懐かしい聖堂の町
森の辺を歩く2人の足取りは重かった。
「はぁ……」
テスは、疲れておしゃべりをするような余裕もなく項垂れている。
一方、それを背負って歩くスイの方はショックを受けてひどく落ち込んでいた。
彼としては冷静なキャラクターで居続けたかった。
そして、せめて女性や子供といった弱者は守れる存在でいたかった。
それなのに、彼はテスにあんな醜態を曝してしまった。
自分でも信じられなかった。
相手がそのように指示したとはいえ、幼い少女を盾に逃げるだなんて。 自分が情けなくて仕方がなかった。
「はぁ……」
彼のため息にテスも心が痛んだ。
「仕方ありません。スイ様は弱い……」
落ち込むスイを慰めようと発したテスの声は小さくかすれていた。
しかし確かに彼の耳に届いた。
か細い声で優しく発せられたはずのその言葉がが鋭く彼の耳を刺す。
その言葉に彼は更に傷ついた。
それは紛れもない真実だった。
勇んで魔女討伐に来たスイ。彼は弱いのだ。
弱い……。
それはスイにとって幼いころからのコンプレックスだった。
戦いのセンスがないとか力ないとかではない。 剣の型は美しい。演習で剣術を披露すれば誰もが筋は良いとほめる。
柔軟性も、体力も、腕力も、測定すれば人より優れている。
測定器が壊れているわけでもなく。器具で図れば誰より優れている。
それにも関わらず、どんな努力を重ねても、どんなに戦術を練っても、どんなことをしてもスイは弱かった。
見るものが目を疑うほどに、美しく剣を操るその才能が全く役に立たない。
そんな姿は、笑いの的だった。
スイの覚悟が足りないわけではない。
自分は弱いと自覚のあるぶん、たとえ演習だったとしても戦いと名の付くものにおいては誰より必死だった。
ただ、人や動物を前にすると体からすり抜けるように込めた力が逃げいく。戦ったり、壊したり、傷付けたりといった行為が出来ない。
そんな感じだった。
それをまだ出会って日も浅い少女に見透かされたのが恥ずかしく悔しかった。
これまで彼が得意分野で力を発揮するような機会がなかった。そんなこともあってテスはスイが弱いという印象を持ってしまったに違いない。
しかし、彼がどのように思われようが、彼が活躍するような場面はないほうが好ましい。
思い返してみると、この辺りで彼が活躍した試しはない。
凶悪な魔女が住み着く物騒な森なのに。
ここ数年この森の周辺には、彼の能力を必要とするような脅威はなかった。
スイが幼い頃から住んでいたこの森の近くの施設でも、彼は自分の能力を使う機会に恵まれなかった。
その特別な力に気づきながらも、使う場面に直面しなかった。
そのために、その力が当たり前にみんなが持つ力と捉えていた。
故に彼はヒドいコンプレックスを抱える羽目になったのだが……。
「スイしゃま……、私眠らくなって……」
先ほどからスイの背中で欠伸をしていたテスがムニャムニャと口が回らない様子で話しかけてきた。
「寝てろ」
「ふぁーい……」
子供というのは眠ると重くなる。
力の抜けたテスの体も例外なく軽いながら少しだけ重さを増した。
スイは、テスを背負って黙って森と平原の境を歩いた。
平地から吹きつける風が時折彼の暗く沈んだ横顔を撫でていく。
まるで彼を慰めるかのように……。
けれどスイはどうしても自分が許せなかった。 疲れきって眠るテスを背負って歩くのがせめてもの罪滅ぼし。
そう信じてスイは、ぐったりと力なく自分にもたれ掛かる少女を背負い歩いた。
あぜ道は歩みを進めるにつれて均された道になっていく。
人や車が通っている証拠だ。町が近い。
“早く休ませてやらないと”
スイは少しだけ歩く速度をあげて先を急いだ。
この森の辺にはひとつだけ町があった。
そこには、かつてスイが暮らしていた施設があった。
その町のシンボルは、さびれた田舎町には似つかわしくないほど壮麗で大きな聖堂。
テスを負ぶったスイの目に、その聖堂の鐘が掲げられた高い塔が見えてきた。
町を囲む塀から、ヒョコッと飛び出たよう見えるその塔は白く輝いてみえる。
空の色に映えるその塔をみるのがスイは幼い頃から大好きだった。
今日もそんな美しい姿をたたえた塔が太陽の光を反射して真っ青な空にくっきりと白く浮かび上がる。
その塔を目にしたスイは安心感から胸をなで下ろす。
そして懐かしさから足取りが軽くなった。
「スイ!」
町の門を管理している兵士の声が響く。
どれだけ目が良いのだろう。そして、どれだけ声がデカいのか。
そういった特技が認められて警備兵になったのだろうが、信じられないくらい驚異的な能力だ。
スイが門に近づくにつれて、兵士の顔が見えてきた。
“誰だ……”
せっかくの出迎えにも関わらず、スイは大した反応もせず歩く。
人の顔を覚えるのが極端に苦手なスイには、出迎えてくれた兵士に全く見覚えがなかった。
スイはもう一度目を細めて注意深くみる。
「スイ、なんだ無事だったのか!」
やはり、記憶にない。声すら覚えがない。
それにも関わらず、兵士はずいぶんと馴れ馴れしい。
“やはり知り合いか?”
