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聖者たちの城

長らくお待たせしました。

ここからが本編のような感じになります。



 その城はこの歪な世界の中心にあった。

 東へ行けば果てなく続く砂漠。

西には磁場の狂った深い森。

南に人を拒むかのように聳える険しい氷山。

北に誰もが恐れる燃え盛る火山。


 それらを抱えたその世界の中心は、どこまでも続くかのように見える広い平原の真ん中が砂漠と見紛うほどに乾いた砂地という異様な地形していた。


 その砂地の中央ーー滾々と湧き出る水を頼りに、その堅固な城は築かれていた。

 この世界における唯一の国。その国を統べる王族の住む壮麗で堅固なクワイアト城。


 スイはそのまるで要塞のような高いその城壁の前に佇んでいた。

 少し後方には、かしましい2人組。その周りには小さな竜が飛び回っている。


 城門はここから少し東のほう。そこにはスイの通行証と同じ金獅子を踏みつける青竜のエンブレムが掲げられている。ロイヤルエンブレムだ。

 何を暗示するのかは最中ではないが、こうもデカいとおどろおどろしい雰囲気さえ漂う。先日尋ねた聖堂の重厚な扉以上の威圧感をもって佇んでいた。


「おい、いつまでしゃべっているんだ。さっさと歩け!」



 いつの間にかついてきたミリアと名乗る素性知らずの女性は彼ら一行にすっかり馴染んでいた。 テスといい、ミリアといい、スイの周りに寄りついてくるのは何故か変わり者が多かった。

 スイは比較的良識のあるタイプの人間だった。人目を気にして生きてきたために身に付いた処世術のようなものだろう。異端者の彼が人として生きるためには絶対的に必要だったのだ。

 そのために彼を取り巻く変人たちの行動にはいつも頭を悩ませていた。毎度毎度、彼の理解を遥かに越えた行動で彼を脅かす。それも悪意からではなく素なのだ。それがわかるだけにスイにとっては更に頭の痛い問題だった。



「いい加減にしろよ」



スイは唖然とした。2人が居ない。

 彼が2人の居た方向に駆けてい行くと砂丘に足を取られたミリアが流砂で抜けられなくなっていた。

 その脇ではテスが必死にミリアを引き上げようとしていた。

 しかし、テスの足元もやや危うい。小さなその足はサラサラした砂の流れに逆らうほどの器用さも力もない。舞い上がる白い砂煙が今にもテスを飲み込んでしまいそうだった。

「テス離すなよ。それから飲まれるな!」


 スイはそう言うと、刀を鞘から抜いて流砂に突っ込んだ。

 ほどなく流砂は緩やかに収まり、その中から砂まみれのスイが現れた。


「ばっ、化け物!」



 ミリアは目を見開いて大声で叫んだ。無理もない、頭巾を頭から被ったスイの体は砂ですっかり色が変わっていた。まるで別人のようだ。いや、むしろサラサラと流れ落ちる砂に原型すら失い人とは思えないような姿になって見える。

