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女神の従者

「よっと……」



 真夜中、町中が深い眠りに落ちてあたりが静まり返った頃。

 スイは一人起きて床を抜け出した。

 クリスに会って十分過ぎるくらいに近況を報告できた。テスも預けた。 クリスならばきっとテスの両親を見つけてくれるだろう。

 もし見つからなかったとしても、それなりの待遇で迎えいれてくれるところを選んでくれるだろう。

 そうとなれば、今のところこの聖堂には用などなかった。



「あのクソじじぃの説教なんか真面目に聞けるかよ」



 スイはブツブツ言いながら先ずは鞄そして靴、そのあとに武器といった手順で次々に荷物を聖堂の塀の外に投げると、最後は自分が塀をよじ登った。

 塀を乗り越え難なく脱走に成功したスイは、得意げに口角をつり上げて鼻先で笑った。



「昔取ったなんたら……だ」



 その昔、規律に厳しい聖堂での暮らしに飽き飽きしていた幼いスイはよくこうやって抜け出していた。

 そんなことも今となっては良い思い出。

 スイは荷物を一つ一つ拾い上げていつものポジションへ装備した。

 そして、最後に頭からストールを被ると足早に門へと向かった。

 スイがちょうど聖堂の塀をよじ登っていた頃、テスもまた脱走しようと起き出していた。



「こんな所には居られません」



 スイが自分を置き去りにしていくつもりだと知ったテスは慌てていた。 そして、何も考えずに部屋の外へと出るために玄関口に向かった。



「テスさん」



 ちょうど外に出ようと扉に向かい合った時、後ろから呼び止める声にテスは振り返った。



「クリスさん!」



 脱走現場を見られたテスは身構えた。

 しかし、クリスはそんなことは全く気にしていない様子だった。

 まるでテスが逃げ出すことは計算済みだったように落ち着いている。



「スイも今夜のうちに出ていくでしょう。一緒に行くのですか?」



 クリスの口から発せられた予想外の言葉に驚きながらもテスはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。



「あら……。それは想定外でしたけれど好都合ですね。今晩は外で待つつもりでしたから」



 テスの目は、およそ子供がする目とは思えないほどの鋭い眼光を放っている。

 月光を紡いだような涼やかな彩りを放つ少女の髪が、蝋燭の灯りを受けて極彩色の影を落とす。

 そのただならぬ雰囲気にクリスは息をのむ。



「テスさん、何の力もないスイはただの人間ですよ」



 クリスは訝しげにテスの表情を覗き込む。

 一方のテスは真っ直ぐな視線でクリスの目を見据えて……



「わかっていますよ。ですから、私が必ず守ります」



そうハッキリした口調で答えた。



「その言葉信じて良いのですね?」



 クリスは何だか上手く説明できないけれど確かな違和感を感じていた。

 それは、テスが聖者の白で、スイが異端の黒だから……。そういう意味ではなく、どちらかと言えばそれとは真逆。

 テスの存在が不吉に思えて仕方がなかった。



「この揺るぎなき命にかえても」



 テスのその真っ直ぐな視線に、クリスはそれ以上何も聞けなかった。

 テスは朱塗りの杖を扉にかざした。

 扉はまるで森が急に開けた時のように不気味な振動と音を立てて歪み、中にポッカリと抜け道を作った。



「私の使命ですから。お約束いたします」



 テスはそう言い残すと扉に空いた隙間から外にでた。

 テスが去ると扉の歪みは消えて、何もなかったかのように元の状態に戻った。



「魔物なのか……」



 一方、スイは静かな夜の闇に紛れて門を目指していた。

 いつものように顔や頭を隠して夜の町を歩く姿は、誰がみても不審者にしか見えない。

 門までは何とか辿り着いたが、やはり門衛に止められた。



「通行証だせ。それと深夜だから聖堂か役所の通行許可書もだ」



 門衛は疑いの目でスイを見る。

 無理もない。その出で立ちは誰がどう見ても怪しい。

 頭巾を脱げば良いというわけではない。スイの黒い容姿を見れば余計に疑われる恐れがある。

 異端の黒は忌み嫌われていることもあり、まともな職に就けず悪行に走るといった傾向があるため、迷信以外にもあまり評判が良くない。

 知り合いでも居れば難なく通れただろうが……



“昼間のやつに名前くらい聞いとくんだった”



