公務員的日常
久しぶりの更新です。
女神生誕祭翌日、街は祭の片付けで慌ただしく人が動いていた。
一方宮中はそれとはまた別の異様な雰囲気に包まれていた。
朝、一番にスイが出勤したとの噂を聞きつけた官僚たちが彼への面会を求めて我先にと動きだしたのだ。
彼が統括する退魔府の設置運営について国から莫大な予算が下りていた。しかしスイが遠征や討伐といった方面に重きを置き、予算配分や事務官任命、専属部隊の編成の責務を怠ったために各方面からの非難の声が寄せられていた。
「閣下! 是非ともお話しを」
そのため常に不在の責任者を求めた官僚たちがこれを機に一気に押し寄せたのだ。自称唯一の退魔府職員はその対応に追われてんてこ舞い。
一方のスイは執務室に閉じ籠って黙々と書類整理に勤しんでいた。
「閣下!」
「ん?」
疲れきった職員は執務室内に逃げるように入り込み、スイに泣きつく。
「もう捌ききれません」
しかし、スイは顔色一つ変えずに仕事を続ける。
「放置しろ」
「閣下!」
責めるような呼びかけにスイは重い腰を上げた。
しかしそのスイの姿を見た職員は目を剥いた。そしてもう一度上官を呼び止めた。
スイは乱れた髪を更に乱しながら振り向く。
「何だ、職員1」
「職員1?」
「名前は知らん! 故にお前は職員1」
職員1は唖然とした。流石に名前を覚えられていないとは思っていなかったのだろう。
「で、何だ」
「その格好は……」
そう言われてスイは自分の服を見下ろした。服装はいつもと代わり映えしない。砂や魔物の体液で薄汚れ本来の色すら分からないシャツ。ボロボロになった茶色いレザージャケット。同系色のワークパンツはところどころ擦りきれて穴があいている。一般兵仕様のブーツはシワシワになり表面の加工が禿げ、すでに別物のようだ。
「ん? 普段着だがどう……」
「お前は乞食か!」
答えようとするスイの言葉を遮る鋭い声に彼はたじろぎ口を噤む。
「だからケチって言われるんだよ」
職員1の口から出た悪態にスイは言葉を失った。
すると職員1はその沈黙の間に我に荷返り慌てて自分の口を押さえた。激務と何かにつけて不精な上司に相当鬱憤がたまっていたのだろう。
しかし、軍人として直属の上官に食ってかかっるというのは非常にまずい。軍規にも厳しい罰則が科せられると記載されている。それを思い出してか職員1の表情はまるで血の気が引いたかのように一気に青ざめた。
「だから今朝は職務質問攻めだったのか。エンブレムくらい持っておくべきだったな」
しかし、スイにはちょっとした野次程度にしか聞こえていなかった。元々身元不明の孤児だった上に今でも身分は低いと彼は思い込んでいる。幼いころから生地に穴が空いたり変色するまで洋服を着古すことは彼にとって極当たり前のことだった。
それを見た中流階級以上の人々に蔑まれることもごく日常。ゆえに特に気にするようなことではないというのがスイの認識だ。
職員1はケロッしているスイを見て胸を撫で下ろす。
「ところで正装はどうなさいました」
「昨夜ちょっとな。臭いがついて……」
職員1は昨夜のサンドサッカーとの一戦を思い出し顔をしかめた。
「かなりの運動量でしたし汗臭くなりましたよね? あのプシュっと出たグロテスクなのもかなり臭……」
そして、何か汚いものでも見るように眉をひそめてスイの顔を伺った。
「お前、失礼だな」
「すみません」
職員1は再び慌てて口元を押さえた。
「正装は洗濯を頼んだが香水の臭いがとれなくてな。暫くは着られないだろう。新しいのを手配しておいてくれ」
「え! 閣下! また女性とお戯れに? 姫様がお気の毒です。お止めください」
職員1の発言にスイは眉間をぎゅっと押さえた。そして、気持ちを落ち着けるように深く深呼吸して、一度椅子に腰かけた。それから、なるべく冷静に穏やかな声をつくり話し始めた。
「アイゼル議員は今泉卿とご婚約なさった。俺とは縁のないお方だ」
スイは心の中で何度も自分は冷静沈着なのだと唱えた。まるで言い聞かせるように。
「それからな今はとにかく忙しいんだ。眠る暇すら惜しい。だからな……女遊びする暇なんてあるか!」
しかし、この短い台詞を言う短い間に彼はヒートアップ。最後の一言で怒鳴ってしまった。職員1はその声にビクッ身を竦める。そして申し訳なさそうに軽く頭をさげて謝罪した。