 しかし、スイは悪態ばかりつくミリアの失礼な言動にはもう慣れっこだった。スイは反応もせずに次の行動にうつる。



「サンドサッカーが多いからな。足元に気をつけてさっさと歩け。喰われるぞ」



 スイは頭巾をとって髪についた砂を払いながら穴の中から這い出した。

 城の周りの砂地はサンドサッカーと呼ばれる正体不明の魔物が巣くっていた。サンドサッカーは砂漠地帯の多いこの国でここだけに生息する珍しい魔物だった。

 それは城へ向かう人々には脅威。しかし、奴らは城から出る者や城へ招かれた客は一切襲わない変わった魔物だった。

 そのためそれはまるで城の守備を強化するために雇われた用心棒のようだった。



 ミリアは身を竦めて震え上がった。



「なんで! どうして、あんただけ襲われないのよ」



 テスは、砂地にぺたんと座ったままのミリアに手を貸した。

 立ち上がったミリアは尚も自分を無視して歩くスイに詰め寄る。



「なんでなの!」



 歩くたびに白い砂煙がフワフワと舞い上がる。

 風が出てきたようだ。それを吸い込むとしばらくは咳が止まらない。



「話す余裕はない。とにかく歩け」



スイはただそう言うと、再び城に向かって歩きだした。

 テスはそのすぐ後に小走りでついていく。

 立ち尽くしていたミリアも、こんなところに置いて行かれては堪らないと駆け足で彼らの背中を追った。

 平原から続く砂地は障害物も少なく、頻繁に強い風が吹き抜ける。

 その風に煽られ白い砂煙が3つそれぞれの足元からサラサラと立ち上っていた。


 城門はまるで絶壁のように彼らの前に立ちはだかった。

 その遥か頭上には強風に煽られた旗がバサバサと音をたててたなびいている。

 黄金の獅子を踏みつける青色のドラゴン。そのエンブレムの掲げられた旗は侵略や征服の歴史の象徴にもみえる。

 戦争する相手国さえないこの平和な国、クワイアトには城壁・城門・エンブレム・国旗どれをとっても似つかわしくなかった。

 スイは城門に近づいて小さな連絡口から通行証を見せた。

 ほどなく開かれた出入り口から兵士たちが現れたかと思うと、すぐにスイたちを取り囲んだ。



「お前のように卑しい身分のものが何故ロイヤルエンブレムを持っているのだ」



 スイは、またかと舌打ちをする。この類いの言いがかりは慣れっこだった。しかし異端の黒だからといって毎回職務質問されるのにはさすがにうんざりしていた。

 どれだけ内部連絡網に不備があるのだろう。

いい加減にしてほしい。

 スイは大きなため息をついて兵士たちに説明を始める。


 だが、いつものことながらなかなか信じて貰えない。

 スイは毎度のやり取りにかなり苛ついていた。しかし、ここで暴れると更に事態を悪化させる。

 歯を食い縛って必死に口角をつり上げる。そして、口をついて出そうな汚い言葉をぐっとこらえて、丁寧に説明をした。



「証拠はどこにある」



必ずでるフレーズだ。

これも聞き飽きた。



「守衛長官か、班長を呼んでくれ」



 下っ端では全く話しが通じない。これもいつものことだった。



「生憎、今日は祭りだ。長官も班長も内部警備に回っていて不在だ」


「チッ」



 なんてタイミングなのだろう。スイは再び舌打ちをした。眉間には深いシワが寄っている。


 スイに言われておとなしくケープを頭から被って後ろで控えていたテスもそわそわし始めた。

 ミリアは我関せず……といった雰囲気で竜たちと遊んでいる。


 確かに妙な一行だ。怪しく思われても仕方がない。

 スイはうなだれた。


 広い砂地が広がる地域の昼間は季節に変わりなくジリジリと暑い。

 そんな炎天下のもと、門の前で待ちぼうけを食らわされた3人はそろそろ限界だった。



「誰か内部の情報に詳しい役人はいないのか?議員さんでもいい」



 スイは頑なに門を閉ざしたまま開けようとしない門番に喚く。



「悪く思うな。今軍の執行部に伝達している。身元が分かれば直ぐにでも入れる」



 異端差別者の門番とスイでは諍いになると判断したのだろうか。守衛のリーダーが対処してくれることになった。

しかし事態はあまり変わらない。ただ、スイへの当たりが柔らかくなっただけ。



「スイさま、暑いです。喉が乾きました」



 静かにしていたテスは髪を隠すためにケープを被っていた。そのため暑さで更に体力を消耗しフラフラしている。



「スイ! お腹がすいたんだけど」



 先ほどまで竜達と戯れていたミリアも両肩にその竜をのせて近寄ってきた。どうやら遊びに飽きたらしい。


 元々は一人旅の準備しかしていなかったため、手持ちの水も食料も底を尽きている。

 スイ一人ならば明日まででも待てる。しかし幼いテスにしてみればもう待てる限界はとっくに超えていた。汗だくの顔は熱を持ち始めたのか、真っ赤だ。



「せめてこの子だけでも中で休ませてやってくれないか」



 スイはテスを兵士たちの前に押し出した。そして、テスに被せられたケープのフードを取ろうとした。少女の美しい白銀髪を見れば身元など関係なくテスだけは中に入れて貰える。