 後悔先にたたず。

 スイは通行証を鞄から出して門衛に提示する。 許可書はない。


その時……



「スイ様?」



っとテスがひょっこりと顔を出した。

 門衛は、スイの通行証とテスの白銀の髪をみると急に態度を変えて敬礼した。

 それから慌て門を開けるように指示をだすと、今度は恭しく直角に腰を折った。


「大変失礼致しました」



 門衛はスイに通行証を返した。

 その通行証には聖堂の燻し銀のものとは違う、金と青の装飾がついたエンブレムが。



「王家の方とは知らずに無礼の数々……」



 聖者の白が王家の特異形質であることは国民なら誰もが知っていた。

 テスの姿をみて、勘違いしたのだろう。

 兵士たちは皆、恐縮し震えてさえいる。

 そんなこんなで、プリンセスに間違われたテスは丁重に見送られてスイと共に門を出た。


 門を通過出来たのは好都合だったが、テスまでついて来たのは明らかな誤算だった。

 そして、もう一つ。



「なぜ抜けてきた」


「私が居て良かったでしょう?」



テスは淡々と答えた。

 確かにそうだが、姫君だと身分を偽って行動したのことがバレると非常にまずい。

 向こうが勝手に勘違いしたとは言っても、それに同調したならばこちらも言い逃れは出来ないだろう。

 スイは頭を抱えた。

 そして、少々乱暴に少女の銀髪に上着についたフードを被せた。



「隠しとけ!」



 スイは歩きながら考えこんでいた。

 こんな面倒なことになるなら、夜中に逃走しないで昼間のうちになんとか抜け出すべきだった。

 王族だと偽って行動するのは重罪だ。しかも、テスのような娘を異端者である自分が連れ歩けば誘拐も疑われかねない。

 いくら真面目に仕事をこなしても、人に親切に誠実に暮らしても、こんな容姿をしているが故に信用の薄い身の上。これ以上ならず者扱いされるのはごめんだった。



「あ!」



 そして、散々考えた末に何かを思いついた。



“どうせ行くつもりだったんだ、あそこならテスを預けられる。もし、この件がバレてもテスさえ引き渡して……”