「仕事をしろ!」
スイは勢い良く立ち上がると、ヒィっと小さく悲鳴をあげて蹲った。昨夜の怪我が痛むのだろう。さすがのスイでも一晩では治らなかったようだ。
彼はよろよろと体勢を直すと執務室を出た。
執務室の扉の外には、驚くほど大勢の官僚たちが列を成しいた。皆一様に退魔府の対応を待っているのだ。
そのあまりの人数を目の前にしたスイは尻込みしそうになる。しかしそうも言ってはいられない。スイは姿勢を正した。
「皆さん、このままでは収拾がつかないので一度退散願いたい」
しかし、スイの話を聞くものなど誰も居ない。
「お前は誰だ」
「一般人に指示される筋合いはない」
むしろ黒い髪の小汚ない男に冷ややかな目が向けられている。
「閣下は我々をいつまで待たせるんだ」
それどころか腹を立てた官僚たちは我先にと執務室内に踏み込もうと暴れだした。なだれ込む官僚たちに非力なスイは呆気なく払い除けられ床に蹲った。
「スイさま!」
すると、遠巻きに様子を見ていたテスが物凄い速さで駆けつけた。人混みで前に進めなかったが、ずっと近くに居たようだ。
そしてあろうことかいつも携帯している朱塗りの装飾棒で官僚たちを次々と打ち倒していった。その軽やかな棒捌きに図体が大きいだけの男たちは為す術もなく潰える。
「無礼者!」
テスは蹴散らした官僚たちにそう一喝するとスイに駆け寄った。
スイは胸の鼓動に合わせるようにズキズキと押し寄せる痛みに顔を歪ませた。しかし、いつまでも踞っている訳にもいかない。彼はテスの手を借りて立ち上がった。
悪態をつきながら床にひれ伏す無礼者たち。
しかし彼らは正面に立ちはだかる少女の姿を目の当たりにして固まった。神々しい銀髪を携えた少女の表情は怒気に満ちている。彼等はそのまま頭を垂れた。
「スイさま、お怪我はないですか?」
スイは大丈夫だという趣旨の返事をした。するとテスは彼のほうを向いて柔らかい笑みを浮かべた。それから、挨拶をするように深々頭を下げると
「総帥閣下、ご機嫌麗しゅう……ってね、私色々出来るでしょう?」
彼女は嬉しそうにスキップしながらスイの後ろにつき、彼の言葉を待った。
官僚たちは彼女の言葉に目を白黒させている。未だ少女の攻撃から立ち直れない者、状況が掴めていない者、我に返ったものの彼女の言葉が信じられない者など状況は様々だが皆立ち上がることも言葉を発することもなく頭を垂れたまま成り行きをうかがっている。
ゴツンっと鈍い音に今の今まで頭を垂れていた官僚たちが前方を覗き見る。すると神々しく怒気を放っていた少女はあどけなさの残るその顔を苦痛に歪ませていた。その白い手はふわふわした銀髪頭の頂上を押さえている。
「お前はアホか! 怪我でもさせたらどうする」
テスは、頭を押さえたままシュンと切なげに下を向いた。かなりの凹みっぷりだ。誉めて貰えると思っていたらしい。おそらく本人としては最大限に手加減したつもりなのだろう。
スイは大きな溜め息をつき頭を抱えた。どうやらこの小娘はキレるポイントが人とはズレているうえに、相手を見て力の加減をするということを知らないようだ。
しかしその直後、スイは何かを思い出したかのように明るい顔をすると様子を見ていた官僚たち押し退けて一度執務室内に入った。そしてすぐに何やら書類をもって再び表に現れた。
「えっと、兵士や騎士達の訓練場管轄の事務官か教官はいるか?」
「はっ!」
スイはそう言って役人を呼び寄せた。そして手に持っていた書類を押しつけるようにその男に渡した。
「これ、辞令と退魔府からの指示令状」
「え?」
豆鉄砲をくらった鳩とでもいうようにポカンとした役人は状況が掴めずに立ち尽くす。
スイは官僚の一人に書類を託すと、テスにも一枚の紙を手渡した。
「これより、テス・スーウェンを退魔府臨時指揮官に任命し、退魔府専属部隊編成に係る実技試験の試験官として即時人員を確保を命ずる」
スイが高らかにテスの着任を宣言した。
「なお、夕刻までに30名だ。試験方法はスーウェン女史に一任する。また任務の完了を以てその職を解任することとする」
スイはそう言うとテスを官僚たちに預けた。
官僚たちは意気揚々と少女をエスコートする。しかし当の少女は何やら腑に落ちない様子だ。チラチラと何度も振り返っては物言いたげな口を一文字に結んでいる。眉は不安げに八の字に寄ったまま。
