vector A→B ~伊波明日香の片想い~
Aさんという女の子がいました。Aさんは女子に人気のあるBくんに恋心を抱いていました。
Bくんという男の子がいました。BくんはおとなしいCさんが少し気になっていました。
Cさんという女の子がいました。Cさんはいつも明るいDくんに憧れを持っていました。
Dくんという男の子がいました。Dくんは何にでも一生懸命なAさんへの好意を心に秘めていました。
(vector A→B)
旭万里。それが彼の名前だ。
初めて彼のことを知ったのは、入学式のとき。
入試で首席を獲った人がやるはずの新入生代表の言葉を、壇上で堂々と述べる彼の姿を見たのがきっかけだった。クラスの中にちょっとかっこいい人が居るな、とは思っていたけれど、まさか一位を獲るくらいに頭も良いなんて思ってもみなかった。
式が終わってざわざわとみんなが話し始める中に万里くんの声が混じっていて、わたしは無意識に彼の声へと耳をすました。
「お前試験一位だったのかよ?頭良いんだなあ」
「違うよ。一位の奴が今日風邪で来られなくてさ、俺が代わりにやることになったんだ」
「ああ、そっか。・・・いや待てよ。それってお前二位だったってことじゃねーの?」
「そうみたいだな。俺も今日いきなり言われたからびっくりしたけど」
「十分すげえよ!うわ、いいなあ。ちょっと俺らにも脳味噌分けてくんない」
無茶言うなよ、というちょっと困ったような笑い声が響く。
中身は下手をすればただの自慢話なのに、全く厭味に感じさせないやわらかな口調だった。
多分、その時にはもう、彼が気になっていたのだと思う。
最初からバレー部に入ると決めていたので、他の部へは見学に行かないつもりだった。だけどふと通りかかったグラウンドで、
「旭!行くぞ!」
「はい!お願いします!」
彼を見つけてしまった。
春休みから既にサッカー部の練習に参加していたらしい万里くんは、仮入部期間に入ったばかりの今日も練習に励んでいた。他の一年生はまだ体力づくりをしているらしかったから、そこでもう彼は別格なのだと知る。
流れるようなドリブルから、まっすぐ伸びるシュート。
止められると一瞬悔しそうな顔をして、でもすぐさま拾いに行きそこからまたボールを蹴る。今度こそ決まって、そのとき彼は―
―小さな男の子みたいな、無邪気な顔で笑って。
それは確かに、わたしが万里くんに恋をした瞬間だった。
翌日、わたしは入部届けを出し、サッカー部のマネージャーになった。
もう彼から目を離すことが出来ない。視線は勝手に彼を追いかけて、ちょっとした表情や仕草にいちいち心をときめかせる。
わたしはもうどうしようもなく、彼を好きになってしまったらしかった。
←↓→
かっこよくて、頭が良くて、スポーツも出来る。そんな風に何拍子もそろった万里くんを、周りの女子が放っておくはずもなかった。
「ねえ明日香、旭ってさあ、彼女とか居るの?」
「知らない。っていうか5月入って三人目よ、それ訊いてきたの。なんでわたしに訊くのよ?」
「えーだって同じサッカー部じゃない?そういう情報も入ってくるでしょ、普通」
そんなもの、逆にわたしの方が知りたいわよ、とこれは胸にしまっておく。
確かにわたしは他の女子より万里くんに近い位置にいるわけだし、そういう噂は比較的耳に入りやすい。現に一年生たちが誰と付き合っているのかということは大体把握している。
けれどそれは校内だけならの話で、学校の外に出てしまえば一気にそれは掴めなくなる。
だからもし、万里くんが学校の外で彼女を作っているとしたらわたしにはわからないし、詮索するのも気が引けた。
あれだけモテるのだし、中学時代からの彼女が居てもおかしくはないだろう。
同じ部に入ったはいいけれど、物理的に近いのと精神的に近いのとは別物なのだと知る。
「っていうか何よ。そんなこと聞いてくるって事はもしかして・・・」
動揺を悟られぬようににやぁっと笑って茶化すと、エリは顔の前でひらひらと手を振った。
「あー違う違う。みんながきゃーきゃー言ってるから実際のとこどうなのかなーって思って訊いてみただけ。興味本位ってやつ?てかアンタも災難ね、同じ部だからってさ」
