vector D→A ~河本大地の片想い~
伊波明日香。それがあいつの名前だ。
中学のときからの結構長い付き合いだが、あいつは本当によく分からない。
「え、ちょっと明日香、それどういうことよ!?一緒にバレー部入ろうって約束したでしょ!」
「ご、ごめんエリ・・・。どうしてもサッカー部に入りたくなって」
明日香と江梨が話しているのが聞こえてきた。
なんだ、バレー部入んなかったのか?あいつ。あの高校行ってバレー頑張るんだって散々言ってた癖して。
「ようようお二方!何事ですかな?」
勢いよく教室に入っていくと、
「・・・・・・」
江梨にすごい顔で睨まれた。ああ・・・こりゃまずったな。
「しっつれいしましたぁ~。どうぞどうぞ、こちらは気にせず。さあさあ」
江梨は大きくため息をついたが、どうやらおれを追い出すことは無理だと悟ったらしく再び明日香に向き直った。なかなか察しのいい女だ。こういうところは嫌いじゃない。
「・・・で、なんでサッカー部なんか入る気になったわけ?」
明日香はびくっとしてさらに小さく縮こまった。
「ええと・・・それは・・・・・・」
「それを聞かないと納得できない。だってあたしたち、バレーのために頑張って勉強してこの学校まで来たんでしょう?それがいきなりサッカーなんて」
明日香はしばらく黙ってうつむいていたが、やがておもむろに首を振った。
「無理無理無理!いくらエリでもこれだけは言えない!」
そう叫んでばっと教室を出ていった。江梨はそれを黙って見ていたが、
「・・・で、どう思う、ダイチ?」
「あれはオトコと見たね」
「あたしも同感。―結局女の友情なんて、恋の前には敵わないってことかしらね」
江梨はため息をつく。
「・・・さらっとすげえこと言うのな、お前」
白状すると、おれは昔から明日香のことが好きだったりする。
特に何かきっかけがあったわけじゃない。気が付いたらそうなっていたのだ。
だって恋ってそういうもんだろ?理屈じゃねえんだ。
・・・なんて、クサいことくらい分かってるよ。言うな。
まあでも唯一理由として思いつくものがあるとすれば、それはバレーだろう。
おれはバスケ部だったから、バレー部のやつらと体育館をシェアすることもよくあった。
そういう時にさ、見えるんだよな。必死になって先輩のスパイクに食らいついていく姿とか、三年になって逆の立場としてびしびし後輩をしごいていく姿とかが。関東大会に進めなくて、ひとり体育館の隅で泣いているのも見た。隣でそういうのをずっと見てて、それでいつのまにか好きになっちまったんだろうなって、今はそう思う。
だから。
なんでオトコくらいであいつがバレーを辞めちまうのか、さっぱり理解出来なかった。だってあんなに本気でバレーをやっていたのに、おれが三年間見てきた伊波明日香はそういう奴だったのに、何でいきなり変わっちまったのかなって。
“あれはオトコと見たね”
自分で言った台詞に同時にショックを受けてもいた。そうだよな、あいつにだって好きな奴くらいできる。おれがずっと目を背けていただけだ。
「・・・どうすっかな」
おれは明日香が好きで、いつか告白してやろうって思ってもいた。けどあいつには好きな奴がいる。振られるのが分かってて告白するなんて、馬鹿みたいじゃんか。
「・・・・・・くそッ」
どんな奴なのか確かめてやろう。ふざけた奴だったら一発ぶん殴ってやらないと気が済まない。明日香に相応しい男かどうかしっかり見定めてやる。
まるで娘を嫁に出す親父みたいだ、とひとり笑った。
←↓→
サッカー部の男を一通りじっくり調べ上げた後、おれはついに部活をサボって一日明日香の様子を見ることにした。
・・・なんというか、見ていてすぐに分かった。
分かり易すぎだろ、あいつ。あれじゃあ周りにバレバレだ。おれの数週間を返せ。