 しかし、テスはスイの手を阻んだ。



「お前も異端の黒か、なんて不吉な一行だ」



 異端差別者の門番は頭を頑なに隠そうとするテスに蔑んだような目を向けてに吐き捨てる。

 謂われのない差別。スイは申し訳なくて唇を噛む。

 絶大な権利と翳すことが出来るはずのロイヤルエンブレムが毎度スイを苦しめる。



“こんなもの返上しなければ……”



 スイは兵士の手の中にある通行証を睨む。



「どうなさいました」


 門の奥から聞こえた女性の声に、兵士たちの間に緊張感が走る。



「これはこれは……。どうなさいました」


「身元を確認して欲しいものが居ると聞いて参りました」



 どうやら彼ら一行の待ち望んでいたちょっと偉い人が来てくれたようだ。その人物は彼らの身元を確認するという。



「しっ、しかしクレア様がわざわざあの様に卑しい身分の者に……」



 兵士たちが制止するのも聞かずにその女性は門の隅の小窓からスイ達を確認すると、門から出てきた。



「スイ様!」



 女性は門を出るとスイにひれ伏した。


「な、何をなさいます。お止め下さい」


 兵士たちは女性を諫めるが女性は彼らの手を払い除ける。

 白いスーツに身を固め美しい金髪を兵士たちのように無造作に短くしたヘアスタイルのその女性は気高く深い色をした碧眼を真っ直ぐにスイに向けた。


「姫様お止め下さい」



 女性は真っ直ぐな視線でスイを射る。するとスイはばつが悪そうに女性から視線を逸らした。



「あなた方も態度を改めて下さい。こちらはブラックアイズ退魔総帥にあられますよ」



 兵士たちの顔色がみるみるうちに青ざめた。

 それもそのはず、スイは彼らの上官にあたるのだから。



「お止めください、クレアラ姫。私の役職は名ばかり。なんの権限もありません」



 スイは面倒くさそうに棒読みで答える。

 クレアは再びスイを睨みつける。



「姫と呼ぶのはお止め下さい。以前も申し上げましたが……」



 クレアは何か言いかけたが、そのままその言葉を飲み込んだ。そして、難しい顔をしたまま一行を門の内側ーークワイアト城下へと案内した。



 門の内側はひんやりしていた。

 分厚い石造りの壁が昼間の暑い日差しと灼熱の風を遮ってくれるからだろう。

 門から続く城壁の壁の中は通路がある。その天井近くにつけられた小さな明かりとり窓から細い光が幾つもその空洞の中に筋となって差し込んでいる。3人はその中をクレアに案内されて静かに歩いていた。



