第15話「記憶の先の声」
「――ここが俺の家」
「ここに、一人……?」
公園から歩くこと数分、一之瀬くんの家にたどり着いた。
一之瀬くんの住んでいる家は高層マンションの12階、4LDKという規模だ。
これを一人でということは、一之瀬くんはとんだ金持ちのご子息にあたるんじゃないんだろうか。
驚いている私の手を離して、一之瀬くんはさっさと上がっていく。
「上がったら?」
「お、お邪魔します……」
今更ながら来てもよかったんだろうかと思いつつ、一之瀬くんに促されて靴を脱いだ。
リビングは綺麗に片づけられていて、とても男の子が一人暮らししている空間に見えない。
「そこのソファーに腰掛けといて。飲み物、何がいい?コーヒーかジュースかお茶しかないけど」
「じゃあ、お茶で……」
まるで借りてきた猫のように大人しく、一之瀬くんの指示に従う。
鞄を床に置いて、ソファーの端に腰かけた。落ち着かなくてそわそわしていると、頬にひんやりとしたものが当たった。
「ひゃっ!?」
「そわそわしすぎ。ホテルじゃないんだからさ」
顔を向けると、麦茶の入ったコップを片手に立っている一之瀬くんがいる。
先ほどの正体はこれか、と思いながら差し出されたコップを受け取った。
一之瀬くんは反対側から回って、私の隣に腰を下ろす。手に持っているのは私のものと同じ色なので、おそらく麦茶だろう。
「そう言えば、話って?」
気になっていたことを一之瀬くんに問いかけて、お茶に一口付けた。
夏の麦茶は格別に美味しく感じるから不思議だ。喉が潤うのを感じて、自然に頬が緩む。
「ああ、双葉がさっき言ってた話。ドッペルゲンガーはやっぱり信じられねぇけど……」
一之瀬くんの言葉に少し落ち込んでしまう。
けれどそれが当然だと思うところもあるため、何も言えなかった。
「でも……ドッペルゲンガーじゃなくて、こうは考えられねぇかな?」
一之瀬くんもお茶を少し飲みながら話を続ける。
そっと視線を向けると、そこには真剣な面持ちをしている一之瀬くんがいた。
「――双葉、お前姉妹いないの?」
「え……?一人のはず、だよ?お母さんはお父さんとの子ども産んでないから」
「ちょっと待った」
私の言葉を大人しく聞いていた一之瀬くんだったけれど、急に口を挟んできた。
私はそれに従って一之瀬くんを見ると、少し混乱したような様子が目に入る。何かおかしなことを言ったかな、と首を傾げた。
「え、ちょっと待って。『お母さんはお父さんとの子どもを産んでない』って……」
必死に理解しようとしている一之瀬くん。復唱された言葉を聞いて、やっと一之瀬くんが疑問に思っていることを察した。
けれど一之瀬くんの混乱っぷりが面白くて、少し笑ってしまう。
「そうだね。普通はそうなるよね。ごめんね?言い方が悪かった」
一之瀬くんに謝罪すると、私はコップの中の麦茶を見つめた。
「今のお母さんはね、私の本当の母親じゃないの」
「え……」
私のカミングアウトに、一之瀬くんは驚いて固まってしまう。けれど私はそれを無視して言葉を続けた。
「私が小学生に上がる一年前だったかな?本当の母親の浮気がばれて、家庭崩壊……離婚したの。その時、私は父に引き取られて母は――」
コップの中身に映る自分を見つめながら、過去を思い出そうとしていた。
父と二人、玄関に立ち尽くしながら大きな荷物を片手に玄関を開ける母。もうその後ろ姿しか覚えていない。
けれど不意に、脳裏をある声がよぎる。
『――朱姫』
どこかで聞いたことのある、幼い女の子の声。
奈々ちゃんでも母でも、本当の母親でもないその声は、よく私を呼んでいたような気がする。
誰だっけ?
知ってるはずなのに……
最近も聞いたはずなのに。
「あ……っ!」
「双葉……?おい――」
するりと、持っていたコップが床に滑り落ちた。
どうしてこんな大事なこと、今まで忘れていたんだろう。
たった一人の私の姉妹だったのに……
『朱姫……』
私を呼ぶ懐かしい声。
私の大切な人の声。
「お、ねえちゃ……」
私は深い深い過去の記憶へと意識を落とした。