 スイは顔を上げて、頭巾をとった。



「よし、行こう。」



 そして両手で自分の頬を数発叩いて気合いをいれた。

 仮眠はほんの数時間しかしていなかったが、頭は冴えていた。



「行きましょう」



 テスはなんだか晴れ晴れしたスイの表情に安心した。

 彼らは再び東に向かって歩きだした。


 夜はまだ明けない。

 月のない夜の闇は果てしなく深い。それは道なき道をゆく旅人には不安なものだった。

 だがしかし、スイは動じない。むしろ清々しい気分だった。

 新月の日はどんな夜よりも穏やかな夜になることを彼は知っていた。

 夜行性の動物も魔物もこの日は巣に籠もって出て来ないのだ。

 その代わりに夜空に不思議な音が鳴り響くことがあった。

 それはキーンと闇に溶けるような音。

 今日も遠くから微かに聞こてくる。

 誰もその正体を見たことはなかったが、何かしら恐ろしいものが存在しているのだろうという漠然とした恐怖感が世間に浸透していた。

 それも仕方がないことだ、人というのは異質なものや得体の知れないものを忌み嫌う。

 しかし、スイはそういう考え方は好きではなかった。

 けれど、その話も有りがちで的外れな噂ともいうわけでもない。

 危険を察知する能力に優れた、夜行性の野生動物たちが新月だけは行動しないのだから。

 それでもスイはそんな新月の夜も闇に溶ける音も好きだった。

 理由らしい理由は特になかった。

 ただ、何となく心地よかった。ただそれだけ。

「月の竜が鳴いていますね」



 テスもその微かな音にうっとりした様子で聞き入っていた。



「月の竜?」



 聖堂での生活が長く迷信やら言い伝えやら民話やら……。そういった類の話に詳しいスイにも初めて聞くものだった。



「この世界を創った魔王がまだ人間だった時に生み出した魔物です」



 テスの話はやはり初耳だった。

 創世神話では世界を創ったのは神で、この世界―ー虚空を大きな災いから守るために隔離したのが女神。

 神話の中に登場する魔王は世界を戦争に導き荒廃させ、そして女神を殺め、最後は勇者に討たれ滅んだ。そう言い伝えられている。

 恐らく、テスは少数民族の出身なのだろう。

 スイは以前に少数民族や異端者に関する蔵書を聖堂で漁っていた時に、自分が教わったのとは違った宗教解釈の記述を目にしたことがあった。

 自分の存在が本当に異端なのか、本気で悩んでいた頃だった。その記述にどれだけ救われたか。

 そんなこともあり、人にはそれぞれの解釈や世界観があって良い。彼はそのことを知っていた。

 テスも少数派の解釈を信じているのだろう。

 スイはそう解釈し、それ以上の詮索を止めた。

 遠い空の奥、高い空の彼方……。鳴り響く新月の音は何かが泣いている声のようにも聞こえた。

 風の音にも耳鳴りにも似て非なる極高い澄んだ響き。

 これが月の竜の声だというのならばそれは、暗黒に消えた月光の代わりに大地を照らしているつもりなのだろうか。



「そういえば、スイ様!手を負傷なさっていたのでは?」



 テスは不安げな表情でスイを見つめた。



「治った。治りが早いんだ」



 指を少しとはいえ、骨折。そんなに早く治るわけがない。そう言いたいところだが、実際にスイの指は治っていた。

 少し腫れは残っているようだがほぼ繋がったようだ。

 スイはその戦闘能力の劣る部分を補うかのように、回復力と免疫力が優れていた。

 怪我はするが、軽いものなら半日程度。

 かなりの重傷でも1日眠るだけで傷は塞がり何とか動けるほどにまで回復する。

 病気にも人より頻繁にかかるが命の危険に曝されるほどまで重症化することもなく、殆どが一晩で完治する。

 それが例え流行りの疫病でも。彼の体を蝕み続けられるような病はなかった。


 こんな羨ましい能力すら、持ち合わせていない人が多数派ならば化け物扱いの元。

 本人はあまり気に入ってはいなかった。



「本当ですか?信じられませんね。見せて下さいますか?」



 テスはスイの右手をとった。



「あら!ステキ!本当に治っています。素晴らしい回復力ですね。良かった」



 テスは安堵の表情を浮かべ、そしてやわらかく微笑んだ。