「終わったら真っ直ぐ帰ってこい。手加減してやるんだぞ。力加減はさっきの半分以下。魔法の使用は禁止だ」
スイの言葉を聞いてテスは諦めたように官僚たちを引き連れて歩き出した。
魔物相手に戦える人員が欲しいならば、テスを試験官にするのは正に名案だった。スイは仕事が一つ片付き安堵する。
スイは官僚たちに各自の管轄へ一度帰るように促した。
それから再び執務室内に戻ると先ほどより細かく文字が書かれた書類を数枚手に取った。
そして、それを職員1に託すと、活版室で各省庁に配れるだけ印刷し、配るように命じた。
書類は各管轄の人員から退魔府付きの事務官を出向させるといった旨が記されている。連携した職務遂行を試みることが目的だ。また退魔府専属事務官の推薦に関するものもある。どちらも大きなお金が動くことを暗に示唆した内容だ。
予算の使途や機関の存在意義が確率すれば、各省庁の不満は一時的に解消されるはず、スイはそう考えたのだ。
専門知識をもった職員の育成も省ける。各管轄の事情を知るものがいれば連携作業もスムーズに進むに違いない。
「明日の夜には遠征に出るから急いでくれ」
すぐさま職員1はその命をうけて、活版室へと向かった。
職員1が出ていき、執務室内に一人残されたスイはクワイアトの組織表を眺めていた。そして、その薄茶げた紙を指でなぞりながら難しい顔をして唸る。
「足りない」
スイは執務室内を見渡した。そして、何かを噛み締めるように頷くと立ち上がった。
「よし!」
スイは短く掛け声を上げると執務室を出た。
石造りの城は灼熱の砂地の昼間でも室内をひんやりと冷やしてくれる。やや薄暗いその建物の廊下をスイは足早に歩いていく。その姿は人々の奇異の目の的だ。そんなことはいつものことでスイはもう慣れっこになっていた。
しかし、今日は昨夜のそれとは少し違っていた。それはまるで故郷の町で浴びるような冷ややかな侮蔑的な、それでもって嫌悪と恐怖を滲ませるような嫌な視線。
職員1が言うように服装が良くなかったのだろうか。スイは居心地悪そうに鼻先で笑った。
宮中の庶務を取り仕切る部署に到着したスイは入口近くにいた職員の一人に声をかけた。するとその職員はスイの姿を見て顔面蒼白になり大声で叫んだ。
「侵入者だ!」
スイはあまりにも突然の謂われなき言葉に仰け反った。
その叫びをききつけ警備兵が直ぐ様駆けつけ、スイはあっという間に捕らえられてしまった。そしてそのまま弁解することも許されず兵士たちに連行されて地下の牢に入れられてしまった。
兵たちによれば身元を保証してくれる誰かにサインさえ貰えばすぐに保釈されるらしい。しかしそれを聞いてスイは頭を抱えた。
“職員1、アイツの名前なんだっけ?”
ふと浮かんだ顔には名前が無い。名前がわからなければ呼びようがない。
“あ、テスがいたじゃないか”
もう一人の身元保証人の名前を思いついた。しかし城に来てたかが2日ほどの彼女が身元保証人になるだけの信頼を得られるだろうか?
“クレ……”
スイは考えるのを止めた。ここは、最初に思いついた人物を何とか呼んでみようと。
「退魔府の職員を呼んで貰えたら」
スイは自信なさげに警備兵に言うと兵士は溜め息をついた。
「よりによってクワイアトで最も忙しい奴を指名するか?」
警備兵は続けた。
退魔府の総帥が常に不在のため、寝る間もないくらいに奔走しているらしい。
「たまたま総帥が任命された時に近くに居たってだけで、あんなに働かされて……。可哀想にきっと過労で倒れるぜ。退魔総帥ってやつは鬼だな」
遠回しに悪口を言われているこの状況。スイの正体が明らかになった時、この兵士はどんな顔をするのだろう。スイは苦笑いをしながら、ゆっくりと冷たい石の床に腰を下ろした。
この牢に入れられるのも、もう3回目。警備兵の中にはもう顔を覚えた者がいても良さそうなものなのに未だこのあり様だ。退魔府の知名度はかなり高いにも関わらずその長たる自分の存在はその程度のものかと肩を落とす。
しばらくして退魔府に遣いを送ったと見張りの交代に来た兵士が教えてくれた。だが職員1がつかまる見込みは薄いようだった。
スイは左脇の床を人差し指でしきりに小突く。刻一刻と過ぎてゆく時間にかなり苛立ちが募る。
仕事はまだまだ残っている。さっさと片付けて早く城を出たい。