「く、クレア?」



 しばらくの沈黙の後、スイはうかがうようにクレアに話かけた。

 クレアは静かに立ち止まると急にクルッと向きを変えてスイを睨んだ。

 次の瞬間、パンッっと薄暗い通路に乾いた音が響き渡った。



「……っつぅ」



スイは頬を抑えた。

 クレアはスイを叩いた右手を握りしめ、わなわなと震えている。

 テスとミリアは肩をすくめた。

 泣いているのだろうか。クレアは静かに俯いたまま小刻みに震えて続けている。

 スイは、クレアの肩にスッと手を伸ばした。



「この女ったらし!」



 再び乾いたクラップ音と共に、次はクレアの罵声がキーンと共鳴音をあげる。



「なっ……。なんだよ」



 スイはまた頬をおさえながら顔をあげる。すると目の前には鬼の形相をしたクレアが物凄い剣幕で自分のほうを睨み付けていた。



「ずうっと音信不通だと思ったら、女と帰ってくるのね。それも毎回!」



 スイはテスとミリアをチラッと見た。

 そしてうんざりした表情を見せながらゆっくりと向き直る。そして怒りに満ちてもなお美しいクレアの瞳を見据えて話し始めた。



「いや、あれは女じゃないだろ。クレア……」


「いいえ、どうみても若い娘だわ。それも二人もね」



 しかしその言葉はすぐに遮られてしまった。そしてクレアは燃えたぎる怒気に満ちた鋭い目と声でさらにスイを刺す。



「毎回城に若い女を連れ込むなんて信じられないわ」


「だから」


「今度は何と言い訳なさるのかしら。いいえ、もう聞き飽きたわ」


「だからクレア」


 頭に血が上ったクレアにはスイの話など全く耳に届かない。

 その様子にいつものことだとばかりにスイは深いため息をついた。

 しかし、その行為が火に油を注ぐ。

 クレアの中に張りつめていた何かがプチンと音を立てて切れた。



「いいわ。もう終わり。もう疲れたわ。私、結婚しますから」


 その言葉にスイは目を見開いてクレアに向き直った。



「えっ……」


「私、結婚しますから。先日の縁談お受けしますね。あなたもお好きに」



 クレアはそう言うと何やら書類にサインをしてスイに渡した。



「入門許可と身分証明書でございます。ブラックアイズ閣下」



 クレアは冷ややかにそう言うと一人歩き去ってしまった。



 ひんやりと静まる通路にクレアのヒールの音が無情にも響き渡る。

 スイは声も出なかった。その冷たく無機質な音が遠ざかっていくのをただ聞いていた。


 去り置き去りにされたスイはしばらくの間クレアの歩き去った方向を向いて茫然としていた。何が起きたのかも今一つ理解できていないようにポカンと。



「あ、あの」



 テスが申し訳なさそうにスイの顔色を伺いながら声をかける。

 スイはどんな反応をしたら良いのか一瞬戸惑ったような、不快感を露わにするような……。それでもって深い哀愁感の漂うような何とも言えない複雑な表情をして黙り込んでいる。



「あんた、マジでお姫様と付き合ってたの。まさか、今ふられた!」



 空気の読めないミリアは今見たままのことをそのまま言葉にする。

 スイは頭を抱えた。

 クレアはスイの恋人だ。今となってはだったと過去形で紹介すべきかもしれない。国王の末娘だが王位継承権を放棄して上院議員をしている。権利を捨てたのはスイとの未来を考えてのことだった。

 まさかそのクレアが自分以外の他の誰かと結婚だなんて……。スイの脳裏に幼い頃の悪夢が蘇る。



~~彼の好きになった女性は皆彼の親友を好きになる~~



「まさかな」



 悶々とした気分だった。

 しかし、この城下に居る限りスイは自分一人好き勝手な行動をとることの許されない立場だった。退魔総帥。それは名ばかりの役職であったが、それであるが故ににスイは必要以上に行動を制限されていた。