 その優しさに満ち溢れた笑みは、彼女が幼い子供とは思えないほどの母性を感じさせる。


 テスは本当に不思議な少女だ。容姿はもちろん人とは違っているが、そうではなくその立ち居振る舞い、言動が一般的な子供とは違っていた。

 子供の多い環境で長い時間を過ごしてきたスイにとっても、初めて出会うタイプの子供だった。 子供らしいのはまず見た目だけだろう。

 彼女のわがままや勝手な行動すらどこか計画的に感じてしまう。

 それとも、スイがテスに対して子供っぽい感情を抱くことが多々あった故にそのように感じただけだろうか。

 どちらにしても、スイはテスが幼い子供だという事実に何か違和感があった。


 スイはテスと共に月のない暗闇の広野を明かりも灯さずに無言で歩いていた。

 月のない夜に明かりを灯すと、方角を示す星が隠れて方向がわからなくなるからだ。


 そういえば、先ほどから新月の音がしない。

 スイは立ち止まった。そして、ゆっくりと闇に目を凝らすが勿論何も見えてはこない。

 辺り一帯は暗闇に目が慣れきても尚まだ先も分からないほど暗い新月独特の闇に包まれている。

 スイはとてつもなく嫌な予感に息を飲む。

 スイの脇でテスも体を固くして身構えている。



「きます!」



 キーンと鳴り響くあの音が突然で大音量で鳴りだした。

 それは急に近づいて来たのか、随分至近距離で発せられているようだ。

 体中に伝わるその振動は最早音とは思えない。 激しい頭痛を伴う耳鳴りのように脳天に響く衝撃。



ビリビリ……

ジリジリ……



 そして、強大なプレッシャーが突如彼らを射ぬいた。



「上だ!」



2人は上を見た。



「キーン」



 二人の前に翼の生えた巨大なトカゲのような魔物が現れた。



 魔物は羽ばたく音も立てず頭上からスーッと降りてきた。そして鋭い歯を食いしばって唸りながら、彼らを睨み付けた。

 その唸り声を聞いて我に返ったスイは刀を抜いて構えた。



「竜は初めてだ」


「そんな」



 流石のテスにもいつもの余裕はなかった。

 激しく興奮した巨大な竜を目前に腰が抜けたようだ。無理もない。

 スイは刀を右手に持ち代え、テスを左腕で抱えると素早く物陰へと隠れさせた。



「下がってろ」



 スイはそう言って自分は竜の真正面に飛び出した。スイのその動きには一点の迷いない。極めて冷静で時折ニヤリと笑みすら浮かべている。


 銀色の羽のような形をしたウロコに覆われた竜は新月の闇にぼんやりと浮かんでみえる。そしてその瞳は青く強い光を放って輝いていた。

 スイは飛び出した勢いのままを竜の翼を斬りつけた。



「キーン」



 竜の高音の悲鳴がスイの耳を襲い、飛び散る鱗が頬を掠める。



「くっ……」



 スイはその音に目眩を覚えてふらつく。けれど直ぐ様体勢を整えて再び竜に刀を向ける。

 切りつけた竜の左の翼からは、竜の目の色に似た青い血が僅かに滴り落ちている。



「魔物め」


 大したダメージでもないはずだか竜の息遣いは更に荒くなった。



「だめ……」



 青ざめたテスが後方の物陰からスイに震えた声で訴えかける。しかし集中しているスイの耳に届くはずもない。

 竜はいつでも動きだせるような低くい体勢で構えたまま。そのまま何をするわけでもなくじっとしていた。

 ただ青く光る瞳だけが不気味にギョロリとスイの動きを追う。


 スイも竜の周りをゆっくりと回りながら間合いを詰めて隙を探る。



「ちっ……。どこが」



 竜の体は一見柔らかそうに見える羽毛のような形をした固いウロコで覆われているため、後ろにまわったとしても攻撃を仕掛ける隙がない。それでもスイは果敢に斬りつける。

 探るように右から左から、後ろから、そして真正面からも。

 竜は時折耳鳴りを呼ぶあのキーンという響きを上げながらも殆ど動じない。

 対峙する2者の様子はさながら牛と牛にたかるハエ。

 竜との力の差は目に見えていた。

 そのためか竜は迸るような殺気を放ちながらも、スイを全く気にしていないようにさえ見えた。

 明らかにスイに勝算はない。誰からも明瞭な状況にも関わらす、スイもまた平然としていた。