スイは再度目を凝らして塀の上の兵士を見るがどう見ても知り合いには思えなかった。
スイは訝しげに首を傾げながら、門の前で立ち止まった。
間もなくギリギリという金属音が鳴り響き、町の玄関口である門がゆっくりと開かれた。
ただし、大きな荷車用の門ではなく、人が通るために作られた脇の小さな門のほうだ。
しかし、鍵や周りの仕掛けの都合だろうか、やたらと大きな音がする。
“うるさいなぁ。テスが起きる”
けれどそんなスイの心配などなんのその、テスはスイの背中に身を寄せて気持ちよさそうな寝息をたてている。
スイは開かれた門の中に入ると、近くの衛兵に手を挙げ他に通行人がいないことを知らせる合図し門を閉めさせた。
衛兵はスイに敬礼してから門を閉めるように開閉係に指示した。
再び門はギリギリという騒音をたててゆっくりと閉まった。
門が閉まるのを確認すると、スイは暗い町の塀を抜けて歩きだした。
「おい、無視すんなよ。オイ!」
その背後から先程の兵士が大声をあげながら追いかけてきた。
“だから、あぁ……”
テスが起きないかと心配しながらもスイは足を止めて振り向いた。
「お前、無事だったんだな。魔女を目の前にして逃げてきたのか?まさか倒した? なんてことはないよな」
兵士は親しげな笑顔を浮かべているが、その顔に見覚えのないスイにとってその兵士は不審者でしかかった。
「お前、何て顔してるんだよ。疲れきった顔だなぁ」
あまりにも馴れ馴れしい兵士の態度。
そんなに仲の良い友達だったのならば忘れるわけがない。
スイは記憶を辿るが、この兵士に該当する顔はスイの頭にはなかった。
「お前、誰?」
スイはだんだん気持ち悪くなってきた。
スイの言葉に、兵士の顔が一瞬曇った。
自分は友達だと思っていたのだろう。
兵士はちょっとショックを受けたようなその表情を強ばらせて話し続ける。
「あの親衛隊の! ほら試験キャンプで一緒だったじゃないか」
兵士はちょっとムキになったように声を荒げて話す。
スイはもう一度記憶を掘り返す。
そして……
「ああ!」
っと顔をあげたがすぐに真顔に戻って。
「すまん、忘れた」
と言って兵士の肩をポンと叩いた。
兵士はガックリと肩をおとした。
キャンプでどんなやり取りがあったのかは、わからないがこの兵士にとってスイの印象はそうとう良かったのだろう。 きっと友人になれて喜んだのだろう。
「もう良いよ。思い出したらまた声かけてくれ。俺ここの配属だから」
兵士は諦めたように俯いた。
「ああ」
スイは、面倒くさそうに返事をすると振り返りもせずに先を急いだ。
スイに背負われたのテスは相変わらず、ぐっすり眠っている。
あんなに騒がしくても全く動じずに眠り続けるこの睡眠根性はなかなかのものだ。
そうでなければ、スイの背中がよほど安心できて気持ちが良かったのだろう。
「王宮近衛兵試験か」
つい一年ほど前のことだがとても懐かしい響きだった。
スイは何時までも決まらない自分の進路に苛立ち、志願兵として勤めていたことがあった。
志願兵は身元を証明する書類と筆記試験と、簡単な体力測定だけで誰でもなれる職業だった。
そのためスイが異端の黒であろうが戦闘能力が低かろうが常識と基礎体力さえあれば簡単になれる。
その時にステップアップの為に、王宮近衛兵の試験も受けたのだ。
しかし、志願兵と異なり書類審査や筆記試験だけでなく、実技強化キャンプや格闘試験がふんだんに取り入れられた選考メニューに人より戦闘能力的に劣るスイは見事に一時審査で落ちた。
苦い思い出だった。
さっきの兵士も門番をしていたということは落ちたのだろう。
気の毒に。
スイが覚えていれば、今夜は沈んだ気持ちを払拭するためにも、お互いの落選話で酒でも飲みながら、笑い合いたかったのだろう。
しかし、それはスイの性格上、難しい相談だった。
スイは人見知り傾向が強いのだ。
もっと正確にいえばスイは人付き合いが苦手だった。
人の顔や名前を覚えるのが苦手なのも一因ではあるが、何よりも自分の容姿による謂れのない差別や偏見から、故郷の人々が自分の周りに寄りつかなかったことが一番大きな原因だった。
今も、彼が道を歩けば信心深いご老人たちは話を止めて目を合わすまいと背を向ける。
異端差別者の両親に育てられた子供たちはスイに石を投げてくる。
幼い頃はそれはそれは傷ついた。
