迷子
「ス……」
「スイ……」
「スイ……」
「スイ……」
遠くから懐かしい声が聞こえる。
彼の名を呼ぶ甘く優しい声。
何だか、嬉しくなるような……。
暖かい気持ちになるような……。
それでもって、切なくてなぜか悲しい。
それはあの人の声によく似ていた。
視界が開けてスイが顔をあげると、法衣を纏った女性が目に映った。
「スイ」
女性は何度も彼を呼ぶものの、目の前にいる彼には全く気づいてはいなかった。
「ここだよ」
彼は不安になってその女性に掴みかかって訴えかけた。
「俺だよ」
女性の姿は確かにあの人だった。
「スイだよ」
女性は立ち止まって彼の方に向いたが、その視線はスイを見ることなくまた誰かを探し始めた。
「スイ」
自分の名を呼ぶ、知った顔の女性はそのまま歩きさってしまった。
「アンナ姉ちゃん!」
…………
………
……
「えっとぉ……」
彼は目を覚ました。
目の前にはオレンジ色に燃える焚き火。
空は真っ暗。
傍らには、先ほど拾った少女が困惑の表情で座っていた。
「お加減は、いかかですか?」
少女は頭からすっぽり被ったベージュのケープを首あたりまで下げて彼に近づいた。
「助けて頂いて、ありがとうございます」
そして少女はペコりとお辞儀をした。
「あぁ」
スイは、ゆっくり上体を起こして少女に向き直った。
「私は、テス・スーウェンと申します。」
テスと名乗ったその少女の髪は柔らかく緩やかに波打つ白銀髪で、火の光に照らされてキラキラと輝いて見えた。
「スイだ」
異端の黒を持つスイとは対極の聖者の白の少女は彼にとって眩しい存在だった。
彼はチラッと少女の髪を見たがすぐに視線をそらせた。
生まれながら白い髪をもつ者は世間で聖者の白と呼ばれ奇跡の子として崇められている。
元は女神の容姿に由来するらしいが、王族の特異形質でもあることから高貴な色とされている。
しかも、テスという少女の口調からも庶民ではないことが伺い知れる。
王族。
貴族。
豪商……。
それらは孤児の彼には縁遠い世界の住人に間違いはなかった。
スイは出会ったばかりの幼い少女に妬ましさからくる苛立ちがこみ上げてきた。
そしてそんなことを思う卑しい心の自分が余計に腹立たしくて、イラつく気持ちを抑えるだけでスイはいっぱいいっぱいだった。
今、何か言葉を発すれば、出会ったばかりでよく知りもしない少女を傷つけてしまいそうで、口をついて出そうになる相づちさえ飲み込んで彼は黙っていた。
それを知ってか知らずか、テスは彼の前に座り込んでマジマジと彼を見つめている。
その瞳は、先程の青い魔女とはまた違った魅力的な輝きを放っていた。
体の色素が薄いのか、テスの光彩の色は、血の色に近い黒か茶。もしくは紫ともとれるような珍しい色で、肌も抜けるように白い。
神々しいと言えばそうかもしれないが、この焚き火の光の中ではぼんやり浮き上がるその姿は言い様のないほどに不気味な雰囲気だった。
「スイさまは、なにゆえこちらの森にいらしたのです?」
最初にこの気まずい沈黙を破ったのはやはりテスだった。
「最近、魔女が出たってきいてな」
この森は近頃、人を襲う魔女が出現した。
そのため、国王の命による討伐隊が送られた。
しかし大敗し軍隊も手出だし出来ない状態が続いていた。
それ以来、名をあげようとする命知らずの強者が次々と訪れている。
けれど未だに魔女を倒したという報告もなければ、無事に森を出られた者も極めて少ない。
それだけ危険な森に今彼らは居た。
ゆえに、彼にとってはテスのような高貴な少女が(そのように感じられる少女が)一人でこんな物騒な森をさまよっているほうが遥かに不思議に思えた。
「その質問、そのまま返すよ」
スイは少女から目を逸らしたままぶっきらぼうに言った。
「私迷っていました」
「そうか……」
スイの顔は一瞬激しく歪んだ。
“そうか……。
じゃないだろスイ!
子供がなんでこんなところに一人なんだよ!
大人でさえも危険な森なんだぞ!
しかも!
こんな娘を一人で外に出す親もいなければ、ご近所の皆様すらそんなこと許さんぞ~!”
ツッコミたい……。
スイは怒りを露わににしそうな顔の筋肉をプルプル震わせ、歯を噛み締めて言葉を飲み込んだ。
この娘は自分をからかっているに違いない。
スイは更に募る苛つきに身を震わせた。
【改行】“ダメだ。ツッコんだらキャラがブレる。相手は子供だぞ。大丈夫だ。俺は冷静沈着…”
スイはゆっくり深呼吸をして心を落ち着けると、今度はテスに向かい必死に穏やかな表情を作って話しはじめた。
「迷子なら家まで送ってやろう。どこだ」
スイは冷静を装った。
「家は、私の家は……。ありません。」
“無いわけないだろ!”
スイの顔が再び少し歪んだ。
しかし、テスは何食わぬ顔で話を続ける。
「紫の嵐がすべてを壊して、私は独り……」
「もういい」
話し始めたテスをスイが遮った。
その話を聞いたスイはそれまで感じていたテス対する妬ましさや、イラつきや不信感が一気に消えていくのを感じた。
彼女の言いかけた言葉にスイ自身が味わった言い知れない恐怖と絶望を思い出させた。
そして、テスが彷徨える経緯もなんとなく分かったような、そんな気持ちになった。
スイはそれ以上の詮索を止めた。
幼い少女が壮絶な体験をして酷く傷付いたことを思うと心が痛かった。
「すまない、聖者の白にも人らしい過去があるんだな」
「聖者の白?」
「髪だよ。女神とお揃いだな。世界から祝福されているんだな」
テスは自分の銀色に輝く髪をつまんでみた。
「おばあちゃんみたいで恥ずかしいです。私にはあなたの夜空のように深い色がとても素敵に見えます」
恥ずかしげもなくニッコリと微笑んだ少女に、スイのほうが照れてしまった。
「それで、聖者の白というのはなんですか?」
“知らんのか!”