 不名誉ながら最弱剣士との呼び名も高いスイ。 魔女の時といい、今といい何とも無謀。

 いくら回復が早くてもあの足に踏みつけられてはひとたまりもない。



「そこだ!」



 スイは竜の真後ろに回り込むと、竜の長く太い尻尾に刀を突き立てた。 ウロコの生え際のようになっているその場所を見つけたのだ。

 その場所に抉るように真っ直ぐに刃物を突き立てられた竜は、割れそうな声を上げて喚いた。

 そしてスイを振り落とそうと激しく尻尾を振り回す。



「キーン」



 悲鳴のように空気を切り裂く音は、いつの間にか竜の声に慣れてきていた彼の耳にさえも耐え難い苦痛をもたらす。

 いつの間にか竜に突き立てた刀に必死になって掴まっていたスイの足元が竜の体から離れて宙釣り状態になっていた。

 不規則に振り回されるスイの体が、支点になっている彼の手の力を奪っていく。

 しきりに羽ばたかせた竜の翼からは不規則な羽音が嵐のように吹き荒れる。

 独特の羽毛形をした無機質な銀の鱗はその疾風にのり竜の青い眼光を撒き散らす。それは喚きと共に静かなはずの新月の夜を喧騒へと誘う。

 竜は翼を目一杯広げ体中でスイに抵抗した。


 次の瞬間、スイの体は軽々と上空に投げ飛ばされた。

 竜はキーンと大きく咆哮をあげる。

 そして、苦痛に体を捩りながら体勢を直そうと翼はためかせた。



 その時、スイが刀を振り下ろすような格好で竜の頭上に落下した。

 聞いたこともないような激しい激しい衝撃と、とてつもない爆音が辺り一帯に響き渡った。

 その響きが広がる様は紫色の光が弾けたときに似ていた。

 スイは右手でバランスを取りながら竜の頸椎の付近に突き立てた刀を素早く引き抜く。傷口からは青い血が飛沫を上げて吹き出した。

 スイは素早く竜の背を滑るように降りるとその場を離れた。


 爆音が去った平原は元のように静まり返っていた。

 激しく頭と耳を刺すような竜の咆哮も、それに似た闇に溶ける新月の音も、もうしない。

 立ち尽くすスイの目の前に広がる空は少しずつ白んで……



「そんな……」



眩しい朝日は横たわる巨大な白い竜の体を照らしだした。

 竜は大量に流れ出した青い血の中で今まさに息絶えようとしている。  それを見たテスが血相を変えて力なく横たわる竜に駆け寄った。



「飛鏡!」



 竜の瞳は優しくラベンダー色に輝いていた。

 先ほどまでの猛々しい殺気は微塵も感じない。 そして、その大きな口から大量の紫色の血を吐いた。



「飛鏡……」



 テスは泣き崩れた。

 竜はそんなテスを気遣うように静かに翼で彼女の頬に触れた。

 竜が動くたびに全身を覆う、銀色の硬い羽毛がカラカラと乾いた音を立てて剥がれ落ちていく。

 それでも竜は少女を慰めようと体を寄せる。

 まるでスイが戦った竜とは別物。

 きっと母親とはこんな感じだろう……。

母親の居ないスイが、憧れ想像する母親像。優しさ、慈しみ、献身それらを全て含むーー愛のようなものを竜の薄紫色の瞳に感じた。


「テス……?」



 スイは状況が飲み込めない。



「飛鏡……。飛鏡!」



 テスは何度も竜にそう呼びかける。

 竜は苦しそうに息をしながらもテスの姿を目で追っているようだった。

 テスは何やら念じると力いっぱい竜に何かを施す。すると、竜の体がふわっと淡い光に包まれ、大きな傷がゆっくりと塞がっていった。



「ま、まほう?」



 スイは初めて目の当たりにした魔法に驚いた。



「飛鏡、飛鏡!」



 竜は僅かに首を上げてテスにすり寄った。

 テスの魔法で表面的な傷は消えたが、根本的なダメージが大きくもう手の施しようがないようだった。



「テス?」



 スイは恐る恐るテスと竜に近づいた。

 テスは一瞬キッとスイを睨みつけるが、その表情は長く持たず、すぐに涙に崩れた。



「このこ。友達です」



 テスは涙を拭って静かに語り始めた。



「正気は失っていましたが……」



「キーン」



 竜は小さく小さく鳴き声をあげた。そしてぐったりとまた首を垂れた。 テスの足元は、竜の口から吐き出された紫色の血と、先ほど竜の首筋から吹き出した青い血とが混ざりマーブル模様になって広がっていく。



