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女神の肖像1

 神殿図書館は、女神の神殿の中に設けられている。

 宮殿の最深部、現在建物がある場所より幾分古い地層に埋もれるように建っているという。

 その入り口には厳つい顔をした二体の竜の彫刻がそびえ立ち訪問者を威嚇していた。

 一体は白い竜、恐らく飛鏡をモデルにしたものに違いない。もう一体は黒い竜、神話に登場する黄昏の勇者の騎竜陽翔だろう。


「行こうか」


 スイは、荘厳な神殿を目の当たりにして言い知れぬ緊張感に苛まれ一歩も動けずにいた。

 ただそれはいつものように神聖なものに感じる畏怖の念とは少し異なる。寧ろ逃げたくなるような嫌悪感や寒気のような感覚に近い。


「本当に入っていいんだよな?」


 緊張で肩を強ばらせながら念押すスイ。

 それを見たシンはいつものように半笑いのままゆっくりと振り向いた。


「せっかくここまで来たのに帰るのかい? ダメなら逃げればいいよ」



 シンは口角を更につり上げてニィっと不敵に笑う。

 そして重厚な神殿の扉に右手をかけた。

 扉はその瞬間に半透明の立体映像のようなものに姿を変え、そして自身と相対する訪問者の体を透過させた。


「無理!」


 その様子を見たスイは後退る。どういう仕組みで扉がこんな得体の知れないものにかわるのか、彼の頭は考えることを拒否した。

 ただ、一つわかることがあるとすれば得体の知れない何かの正体は大抵は魔法によるもので、魔力を持たないものに理解出来るようなものではないということだ。

 そしてスイはその魔法が体に合わない体質だった。彼にはどうやったってこの扉を通り抜けられるとは思えなかった。


「クソ、やっと……」


 しかし、思い悩む間もなく立体映像と化した扉が横方向に滑るように移動した。

 中からは嫌みなまでに不敵で美しい見慣れた笑みが現れた。


「特別な力がないと入れないんだな。巫女にでも開けてもらわない限り」


 半透明の幻の扉をシンが内側から開けてくれたのだ。シンはそう言うと、スイを中に招き入れた。

 しかし、スイが一歩踏み込んだ瞬間だった。

 敷地内に入った彼の爪先の部分から感電したかのような痺れが駆け巡り一気に全身の血の気が引いた。

 神殿内の冷たくて無機質な威圧感がスイの心臓を早鐘のように鳴らす。


“何だこれは!”


 言い知れぬ嫌悪感と寒気、そして無音の室内に響く振動のような何かがスイに耳鳴りを起こす。新月の音にも似たその響きーー。


「くっ……」


 それはスイの侵入を拒むように髄まで締め付けるほどの痛みを喚起させた。


「あ、が……」


 そして、咄嗟に吸い込んだ呼気がまるで彼の呼吸器を押し潰すように彼から空気を奪う。

 彼があまりの衝撃にふらつくと、シンが彼の体を支えた。


「あっ、忘れてた」


 シンは何ともないように呟くと懐から小瓶を取り出し、そして蓋を開けるとスイの鼻先で揺らした。

 小瓶からは、甘くほろ苦い香りがフワッとひろがった。

 不意に息が楽になったスイは胸に深くそれを吸い込んむ。すると先ほどまでの嫌な感じが嘘のように消え失せた。

 代わりに全身を蝕む倦怠感だけが重たく貼り付いてくる。


「ここは空気すら生きているんだよ。すごいだろ」


 シンはそういうと、シンシアグラスの香水をスイの頭から振りかけた。

一瞬にして濃厚な甘い香りが鼻の奥をしびれさせる。強烈な刺激にぼんやりと重く苦しく感じる鼻腔の熱がひくころには、それまで暗がりに霞んでいたフロアは霧が晴れるように明るく照らし出されていた。


「これで良し……っと」


 それは、見たこともないような形の壮麗な建物だった。良く見れば宮殿の外の塀とよく似た彫刻がそこかしこに施されている。その一部は朽ちて今にも崩れそうだ。女神の時代の遺物、スイの頭にそんな言葉がうかんできた。

 上部の宮殿は雨風からこの神殿を守るために造られたのかもしれない。


 しかし、スイはそんな立派な建物よりも次の瞬間目に飛び込んできた光景に絶句する。


「なんだこれ……」


 信じられないものがそこには広がっていた。

 淡い淡い紫色に輝く白銀の髪。透き通る玉のように滑らかな白い肌。ピジョンブラッドの如く蛍光色に輝く深緋の宝石を嵌め込んだ瞳。


「これは……」


 スイの正面には大きな壁画、そしてその中心にはーー


「ア……、いや違う女神さま?」


 伝説をそのまま写したような美しい女性の姿が浮かび上がった。

 しかし、彼が驚いたのは妖艶に佇む女神そのものではなかった。


「そうだ。でも、似てるだろ?」


シンがスイに言葉をかける。


「ああ、この顔。この瞳。この髪」


 見たことがある。スイはそう言いかけて唾を飲んだ。

 その懐かしい面影に言い知れぬ嫌悪感が全身を苛む。額や頬を伝う生暖かい汗がひんやりとした神殿内の空気に冷やされ冷たくなって背を伝っていく。それが何か恐ろしいモノに皮膚を舐められているような錯覚を起こし、全身の毛穴がきゅっと縮み上がった。