「しかしあんた、偉い人だったんだね」



 ミリアはスイの顔を覗き込む。

 その顔はいつも以上に不機嫌そうで、ミリアは口を噤んだ。



「名ばかりだ。誰も俺がそうであることも、何をしているかも知らない。直属の部下もいない。軍隊もない」



 スイは悔しげに吐き捨てる。議員や爵位を持った貴族よりもスイの地位は高い。しかし、知る者が居なければそれも意味をなさない。



「しかし、スイ様は孤児ですよね? 何ゆえ高い地位を得られましたの?」



 クリスと話し込んでいた際に聞き出したのだろうか。テスはスイが孤児だったことを知っていた。

 孤児のスイには身分はないに等しい。しかも、彼は国王が首長にあたる宗教における異端者。

それが国の軍事に多大なる権限を持つ総帥とは誰もが疑問に思う。



 ミリアも静かに頷く。

 スイは髪をクシャクシャにした。かなりイラついている。



「近衛兵試験の帰り際、城の外でサンドサッカーに喰われそうになっていた女性を助けたんだよ。それを見ていたクレアから国王の耳に入って……」


「ああ! 魔物を倒すなんてスイ様にしかできませんものね。都合よく飼い慣らされたわけですか」


「な……!」



 テスはあっけらかんと罵声を浴びせる。しかしスイには反論のしようがなかった。


 宗教や政治や権力者に対する反発は誰よりも強く批判的でありながらも、それらに保護され優遇される立場に批判する気持ち以上の強い憧れを持っていた。

 だから、自分の力が特別だとお墨付きを貰えたことも、それを行使することで得られる地位や権限も甘んじて受け入れた。むしろちゃんとした職につけたことを歓迎した。

 それを飼われているなんて言われると心苦しい。怒りより前に動揺しかなかった。



「閣下!」



 嫌な沈黙はスイを喚びに来た兵士の一声にかき消された。



「お戻りになられたのですね」



 スイはようやく我に帰ったように表情をキリッと作り直す。



「国王陛下がお呼びでございます。直ちに謁見の間に」


「わかった。城に上がる前に宿舎で着替えてきたい。すまないが客人を案内してくれないか」


「はっ」



 兵士はそう言うとスイから何かを受け取りテスとミリアの前に歩み出た。



「恐れながら閣下に代わり城下並びに城内を案内させて頂きます」



 そう言うと兵士は2人を城下へと誘う。



「スイ様……」



 テスは不安げにスイの顔色を伺う。

 また置き去りを決め込むのではないか……。テスの目はそんな疑いの色が浮かんでいた。



「一緒に謁見するつもりか? とりあえず風呂に入って着替えて飯にでもしろ」


「は、はい。でも」



 テスは尚も不安げな目で彼に縋るように見つめる。



「心配ない。また夕方にでも会おう」



 スイはそう言うと、女性二人を残してその場を離れた。





 本当ならばすぐにクレアを追いかけたかった。しかし立場上プライベートを優先させるわけにもいかない。

 また、身分違いの2人にはやたらと障害も多い。そのため、お互いのためにも関係が公になるのは避けなければならなかった。


 城下はお祭りの準備で浮かれている。

 街に流れる軽快な音楽はスイの重い足取りを少しだけ軽くする。

 しかし、飾られたものを見て一瞬スイの足が止まった。



「待てよ。今日は女神の降誕祭? あぁ、仮装パーティーかよ」



スイは深いため息をついた。



「行きたくないなぁ」



 スイはブツブツ独り言を言いながら、兵士たちの宿舎に入っていった。

 スイは退魔総帥の称号を持ちながら、城下に邸宅を構えず一般の兵士たち同様に寄宿舎に住んでいた。

 しかもスイが総帥に任命されたのもほんの一年前ほどのこと。

 その後、殆どの時間を討伐の名目で旅に出ていた。そのため大半の兵士たちはスイがそのように高い地位に就いていることなど知りようがなかった。

 それどころか未だに下級兵士のままだと思っている。


「お、スイじゃないか。久しぶりだな」



 見覚えはあるが名前のわからない同僚が声をかけてくる。



「ちょっと地方に行かされていたんだ」



 スイも自分が上官であることなど報告しないので誰も知るわけがないのだが。



「あ……、閣下?」



時々知っている者も居たりする。

 しかし、まさか総帥が寄宿舎に住んでいるなんて夢にも思わない。そのため彼は騒がれることなく、恐れられることもなく過ごすことが出来た。今日までは……。

 彼は軽く汗を流すと真新しい軍隊仕様の正装に袖を通した。

 黒を基調とし赤の装飾を施された軍人専用の正装と、同じく表が黒で内側が赤のマントはスイ用に仕立てられた特注品。