会ったことのない両親を恨んだ。
黒い髪が嫌でめちゃくちゃにハサミで切ったりもした。
今はあまり気にならなくなったが、それでも凹むこともある。
この町に来ると、そういったことをいろいろと思い出す。
この町が国内においても異端の黒に対する差別が格段に激しい地区ゆえかもしれない。
それでも、スイにとってここは紛れもなく懐かしい故郷だった。
彼はテスを背負ったまま真っ直ぐある場所へと向かっていた。
それは、町のシンボルであるあの白い塔のある大聖堂。
そこはスイの拠点でもあった。
しかしそこは、スイにとって居づらい場所でもあった。
聖堂は創世神たる女神を讃え敬い、女神に祈る場所。
迷信とはいえ、崇拝する女神に仇なす存在とされる容姿をしたスイは聖職者たちから疎ましく思われていた。
表面上聖職者らしく美しく丁寧に言葉を取り繕われても、あからさまな態度は子供のスイにも不快だった。
それでも、スイは幼少期を過ごした施設が廃業してしばらくは、この針のむしろに居座った。
ほかに行く宛がないことは良くわかっていた。 自分のような容姿のものを受け入れてくれる場所があるだけでも有り難いことだと幼いながらにわかっていた。
けれどそんなところでも彼は孤独だったわけではない。
迷信や偏見にとらわれずに自分を受け入れてくれる人もいた。
数人だが友達もいた。 そんな人の存在が、彼のこの町に対する気持ちを僅かながら温かいものにしていた。
そしてその温かな思い出がこの町を故郷のように感じさせていた。
聖堂の入り口は町の中心部にあった。
聖堂前には大きな広場があり、露店がちらほらと立っている。
休日には旅の芸人などがここへ来てパフォーマンスすることもある。
この日も、広場は町の人々の憩いの場として賑わっていた。
スイがその広場に差し掛かったとき、時を告げる聖堂の鐘が高らかに響きわたった。もうすぐ昼だ。
その音でやっと目を覚ましたテスがスイの背中でもぞもぞし始めた。
「う~ん……。もう朝ですか?」
スイはテスを背中から下ろした。
子供というのは眠ると汗をかくのか、テスの額には点々と見えるほど汗の粒が浮かんでいた。
そういえば、スイの背中も何だか湿っぽい。
スイはテスの額を拭ってやった。
「お腹すきました。たまにはお肉の入ったスープが飲みたいです」
「お前は。起きるなりそれか。贅沢言うな」
スイはそう言い放つと聖堂に向かい再び歩きだした。
「あぁ! 待ってください」
テスはその後ろをヒョコヒョコと小走りでついて行く。
聖堂の前についたスイは一度深呼吸をした。
帰れば、お偉い聖職者様にまた嫌味の一つも言われるだろう。
しかし、このドアの前に立つと、そんな小さなことを気にするよりも、もっと、何だか身が引き締まるような緊張感が全身を振るわせる。
これが聖域の神聖な雰囲気とやらの成せる技だろうか。
スイは恐る恐るドアを押した。
聖堂はまず入ると、小さな控えの間があり、その奥には礼拝堂が広がっている。
神聖な雰囲気に圧倒されたりもするスイだが、あまり信心深くはなく礼拝堂はいつもスルー。
スイが顔をだしても礼拝者たちに嫌な顔をされるだけだ。
その上、お説教好きな僧侶が当番の日に間違って顔を出そうものなら、長々と難しい話を聞かされる。たまったもんじゃない。
スイは迷いもせずに横手にある回廊にまわる。
礼拝堂の脇には手入れの行き届いた庭園や、修道士たちの宿舎、孤児や病人の一時預かり所、食堂、ホールなど他にもいろいろな設備があり、それらは回廊で繋がっている。
本当に田舎には似合わない聖堂でまるで大きな複合施設のような造りになっていた。
スイは、礼拝堂のすぐ隣の建物の中にある執務室のドアを叩いた。
ドアには
《クリス》
と彫られた表札のようなものが下げられている。
トントン
ガチャガチャ
ドンっ
スイはノックするとほぼ同時にドアをあけた。
「うわぁ!」
ドアの正面に居た法衣の男性は、驚いて声をあげた。
スイは、構わず中に入った。
「なんです! スイですか。驚かせないでくださいよ。ノックしてもそれでは意味がありませんね。いつも注意しているのに……。直らないものですね」
男性はゆっくりと手に持っていた聖典を机上に置いてからスイに向き直った。
年の頃は30中くらい。青白い顔をして体つきも痩せているので健康そうには見えないが、優しそうな表情と青い瞳が印象的だった。