 血を流しすぎた竜はテスの介抱も虚しくどんどんと弱っていく。



「行かないで。まだあなたの役目は終わっていない!」



テスは泣き叫ぶ。



「テス……」



 スイが意を決してテスに話しかけようとしたその時だった。



「うわっ!何?何だ?」



 白銀の竜とテスに気をとられていたスイの前に小さな赤い体の竜が突如現れた。そして、それに続いて更に小さな青い竜がどこからか現れた。

 2匹の竜は「飛鏡」とテスが呼ぶ巨大な白銀の竜にすり寄った。



「え……。何です?」



 2匹の竜はキュンキュンと声を上げて飛鏡に向かって喚いては、時折その周りを飛んだり、つついたりして飛鏡を心配しているようだった。



「炎!氷!」



 しばらくすると軽快な足音と共にこのしんみりとしたこの状況には不釣り合いな明るい女性の声がした。

 その声は何かを探し呼んでいるようだ。

 飛鏡も少しだけ耳を立てた。そんな力はもうどこにもないはず……。

 おそらく飛鏡にはもう残された時間はない。

 それは、刻一刻と弱っていく様子からも明らかだった。


「キーン……」



 飛鏡の弱々しい声はスイの心を締め付けた。その声は優しい温もりのように心地よいいつもの新月の音だった。



「キーン……」



 そのかすれた声に応えるように赤と青の竜が項垂れる飛鏡の顔に寄り添って喚いている。



「キュンキュン」

「キュイキュイ」



 3体の竜がお互いを呼び合うように鳴き声をかわすと飛鏡は震える体に鞭打って再びスクッと首を上げた。そして諭すような穏やかな薄紫の瞳にいっぱいの力をこめて2匹の幼い竜を見つめた。