 それも、他の部隊との差別化をはかるために仕様も異なる一点物だ。

 新品のブーツを履き。そして階級章をつける。


「飼い慣らされて……。そうだな」



 スイはテスに言われたその言葉を思い出してため息をついた。

 今日は気の滅入ることばかりだ。


 スイは気合いを入れようと鏡に向かって数回自分の顔を叩く。



「よしっ!」



 そして、自室を出るといつものように寄宿舎の休憩室を横切って出口に向かおうとした。



「え!」


「スイ?」


「閣下?」



 スイが休憩室に現れた瞬間、その場の空気が凍りついた。



「どうしたんだ? 変な顔して?」



 スイは怪訝な表情で休憩室を見回しながら様子を窺う。



「いや、その格好……。冗談だよな? 仮装?」


「そうかそうか、お前姫様と仲良しだったよな。えすこうとってやつなのか?」


「な、なぜそれを」



スイの顔が急に真っ赤になった。

 クレアとの付き合いは秘密のはずだったがバレバレだったらしい。

 隠し通していたつもりだったのが尚さら恥ずかしかった。

 もしかしたら、クレアの縁談が持ち上がったのも国王の耳に2人の関係が知れてしまったからかもしれない。



「顔の良い男はいいよなぁ。お姫様と遊べるんだぜ」



 少し位の高い熟練兵士たちが焦るスイをからかって遊び始めた。




 スイは恥ずかしさと焦りから真っ赤になって黙り込んだ。

 熟練兵士はいつもすましたスイのそんな様子が面白くて更にからかい続ける。



「お止め下さい」



 しかし、若い兵士が仲裁に入った。



「何だ?」


「部隊長はご存知ないのですか?」


「なにがだよ」


「いや、良いんだ」


「良くありません」



若い兵士は床に跪いた。


「数々のご無礼申し訳ありませんでした」



 その行為に再び兵士たちは静まり返った。

 熟練兵士たちも目を白黒させながらその様子を見ている。



「いや、良いから。頭を上げてくれ」


「わたくしにはもったいないお言葉」



 スイは髪をクシャクシャにする。



「何なんだよ。スイの奴まさか本当に出世したのか?」



 若い兵士は熟練兵士たちに掴みかかると力ずくで床にひれ伏させた。



「部隊長!そのような態度は許されません」


「何するんだ」


「ブラックアイズ閣下、どうかお許し下さい」


「はぁ……? 閣下?」


「え……」



 兵士たちに動揺と緊張が走る。


 ブラックアイズ……。ふざけた姓だ。

 それはスイが忌み嫌う西方枢機卿によってもたらされたものだった。

 その名は本人が知らぬ間に、その名前の主がスイであることが公にならないまま世間で一人歩きをしていた。



「ブラックアイズって、最弱のスイが退魔総帥なわけないだろう」



 しかし発した言葉とは裏腹に熟練兵士はスイの姿を恐る恐る見上げる。

 長身のスイの肩と襟元には、国の特別機関である退魔府の赤い獅子エンブレムと軍人における最高位を示す金の階級章が誇らしげに輝いていた。

 熟練兵士同様疑惑の目でスイを観察していた兵士たちの血の気が一気にひいた。



「まさか、まさか」



 無礼な兵士は口をパクパクさせたまま硬直した。



「いいから。気にしないでくれ。俺は異端の黒で孤児出身の軍人。階級はともかくあんたらより身分は低いんだら」



 スイは頭をクシャクシャにしながらため息をついた。



「敬礼!」



 若い兵士が号令をかけると、その場にいた兵士たちは一斉に立ち上がりスイに頭を垂れた。



「や、止めてくれよ。苦手なんだ」



 スイの髪はぐちゃぐちゃに乱れていた。



「もう、いいかなぁ? これから陛下に謁見なんだけど」


「はっ! いってらっしゃいませ」



 スイは気まずい空気の寄宿舎をでた。



「なんで総帥が寄宿舎に住んでんだよ」



 扉を閉めると後方から兵士たちの愚痴がこぼれるのが聞こえた。

 クレアにも指摘されたことだった。

 総帥が寄宿舎に住むなんて他の兵士や官僚たちに示しがつかないと。

 何度も厚生部署から屋敷を建てるための土地や古い邸宅の斡旋があった。しかしスイには必要とは思えず、全て断っていた。

 スイがこの城下にいるのは多くて月に2日。邸宅があっても明らかに無駄だ。



「ケチなんじゃねぇか? 身分もないし、貧乏が身に染みてるとか」



 失礼な熟練兵士が悪口ともとれる発言をしている。

 今、踵を翻してドアを開けたらあのオッサンはどんな顔をするだろう。

 スイの頭に一瞬そんなイタズラ心が芽生える。