「しっかり見るんだ。隅々までだよ。お前が知りたかったものがあるかもしれないよ」


 シンはそういうと、立ち尽くすスイを置いて奥の闇に消えた。


「アン……ナ?」


 壁画の主役の顔はいつかスイが夢に見た、美しい人のそれと瓜二つだった。

 スイはふらつきながらも壁面に近寄った。創世記の物語を描いたと思われる壮大な壁画に。


「うっ……」


 昨夜の怪我が先ほど彼の呼吸を奪った衝撃で悪化したらしく妙にキリキリと痛む。

 スイは胸元をキュッと押さえて壁画の下の壁によりかかると再び女神の肖像を見上げた。

 その顔は、見れば見るほどにシンの姉アンナにそっくりだった。普段、人の顔を覚えないスイゆえの勘違いなどではない。このヒトの顔を彼が忘れるわけがないのだから。


「アンナ……」


 スイは深い溜め息を漏らした。

 確かにこの顔はアンナに似ている。

 けれど、その瞳はいつか彼を窮地に陥れたあの魔女のそれと輝きが酷似していた。

 そしてこの淡い紫色の光。この光は飛鏡が放っていた光とよく似ている。もう一つ言えば紫色の嵐が放つ波動にも通じる。そしてもう一つ。

 そこまで思い至ってスイはその考えを振り切るように一度目を閉じた。

 再び目を開けて中央の女神の肖像から目をむけると、そこには神話の世界の偉人たちが勢ぞろいしていた。

 女神に祈りを捧げるのは、神に王と認められた初代女王シンシア・アイゼル。

 白銀の髪を振り乱して大きな槍をかざす黎明の勇者。

 力なく床に伏す黒髪の女性。この女性が黒髪だったというテスの証言が確かならば彼女は黒騎士の妹イーディスに違いない。

 そうすると、その隣で気高く佇む王冠を携えた女性はイーディスの妹、大国の王妃だったとされるフィ―ビ姫だろうか。


 そして女神と対峙するように描かれた黄金の法衣を纏う人物が恐らく魔王。一際大きく描かれたその人物の顔は見るも無惨に削ぎ落とされている。後の世の人々がそれを深く憎んだ証だ。


 そしてもうひとり。魔王に挑むが止めをさすことを拒み逆に消されてしまった魔王の甥。黒竜騎士イアン。彼は赤く輝く大剣を片手に持ったまま魔王に弾き飛ばされるような姿で描かれていた。その表情はあまりに高い神殿の天井付近に描かれているため、スイの位置からは伺い知ることは出来ない。しかし、その姿はあまりにも哀れだった。

 スイは一番近くにあった黎明の勇者の肖像をじっと見つめた。偉大な英雄の姿はシンの姿とだぶって見える。それもそのはず、その人物が手にしている槍はシンの携える槍と同じ勇者のみが扱えるという大きな槍なのだから。

 創世神話すらこの大槍を持つシンが正真正銘の勇者なのだと物語る。


 スイは自嘲的な笑みを浮かべていた。

 退魔の力が自分にしかない特異な能力だと知ったときこの王家の秘宝、黎明の槍に認められる勇者はきっと自分だろうと自負していた。

 それはスイの力を目の当たりにした全ての人がそう思ったであろう。

 しかし槍は自分を拒み、シンを選んだ。

 槍に認められたシンは神殿の警護にあたる神殿騎士に任命された。それまでその職に就くとされ身分を保留扱いされていたスイは遠征を生業とする退魔総帥に任命された。魔物の防波堤となるべく軍部の最高位である総帥の地位でしばりつけられた人柱だ。

 シンとの間には悔しい思い出ばかりだ。

 壁に寄りかかっていたスイは、そこにも細かな彫刻が施されていることに気づき慌てて離れる。


「これは?」


 そこには細かな彫刻で刻み込まれた碑文があった。学薄いスイに古代の文字を解するのは容易なことではなかった。しかし、そんなスイにもそれが何なのか直ぐにわかった。


「失われた黎明のうた。その元になった暁の凱歌と黄昏の挽歌でごさいます」


 立ち尽くすスイの後ろから静かな声で語りかけてきたのは、質素な法衣に身を包んだ神官のようだった。

しかし、ゆっくりと姿を現したその女性の肩から零れ落ちた白銀色の髪にスイは姿勢をただす。

 女性は恭しくスイの前で一礼すると、穏やかな笑みを浮かべて彼に視線をあわせてきた。

白銀色の髪、それは王族に現れる高貴な血の証。彼の目には、神殿巫女を務めるアリシア王女の柔らかな笑みがうつっていた。


 第一王女アリシアはクレアの姉で女王が倒れた直後から神殿につめて祈りを捧げている。


「この虚空の成り立ち、そしてやがて訪れる破滅の時を示した碑文です」


 巫女姫は、疲労のためか、はたまた地下での生活の影響か、その顔は青白くやつれ王族の誇りともいえる白銀の髪も殆ど色が抜けて白髪になりつつあった。そしてただ、緑色の瞳だけが嫌に強い光をはなっていた。


「アリシアさま。お初にお目に……」


「お会いしたいと思っていました。破魔の法力を宿した子よ。アリサと呼んで頂けると嬉しいわ」


ふと視線を逸らしたアリサの瞳が青く光る。


「お前ハ違ウのか」


「え……」


 スイは自分の耳を疑った。アリサの声の裏に不気味な声が重なって聞こえる。

 スイはアリサを凝視する。緑色だった瞳は紺青に染まり、鮮烈な光で満ちている。この瞳の妖しく魅惑的な輝きには覚えがあった。悪意に取りつかれて狂っていたというあの時の飛鏡の眼光そのものだ。


「アリシア様、アリサ!」


 彼が叫ぶとアリサの影が不自然に揺れた。

 それを見た彼はアリサに体当たりした。アリサの体は軽々とスイに押し倒された。そしてその反動でなんと彼女の影がその足元から紙でも剥がすように容易に剥がれた。


読んでくださってありがとうございます。

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