「キーン……」



 精一杯の声で何かを語ったのだろうか、飛鏡はそのあと苦しそうに咳き込んだ。



「キーン……」



 か細く響く飛鏡の声は淀みのない朝の空気に溶けていく。

 飛鏡は渾身の力をこめて2匹の小竜を翼で包むように抱き何やら頭を合わせて話しでもするように優しく頷いた。

 次の瞬間、飛鏡の体はまたガクッと地面に崩れ落ちた。

 しかし、なんとか向き直ると今まで以上に穏やかで弱々しい視線を他の誰でもなくスイにチラッと見せた。



「え?」



 静かに辺りを包んでいた涼やかな朝の風がピタリとやんだ。

飛鏡は静かにその瞳を瞼の下に隠した。



「飛鏡! 飛鏡、飛鏡。ひ……」



テスは泣き崩れた。

 2匹の竜たちもキュンキュン、キュイキュイ、と声を上げながらテスにすり寄って泣いた。

 スイはどうして良いかわからなかった。

 飛鏡という竜がテスの友達だなんて全く知らなかった。

 聞いていなかったのだから当たり前だが、それでも嘆き悲しむテスの姿に罪悪感が芽生える。

 そして、自分の能力を恨んだ。

 もし、相手が賊ならばスイは間違いなく尻尾をまいて逃げた。敵わない相手には戦いは挑まない主義だ。

 しかし、相手が魔物。それゆえ彼は戦うことにしたのだ。

それが彼の負った任務だから。

そして、彼にのみできる唯一の仕事だから。



「炎、氷。……飛鏡!」


 先ほどの声の主らしき女性が息をきらせながら彼らの元に走ってきた。



 女性は横たわる飛鏡を見ると絶叫した。



「飛鏡、飛鏡! なぜ、なぜなの!」



 女性は飛鏡に駆け寄ってその躯を抱きしめた。

「あなたが飛鏡の今のご主人……? ですね」



 テスはもう一度涙を拭って咳払いをすると震えた声で話しはじめた。

 女性は泣きながら首を縦にふった。



「青い……あ悪意に、侵され……我を失って……いました」


「やっぱり……」



 女性はなおも泣き続ける。テスは溢れでる涙を我慢しながら続ける。



「邪気を払いました。その時についた。

き、傷が深くて……。

私の治癒の魔法もきかなくて……。飛鏡は……。飛鏡」



 テスは再び大粒の涙をポロポロこぼして泣き始めた。その声は先程の激しい飛鏡の喚き声よりも痛烈にスイの耳を刺す。

 スイの力、それはテスの言うような魔物の邪気を払う力ではない。

 そう言えば聞こえは良いが、スイの力はもっと直接的な力だ。

 あれからどのくらいたっただろうか……。

 かなり長い時間テスと見知らぬ女は一緒に泣きじゃくった。

 声はかれ、目は真っ赤に腫れて……。それでもなお2人は泣き続けた。

 スイは刀の汚れを振り払うとさやに収めた。

 ふと見ると竜から流れ出た2色の血の色でテスのベージュのケープはすっかり青と紫に染まっていた。



 ひとしきり泣きじゃくった2人はすっかり意気投合して、親しげに語りはじめた。



「あ、ありがとう。飛鏡はずっと最近おかし……かったから」



「いえ……」



「あたしはミリア。この子は炎と氷。飛鏡の……グスっ……子供よ」


「飛鏡に子供がいたなんて……」



 テスの声もミリアの声も泣き過ぎでひどく掠れていた。



「もし本当なら、役目を引き継がせたから弱っていたのでしょうね。私はテスと申します」



 スイは脇で一人つまらなそうな顔でそっぽ向いていた。



「あちらは、スイ様」



 急に紹介されたスイはチラッと顔をミリアに向けたがすぐにそっぽむいて黙ってしまった。

 自分が倒した竜の死を悲しむ2人の会話に入りづらいもの。そして、何より悲しむこと自体が腑に落ちなかった。相手は人に敵意を向けた魔物なのだから。

 人間が魔物に恐怖心や嫌悪感を感じても、親しみを感じるわけがない。異形のものを忌み嫌い、排除しようとする。それが人間。一度不吉と感じたものは、例え確証がなくても決して受け入れない。頑なで愚かな存在。

 スイは唇を噛んだ。

 


 ミリアは紹介された黒髪の男を凝視しながら少し考えた。

 そして何かを思い出したかのようにふらっと立ち上がった。

 泣いていた影響で頭痛がするのか、頭を両手で数回叩くと至近距離まで近づいてスイの顔をマジマジと見た。



「ああ! 聞いたことあるよ! あんたが魔物を滅ぼす力をもった最弱剣士スイ!」



“一言多いわ!”



 スイの頬が不機嫌に引きつる。

 そんな不名誉な通り名はいらない。



「でも、じゃあ、飛鏡は魔物? そんなまさか」



 ミリアは力なく地面に座りこんだ。



「あんなに強い……。ずっとわたしたちを守ってくれた飛鏡が……。まさか魔物?」



 ミリアの目に再びうっすら涙が浮かぶ。



“目ついてるのか?

見た目からして間違いなく魔物だろ!”