「確かに! あいつ金使ってるところなんて見たことないもんな」


「絶対ケチだ」



 しかし、次々に誰もがスイの貧乏性説に賛同する。

 ここまでヒドい言われようではさすがのスイも中に入るのを躊躇せざる得なかった。

 そんなふうに思われていたのかと思うと顔から火が出るほど恥ずかしかった。



「どうせ貧乏性だよ」



 やはり今日はさんざんな目にばかり遭う。厄日なのだろうか。



「謁見も何か嫌な予感がするなぁ」



 スイは嫌な気分のまま宮殿へと歩みを進めた。

 魔女を倒せなかった負い目もある。

 あの魔女は魔物じゃないから自分には倒せないなんていう言い訳が果たして通じるだろうか。

 クレアとの関係がどれほど周りの人に知られていたかも気になる。

 国王の耳に入れば、どんな処遇が待っているのかそれを考えるのも怖い。


 歩きながらブルッと身震いをした。

 しかし、スイは人の多い大通りに出ると自然と姿勢を正す。

 条件反射のように人目のあるところでは良く見られようと取り繕ってしまう。

 そんなふうに人の目を気にせずにいられない自分には少し凹む。

 そして思い知る。テスの言うとおり、いいように使うために飼い慣らされている事実に。

 そうするのに都合の良い自分の性格も恨めしい。

 スイは唇を噛み締める。悔しくても、スイは人目を気にせずにはいられない。そのように育ったのだから、もう体に染み付いた習慣のようなもの。

 どんな不安や葛藤を抱えた情けない心持ちでいても悟られぬよう平静を装ってしまう。今のこの程度の動揺で表情が情けなく崩れるようなことはない。

 ビシッと背筋を伸ばして大通りを闊歩するその姿は自信に溢れた気高い軍人以外の何者でもない。退魔府仕様の軍服はもちろん、異端者の証である黒い髪や瞳ですら人々に畏怖の念を芽生えさせ、彼の堂々とした出で立ちに更なる重厚感を加える。

 女性たちはそんなスイの姿に見惚れる。


 そんな視線を感じているのだろうか。

 もともと少し切れ長の目を根性で更に釣り上げキッと唇を結ぶ。

 やや痩けた頬もゴツゴツした首筋もスイの男らしさを引き立てる。

 異端色はそれにスイに有るはずもない悪い男のオーラを装わせる。



「あの……」



 花売りはスイに売り物の花を赤く頬を染めて差しだす。ここで微笑んで受け取れば、花売りの女性の心はスイのもの。けれどスイは手でそれを遮る。

 異端の黒の男とまともな未来を望む女などそう居ない。

 自分がどんな風に見られているのかよく分かっているつもりだった。

 異端者の男=悪い男。でもそれなりに身元が保証されていて見た目も悪くなくて……。

 それらの条件を満たしたスイは遊び相手として女性にモテた。それは自覚していた。

 けれど女性たちの望む悪さは愚か、真面目で堅実で誠実で倹約家のスイに女性たちはすぐに飽きて彼の元を去った。

 しかし彼はそのことを恨んだりはしなかった。仕方のないこと。諦めの中で自分が恋愛対象として見て貰えるだけでもありがたいと思うようになっていた。

 クレアに出会うまでは。


 スイは羨望の眼差しを浴びながら大通りを王宮に向かい歩いた。

 通りの脇には女神を称える装飾が豪華に飾られている。

 貴重なシンシアグラスの花を象った青色の造花と黎明の勇者を称える白い布地の装飾がそれをさらに彩る。

 黒と赤の軍服を着た軍人はスイ一人だけ。

 聖なるものを象徴する白と青に彩られた街との色の対比が彼の存在をより目立たせた。

 やがてその装飾にあのエンブレムのついた国旗が加わる。

 その場から前方を見上げると目指す美しい宮殿がみえる。宮殿は柔らかな曲線が印象的な白い石造りの建物。造られた時代は女神達が生きた創世記まで遡る。

 その前に構える第2の城門は先ほどの城門と同じく厳ついまでに堅固だったが、細やかな彫刻がふんだんに施されていた。順番に見ていけばこの国の成り立ちが分かるとも言われる古い彫刻。

 しかし、今はそんなものを悠長に眺めるような暇はなかった。

 気は進まないが国王からの召還は絶対。

 彼は城門をぐぐった。

 今度は足止めを食らうこともなかった。

 見た目の印象は大事ということだろうか。

 はじめて袖を通したこの軍服の威力にスイは少し不快感を覚えた。




ゆっくり更新にも関わらず読んで下さってありがとうございます。

この回から、クワイアト編になります。徐々にキャラクターも増えて行きます。


続きは修正が済みましたら、魔法のiらんどから順次転載して参ります。


どうかお付き合いください。

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