「お帰りなさい」
男性はそう言うとこれぞ聖職者っというような温かな笑みを浮かべた。
「ただいま、クリス兄ちゃん」
スイは少し照れながら答えた。
男性の名前はクリストファー。
スイにとっては兄のような存在の人物。
クリスはスイが幼い頃に世話になった施設の管理をしていた人の息子だった。
また行き場を失った孤児たちをこの聖堂で保護して世話するように進言した人物だ。
そして、スイが心を許せる数少ない人物の一人で、その中でも最も信頼している人だった。
「あのさ……。これ、保護してくれ。親はすぐ見つかると思うから」
スイはテスをグイッとクリスの正面に押し出した。
テスはキョトンとしていたが、すぐにケープを脱いで、ペコリと丁寧にお辞儀をした。
迷子をどうにか……。そう考えた時、スイにはここに預ける以外に何も思いつかなかった。
テスのような娘が迷子だと言って回れば、高貴な聖者の親として利益を得るために偽両親がわんさかやって来るのは目に見えていた。
人見知りで人付き合いが苦手でコミュニケーション能力の劣るスイにはそれを見抜く目がないことくらいは明らか。本人もそれは十分に承知していた。
それならば他でもない信頼出来るクリスに任せるのが一番と、そう判断したからだ。
クリスの人柄は子供から好かれるというのも適任者としては申しぶんなかった。
「じゃ、よろしく」
スイはそう言うとクルッと踵を返して後ろを向き、そそくさと部屋を出ようとした。
「スイ!」
「スイさま!」
スイは面倒くさそうに振り向いた。
しかし、困った顔をして髪の毛をクシャクシャにすると再び扉に手をかけた。
出来れば聖堂には長居したくない。
「待ちなさい」
“そうだよなぁ。でも、待たない!”
スイは扉を開けるとダッシュで逃げ出した。
「僧兵の皆さん!スイを捕らえて下さい」
クリスの声に聖堂の中の修行僧たちがわらわらと出て来てスイをあっというまに捕らえた。
僧侶たちに拘束されてクリスの前に引っ立てられたスイはうなだれた。
「こちらのお嬢さんのこともあります。今日はこちらで床を用意しますから、事情を説明なさい」
クリスはそう言うとあの温かいが含みのある聖職者の笑みを浮かべた。 この人には敵わない。
スイはまたそのことを思い知らされた。
その夜、スイはクリスの怒涛の質問攻めにあっていた。
スイが前回聖堂に寄ってから、今までどこで何をしてきたのか。
今は主に何をしているのか。
テスとはどうやって知り合ったのかなどなど……。
その質問の多さとしつこさはまるで犯罪者を事情聴取するような勢いだった。
しかし、その口調には家族を労り心配するような温かさがあった。
もっと逐一事情を説明しておけばこんなに心配させずに済んだものを。 殆ど連絡もせずに時々フラッと聖堂に寄ってクリスの顔をチラっと見たら話もせずに逃げ帰っていたスイが悪い。
そんなことは重々承知だが、すっかり聖職者が板に付いたクリスと話すのはスイにとって実に面倒くさいことだった。
有りがちだが、聖職者という職種の人間は話が小難しくて長いのだ。
話が一段落するころにはスイはげんなり。
「しかし、疲れたでしょう。今日は休みなさい。猊下はもうお休みですから、明日の礼拝のあとにご挨拶なさい」
スイはドキっとした。
猊下とはこの聖堂で一番の権力者。枢機卿である。
「あのじじぃ、まだ生きてたか」
偉くなるにはそれなりの理由がある。アクドイ人物なのだ。
加えて聖堂の聖職者の中でも特にひどい異端人種差別者としても有名だった。
スイが最も苦手とする人物。出来れば避けたい人物。
本当にできるなら残り人生はなるべく関わらずに生きていきたい。
「コラ、と言いたいところだが気持ちはわかる。まぁ、そんなに毛嫌いするな」
温厚で人に対していつも公平なクリスすら半笑いである。
「わかった。明日な」
スイはそういうと部屋を出た。
「さて、テスさんとおっしゃったかな?」
スイが部屋をでるとクリスの口調が変わった。
「はい」
一人部屋に残されたテスはただ答える。
「聖者の白、ですか」
テスを探るように見るクリスの表情は硬い。
「尋ねたいことがあります。小さな体に夜更かしはツラいと思いますが、もうしばらくお付き合い下さいね」
クリスはそう言うと冷や汗を拭った。