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葵はその後、少し街をぶらぶらしてから地下鉄のホームに降り立った。地下鉄がトンネルに入り、窓の景色は暗く、窓に葵自身を映し出した。やがて、トンネルを飛び出した地下鉄は、葵が住むマンションの最寄り駅に入っていった。
「編集長・・・。」
マンションの階段の前で、あの男が座って待っていた。葵に気づくと、男は葵の前に立ってこういった。
「少し、話したいことがあるんだ・・・いいかな?」
葵は、深刻そうな男の顔を見ると・・・無碍に断ることが出来なかった・・・。
木暮悟
葵が忘れなかったあの男の名前。
葵がイラストレーターとしてデビューした雑誌の当時の編集長。
コンテストの最終審査。葵が直接プレゼンした際、唯一人、葵の事を高く評価した人物である。
何がダメで、何がいいのか仕事のことを全部話し合い、一つの作品を仕上げていく・・・
その編集者とイラストレーターという関係が、次第に崩れていった。
会うたびにお互いの気持ちを確かめあい、すべてを崩していく・・・。
何年もずっと・・・。
葵は、大学を卒業すると同時に木暮と別れ、行き先を言わないまま引っ越した。一方、木暮は葵と別れた後、出版社を退職し、出版社時代の仲間数人と独立。そして去年、妻と協議離婚。ほとんど何も持たないままこの街に引っ越してきた。
お互い何も知らないまま、同じ街に住んでいた・・・。
葵の家の近くにあるファミレスに入ると、窓際の席に案内されそのままその席に座る。
「食べたいのがあったら、適当に頼んでいいから。」
木暮は、にこっとしながら葵にそう話す。葵は、そのままコーヒーを頼むと「俺も同じので。」といってコーヒーを注文した。
「で・・・話って何ですか?」
「うん?」
木暮は、携帯電話の電源を切ると、葵の顔を見てこういった。
「これからも会いたい・・・。」
「どういう・・・ことですか・・・。」
「・・・じゃ、率直に言うな。・・・やり直さないか、俺達。もう一度さ・・・。」
にぎわうファミレスの中で、葵と木暮が座るテーブルだけが無音だった。
葵が閉じ込めていた昔の記憶と、今の葵の中の気持ちが激しく、ぐちゃぐちゃに混ざっていく。それが、葵にとってその感覚が怖かった・・・。
結局その日には結論が出ず、少し昔の話をしてファミレスを後にすることに・・・。
「返事・・・待ってるから。」
木暮はそういうと、連絡先の書かれた名刺を葵に渡す。
「じゃ・・・。」
そういって彼らは家路に着いた。