「同じ理由で訊いてきたくせに。・・・しかしそんなにモテるのかあ、万里くん」
「ライバルが多くて大変?」
パッと目を開けると、エリが先程のわたしと同じようににやにやと笑っていた。
「ばッ・・・!ちが・・・・ッ!」
「言っとくけどさあ、マネージャーやるにしたってよりによってイケメン揃いのサッカー部選ぶ女子なんてそういないわよ?そんなのはホントにサッカーが好きかあるいは部員の誰か狙ってるとしか考えられないし」
「う・・・」
「ちなみにアンタは本来バレー部目当てでこの学校来たくらいのバレー馬鹿」
「・・・む、昔の・・・ことよ・・・」
「と、すれば残る可能性はひとつ。なるほど、旭かあ~」
エリが面白がるようにわたしの頬をふにふにとつつく。
「ふるさいわねえ・・・放っとひてよ」
「誰が放っとくか。あたしはそのせいでアンタに振られたのよ?一緒にバレーやろうって言ってたくせに何も言わないで突然サッカー部なんかに」
「それは・・・ごめん」
「ま、それは散々謝ってもらったからいいとしよう」
ほっとしたのもつかの間、突然エリがばんっ、と机に手を突いた。
「―と、思っていたけれど」
「ふぇっ!?ちょっと、何?」
「何、じゃない。あたしとの約束破ってまで旭の側に居たかったんでしょうが。だったらちゃんと成就させなさい」
「成就・・・って」
「こ・く・は・く・す・る・の!まさかこのまま何もしないで卒業まで行く気じゃないでしょうね?」
「それは・・・」
もちろんそんな形で終わらせたくはない。そのために部に入ったわけでもあるのだし。
「でも、万里くんモテるんだもん・・・。わたしなんかが告白してもОKしてくれるわけないって」
「そんなに自信無さげじゃあOKされるものもされないっつの。もっと自信を持ちなさい」
エリはそう言うけれど、万里くんだったらわたしよりもずっと相応しい人がいるんじゃないかって、どうしたってそう考えてしまう。
学校で一番の美人と評判の藤澤先輩も万里くんが好きだって噂をよく聞くし、本来の学年一位である祇堂さんはそもそも中学時代からの親密な友達らしい。
そんな人たちが相手なんて、とてもじゃないけど、
「・・・無理、だよ」
「・・・明日香」
「・・・わたしには、無理」
うつむくわたしに、エリは大きくため息をついた。
「・・・はいはいわかった。もういいわ」
「・・・うん。ごめん」
エリはそのまま自分の席へと戻っていった。
ボールを一通り片付けてから部室を出て、
「―ッ!!」
ハッとした。
「・・・万里くん」
彼はリフティングに夢中で、ここに立つわたしに気付いた様子はない。
あのボールを片付けないと帰れないから。だから、もう少しだけ。
そう自分に言い訳をして彼の姿をじっと見つめる。ずっと、このまま見ていたいとさえ思えた。
膝で、胸で、頭で、そして背中で、彼のボールは自在に跳ねる。本当に、羽でも生えているみたいに。
やがて、万里くんがぽんっと高くボールを蹴り上げた。再び胸で受け止めて足で止める。
「―よし、700!また記録更新だな!」
そう言って、またあの日みたいに無邪気に笑ってみせるから。
ぎゅっと、心が締めつけられるみたいに痛くなって。
気が付いたら、わたしは。
「―あの、万里くん!!」
驚いたように振り返る万里くんに、
「・・・あなたが、好きです・・・!!」
言うつもりなんて、なかったのに。
どうしようもなく、あなたを好きになってしまったから―。
『―で、ついうっかり告白してしまったと』
「・・・・・・うん」
携帯の向こうからまた大きなため息が聞こえてきた。
『・・・なんていうか、恋の力ってすごいわねー。バレー馬鹿をサッカー部のマネにするわ自信なくした女にいきなり告白させるわ』
「わたしもまだ混乱中なんだけど」
「・・・で?」
「え?」
「旭、なんて?」
「・・・少し、考えさせてって」
「ま、そうよね。即答するような奴ならぶん殴ってたところよ。彼女が居るなら別だけどね」
「・・・うん」
万里くんは優しいから、ちゃんと考えてくれる。それは分かっている。
その結果がどうであれ、彼が真剣に考えてくれたものなら、
「・・・良い返事だったら、いいね」
「・・・・・・うん」
きっと、わたしは嬉しいから。