『そうか……じゃあ市花チャン、こっち』
浮気男はにっこりと笑みを作って告げる。
私は母の後ろに隠れようとしたが、母はそんな私をその男へと引きずり渡した。
『私は夕飯作るから……』
そう言って、母は台所に立つ。
私は浮気男に強引に連れられ、寝室へといれられた。
『まず、オトウサンに何か言うことは?』
にこにこと笑みを浮かべたまま言う浮気男。
それが気持ち悪くて、声が出ない。否、実際心の奥底では言うことなんてないと思っていたのかもしれない。
『そう……市花チャンは悪い子だね。悪い子には……お仕置きしないと、ね』
『――い、いだっ!?』
そう言って浮気男は私の髪の毛を鷲掴み、無理やり頭を上げさせる。
それが初めて、浮気男に受けたDVだった。
普段は私のことを無視する浮気男が、新しい楽しみを見つけたのだ。
それ以来、私と母は定期的に浮気男のDVを受けるはめになった。
――そしてさらに数年後、高校二年になった私はある計画を実行することにした。
私の人生と、妹の人生を取り換えっこするんだ。
私が欲しかったものをすべて持っている妹、充分幸せだっただろう。
――だから今度は、私の番。
でも単純に取り換えっこしようなんて言えないし、言いたくない。
私が今まで受けた苦しみを、今度は妹が味わう番だ。
まずは妹からすべてを奪わなければいけない――
こうして私の計画が始まった。