明日香はずっと一人の男子を目で追っていた。そいつはクラスメイトの旭で、あまり話したことはないがいいやつだということはなんとなく知っていた。
練習を目で追ってみても、一年の中じゃダントツに上手いのが分かる。本気でサッカーやってんだな、というのがひしひしと伝わってきた。
・・・結果的に。
分かったことは、旭がすごくいいやつで明日香が好きになるのも無理ねーなってことと、どこの能力をとってもおれより遥かに上を行っていてとても敵いそうにないということだけだった。
何やってんだろうな、おれ。これじゃただ打ちのめされに来たようなもんだ。
「・・・終わりかもな、もう」
こうなったらもう、全力であいつの恋を応援してやるしかねえじゃんかよ。
「明日香ぁ~。お前旭のこと好きなんだってー?」
「ぶふぅッ!!―ちょ、アンタいきなり何言ってんのよ!?」
明日香は慌てたようにおれの口を塞ぎにくる。
「もしかしてエリ!?エリが言ったの!?」
「あたしはそんな口の軽い女じゃないっての。まだ聞いてから何時間も経ってないわよ?つかダイチ、アンタもいきなりつつくようなこと言わないの」
横から入ってきた江梨がおれをたしなめた。
「おれが自分で気付いたんだよ。言っとくけどお前、バレバレだぞ?」
「―ッ!!」
明日香は首まで真っ赤になってうつむいた。
・・・・・・くそ。
おれ以外の奴のことで赤くなってる明日香の姿を見たら、心臓がズキリと痛んだ。
本当にこいつは旭のことが好きなんだな、とそんな分かりきっていたことを改めて思い知らされる。
くだらない嫉妬心で狂いそうになるのを抑えて、おれは出来るだけいつも通りの態度を心掛けながら話を進める。
「でさ、長ーい付き合いのおれとしては、明日香の恋を精一杯応援してやりたいなーとか思うわけですよ。いい話だと思わない?」
「・・・ダイチじゃ何の助けにもならないと思うんだけど」
想い人にばっさり斬り捨てられてしまいました。悲しいなあおれすっごい悲しいなあ。
「やり方は無限にあんだろ?天才ダイチくんがそれを明日香姫に献上して差し上げようというわけですよ。やー、おれまじでいい奴じゃね?惚れ直した?」
「・・・ばか」
明日香がふふっと笑った。
そうだよ、その顔だ。おれはその顔が見たくて、いつもお前を笑わせてきたんだから。
「まあ、気持ちは一応うれしいんだけど・・・」
「一応なのか・・・」
「わたしにはやっぱり告白なんて無理だし、せっかくエリやダイチが手伝ってくれてもその、疲れちゃうだけだと思うんだ。だから・・・」
「それでも、応援するよ」
気が付くと、そんな言葉が口をついて出ていた。だって見てらんねえ。こんなに弱気な明日香は初めてだ。
「そうだよ、明日香。告白するにしてもしないにしても、あたしはアンタの気持ちを応援するから」
「おらおら、昔の熱血はどこ行ったよ?大丈夫、お前なら出来るよ」
だって、おれの好きになった女なんだから。そんな言葉は胸の奥に押し込んで。
明日香は小さく微笑むと、
「ありがとう、二人とも。―じゃあわたし、部活行くから」
ジャージを持って教室を出て行った。
「・・・ダイチ」
「んー?」
「アンタ、どういうつもり?」
「何のことでしょう?」
「・・・とぼけんじゃないわよ。アンタだって明日香のこと―」
「ちょっと・・・何も言わないでくれるか、江梨」
「・・・・・・」
知っていて合わせてくれたんだろう。
察しのいい女は嫌いじゃないけれど、少しだけ苦手だった。
←↓→
明日香が旭に告白したことを知ったのは、その翌日のことだった。
「・・・それ、どういうことだよ」
「だから、告白しちゃったんだって。・・・・・・勢いで」
「勢いで、って・・・・・・いくらなんでも唐突過ぎんだろ。昨日の今日だぞ?」
「いや・・・正確には昨日の部活が終わった後だって言ってたけど」
「たった三時間でかよ・・・」
