vector A←B ~旭万里の葛藤~
「―あー・・・」
階段に座り込む。屋上は立ち入り禁止だけれどそこへ行くための階段はちゃんと存在しているわけで、何かを考えるとき、俺は決まってここへ来ることにしていた。静かで人目に付かないからだ。
「なにしてるの、万里」
・・・こいつにだけは、いつも見つかってしまうのだけれど。
「瑞希こそ、こんなところで、何してるんだ?」
「別に。暇だから来てみただけ」
瑞希はさらっと呟いた。瑞希がこう言うときは本当にその通りであることが多いので、俺も余りこだわらないと決めている。
祇堂瑞希は言わずと知れた学年一位で、中学時代の、もっと言ってしまうと小学校時代からの同級生だ。
その頃から気が付くと隣にいることが多く、そんな関係が今も続いている。
「・・・なんか、あったの?」
色素の薄い髪を揺らして隣に座り込んでくる。
「・・・別に、何も・・・」
「告白」
俺はびくっとして飛びすさった。
「な、なんでそれを・・・」
「万里のことは、お見通し」
口元で人差し指を立て、瑞希は小さく微笑んだ。
「本当に何を考えてるのか分からないな、お前は・・・」
「おかげさまで」
「いや意味が分からないし」
俺ははあっとため息をつく。
「・・・どうしたら、いいんだろうな」
「私と付き合えばいい。簡単なこと」
「なんでそうなるんだよ。俺が話してるのは伊波のことで・・・」
「え、そうなの」
「お見通しじゃないのかよ・・・」
瑞希はうーん、と天井を仰ぐ。考えているんだかいないんだか分からないのんびりした動作と、何も映していないかのように錯覚してしまいそうな無機質な瞳の色。
「・・・伊波のこと」
「こら、呼び捨てにするな」
だって万里は呼び捨て・・・と唇を尖らせる瑞希の頭を軽く小突く。
「・・・伊波・・・・・・様のこと、好きなの」
「様って・・・それはそれで問題がありそうな・・・」
絶句しながらも考えてみる。
好ましく思っているのは確かだ。伊波はそりゃあたまにそそっかしいところもあるけれど、マネージャーとしてとてもよくやってくれている。もともと人数が少ないマネージャーだ、彼女がいなくなってしまったら途方に暮れてしまうだろう。
けれど、好きかって言われたら・・・。脳裏を掠めたのは天野の顔だった。そう、俺が好きなのは天野だ。でも・・・・・。
「・・・天野は、俺のことどう思ってるんだろうな・・・」
「・・・天野は」
「呼び捨て・・・ああもういい、続けてくれ」
瑞希は宙をぼうっと見つめながら、
「天野は、好きな人いると思う」
「・・・・・・そうか」
天野のことを知っているのかすらよくわからないが、瑞希が言うならきっとそれは事実なのだろう。
そう思える程度には、俺は瑞希を信用している。本気なのか冗談なのかいまいち掴めないことは多々あるが、ともかく嘘を言うことには何の利点も見出せないような奴なのだ、瑞希は。
「だから、私と付き合えばいい」
「だからなんでそうなるんだ・・・。関係ないだろう瑞希は」
俺は立ち上がった。
「俺もう行くよ、そろそろ昼休み終わるし」
「あ、万里・・・」
俺は歩き出す。
・・・ある意味その考えは正しい。この想いが報われないことは分かっているのだから、瑞希はともかくとして伊波の気持ちには応えた方がいいに決まってる。
だけど本当に、それでいいのだろうか・・・。