 スイはイライラしながらツッコミたい気持ちを抑える。

 最弱のスイに倒されたからといって飛鏡が弱いかったわけではない。

 人間には決して傷つけることのできない最強最悪の存在、それが魔物。

 その中でも竜は最高位に位置する。

 もし人に魔物を傷つける力があったとしても、そう簡単に倒せる相手ではない。


「魔物の守りと邪気を払う勇者だっけ? 旅の素敵な詩人に聞いたわ。異端の黒でのアホで最弱のイケメン……?って」



 誰から聞いた話なのかは分からないが、やたらと悪口が多い説明だ。

 スイは眉間にシワを寄せる。

 スイの力を平たく言えばミリアの言う通り。

 魔物の守りを破り攻撃が出来るようにし、何らかの使命を全うするためにもたらされた不老不死の能力を解除する。

 そしてーー魔物に滅びの時を示す。

 彼が魔女退治に出掛けたのは、この力で魔女を滅ぼすようにと王命が下ったからだった。

 最弱と名高い剣士がなぜに、こんなにも無謀なのか。それは倒す自信があったからだった。

 スイもそこまでバカではない。勝算を十分に考慮しての行動であり決して無謀な作戦ではなかったのだ。

 彼が弱いのは対峙した相手が魔物以外のものの時。

 相手が魔物ならば決して最弱剣士などとは呼ばせない。



「その説明した男、碧眼茶髪で変な喋り方じゃなかったか?」






 スイは何かを思い出して苦い顔をした。

 スイの問いにミリアは目を丸くした。



「そうそう」



ミリアは鼻声で答える。


「シンか……。チッ」



 スイはイヤな顔で舌打ちをした。



「シン様って言うんだ。今まで見たこともないくらいのイケメンいえ美形だったわ。絶世の美男子って感じ。そのシン様がイケメンって言うんだから期待していたのに」



 ミリアはスイを見て落胆の表情で深いため息をついた。

 どこまでも失礼な女。

 スイはまた眉間にシワを寄せる。



「シン様の話はそれはそれでいいとしても」



 飛鏡のことといい、今の話といい、ミリアは不思議なほど切り替えが早い。



「なんですの?」


「飛鏡はセレサ様の守護者って言っていたのに、何で魔物なの?」



 ミリアは飛鏡の躯をさすりながら話はじめた。

 テスは険しい表情で口を噤んだ。



「セレ……。って女神様のってことか?」



 その話に食いついたのはスイだった。

 セレサ……それはこの世界で最も信仰を集める女神の名前だった。



「あ!」



 スイは、何かを思い出した。

 以前スイが祭祀の文化史という本をクリスに何かの罰として読まされたとき。



「女神に仕えし清らかな白き神獣……」



そんな記述があったような気がする。



「そうそれ!」



 女神を讃える教団のシンボルは月。そして飛鏡は女神の守護竜。それでテスのいった月の竜となるわけだ。

 スイは納得した。

 しかし、それと同時にスイは激しい不安に襲われた。

 女神に仇をなすと言われる異端の黒であり。

 そして女神と対極に位置する力を持つ。そんな存在の自分。

 スイはこみ上げてくる不安を想像の中ですら明確な言葉にすることを拒んだ。



「でも、飛鏡が魔物?

魔物は魔王が創った化け物でしょ? だったら魔物は女神様とは逆の存在だわ」



 しかしミリアの推測がスイの拒んだ事項を掘り下げようとする。

 そしてその言葉はスイの不安を増長させた。



“女神と逆”



 異端者と蔑まれるのには慣れていた。気にするような事ではない。そんなことは、ただの偏見だと理解していた。けれどそれは自分が不吉な存在とする確固たる証拠が何もなかったからだった。

 スイは動揺を隠そうと必死だった。

 自分の存在意義にこれほど不安と疑問を感じたのは、子供の頃以来だった。



「史実に基づく善悪は歴史の解釈によって如何様にもとれます。

ましてや、人が伝えた歴史に伝道者たちの先入観や感情が込められていないとは言い切れません。ですから伝えられたことが真実というのは間違いです」



 そこへ黙って様子を見ていたテスが話に割って入ってきた。



「歴史自体が歪められている恐れもあるのですから」



 テスはそう言うと、たびたび見せるあの大人びた表情を見せた。

 テスの言葉に他意はなかった。ただ的確にミリアの問いに答えただけ。それでもスイはその言葉に幾分救われた。

 しかし、芽生えた不安は着実にスイの心に根を張った。


 昇りきった太陽は澄み切った空を青く照らしていた。

 その青く澄んだ空が何かを失った彼らの心を埋めてくれるような気がして、みんなそれぞれに空を仰いだ。





魔法のiらんどで執筆したものを手直しいれながら更新しています。


遅いですよね。

もっとサクサク直してあちらの最新話に追いつくようにしたいです。

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