告白なんて出来ないと言い張っていたのはどこへ行った。いや、ちゃんと自信持ってくれたって喜ぶべきなのか?でも勢いで、って言ってるし・・・。
「返事は少し待ってくれ、だってさ」
「はあ!?即答しろよ!!OKだろすぐOKだろ!?だってすげえかわいいじゃん明日香!!」
「・・・アンタが真面目に明日香を褒めるの初めて聞いた・・・。そんなに好きだったんだ」
江梨がぽかんとして呟くが、そんなことはどうでもいい。
「なんでわざわざ先延ばしにしたりすんだよ!明日香が・・・明日香がどんどん不安になるだけじゃんか、そんなの」
「かわいいからって即OKするような奴だったらよかったわけ」
「それは・・・そりゃ、そんな奴だったら多分蹴り倒したくなるだろうけどな」
「じゃあどうしろってのよ・・・」
おれは大きくため息をついてから、
「かわいい、ってそういう意味じゃねえんだよ。まあ確かに明日香は見た目もかわいいけどな」
「うわあ・・・。なんていうか、アンタってものすごい一途だったのね、意外」
「うるせえやい。だってサッカー部で一ヶ月も一緒に過ごしてきたマネージャーだぞ?それが告白してきたら嬉しいしかわいくも思えるだろ」
誰かに恋をした女の子がどれだけかわいいかってこと、おれだって思い知ったんだから。
「とにかく、明日香はどこに居るんだ?」
「・・・・・・ダイチ」
振り返った明日香の瞳は真っ赤で。
「・・・どこの魔王様だ、お前。ひでえ顔してんぞ」
おれは茶化すけれど、明日香の顔は悲しそうに歪んだ。
「・・・うん。―やだね、わたし。告白できたときは、ちょっと嬉しかったのに・・・。夜になったら、振られちゃったらどうしようってそればっかり考えて眠れなくなって・・・」
濡れた睫毛をふせて、明日香は力なく笑う。
「どんな答えでも、きっと嬉しいと思うの。だって万里くんがちゃんと考えて出してくれた答えなんだもの。でもやっぱり・・・振られるのは、怖いよ」
「・・・振られたりなんか、しねーよ」
おれの言葉にふと明日香は視線を上げた。
「だって今のお前、すげーかわいいもん」
その眼が見開かれる。
「今まで見てきた中で一番かわいいよ、おれが保証する」
全力でバレーに情熱を注ぎ込んでいたこいつを、ほんの小さな恋が変えちまった。今まで見たこともないような顔を見せるようになった明日香は、最高にかわいくて。
こいつも女なんだよな、って、そんな分かりきっていたはずのことを再認識させられた。
おかしいよな。おれはずっとこいつのことが好きだったはずなのに、女の部分なんてほとんど見えちゃいなかったんだ。
「万里は、きっとお前を好きになるよ」
「だって・・・もう、他に好きな人とか彼女とか居るかもしれないのに・・・」
「そんな奴よりお前の方が絶対かわいい」
明日香は眉根を寄せた。
「・・・ねえ、どうしたの、ダイチ。そんな・・・・・・かわいいとか、連発したりして。なんでいきなりそんなこと言ってんの」
「そんなこと決まってんじゃんか」
おい、ちょっと待てよ。何言おうとしてんだ、おれ―
「―おれが、お前のことを好きだからだよ」
・・・馬鹿野郎。なんで今、こいつにそんなこと言っちまうんだ。
「ダイ・・・チ・・?」
色々なことが不安で仕方がないこいつを余計なことで混乱させて、どうする気だってんだよ?
「・・・・・・なーんてな」
「・・・・・は?」
「冗談だよ冗談。あ、もしかして信じた?」
「!!・・・・・・この・・・この・・・バカダイチッ!!」
思いきり頭をはたかれる。
「痛ってえなあもう!ちっとは手加減しろよ明日香」
「うるさい!いっつもいっつもふざけてばっかりで・・・もういい加減にしてよッ!!」
明日香はおれに背を向けると、一度も振り返らずに走り去っていった。
・・・これでいいんだよ。これで。
あいつの想いはちゃんと届く。おれが出しゃばる必要なんてないんだ。
あいつを笑顔にするのは、これからは旭の役目なんだから。