ヒトのカタチ1
更新が非常に遅くなってすみません。
「まさか蹴り落とされるなんて」
スイはふらつく体を押して歩きだした。おぼつかない足取りで彼が向かった先は、退魔府の執務室。
「ホント、久しぶりに痛かったな」
彼は自嘲するように呟いた。
2階から落ちた時に打った背中は無傷だった。しかしクレアに蹴られた腹近くの肋骨にはヒビが入っているに違いない。鈍い痛みと熱感がそこからじんわりと広がっている。
「オレ、人としてどうよ。落下で怪我はしないのに、女に軽く蹴られて骨折って。可笑しいだろ」
土で汚れた服を手で軽く払うと、その振動で胸に鋭く痛みが走る。
人間の攻撃にはとことん無防備な自分の体。この際、情けないとか言っている場合ではない。それ以前に恐ろしい。
“自分はヒトなのか?”
再び沸き上がる不安。それは失恋の痛手を負って弱った心にズッシリとのし掛かる。
スイはよろめきながらも歩みを進めていく。歩く度に足から伝わる僅かな振動が怪我を疼かせる。
すると直ぐ側で嫌な人影がちらついた。丁度建物の角度からしてクレアの部屋が見えるか見えないかの位置。彼にはソレが何者か察しがついていた。今会うには非常に気まずい人物。
スイはソレに遭遇したくない一心で精一杯歩行速度を上げた。
「おい」
執務室手前まで何とか歩いてきたスイを呼び止めた声。彼はビクっと一瞬足を止めた。しかし、その声の主から逃げるように再び歩き出した。
クレアの香水と同じ香りがスイの全身から歩く度にふわりと辺りに漂う。捕まれば言い逃れは難しい。
「いい度胸だな」
「見ていたのか? それなら顔をも見たくないだろ? 帰ってくれ」
スイはため息をつくと、相手を見ないまま淡々とした口調で返した。話しながらも追い付かれないように歩みを進める。
「フラれたか」
「ほっとけ」
勘にさわる奴。苛つきながらも彼は挑発にはのらない。
「おめでたい」
「言葉違うだろう!」
だが、あまりに突拍子もない言葉に、スイは後ろを振り返ってシンを睨み付けた。
「違う? いいや正しい。第一にあの娘はお前にそぐわないだろ」
「オレが異端者だからか」
想定内の反応にスイは肩を落とす。その偏見に満ちた思想がシンからから出たことがショックだった。
しかし、落胆した彼の呟きに、シンは首を横に振って否定の意を示した。
「お前は尊い。穢れているはあの女」
「汚っ? バカを言うな。彼女が不貞を何て考えているなら違うぞ。オレは拒まれたんだ」
スイは力なく俯いた。
自分がクレアの部屋に侵入したせいで、彼女が悪く言われる。それが堪らなく悔しかった。
そして、忍び込んだにも関わらず、ろくに会話も出来なかった。それなのにあんな行動に出た自分も信じられなかった。拒まれて当然だと思うと至極情けなかった。
「お前はフラれた。それだけで十分だ。その背後に興味はない」
「お前ムカつくな」
スイが顔を歪めていかにも不機嫌な声でシンを罵る。シンは軽く鼻先で笑った。
嫌味な態度も何故か絵になるシン。その端正な顔立ちが、再び顔を出した細い月にぼんやりと照らしだされる。
そこに現れたのはうっすらと笑みの浮かんだ顔。それは到底婚約者の部屋に忍び込んだならず者に向けられるようなものではない。むしろ幼いものを愛でるような優しさを含んでいた。
「間男が言うな」
「どっちがだよ」
「そうだな、間違いなくどっちもだろう」
スイはいつも通りの仏頂面だった。しかし、それを見つめるシンは更に口角をつり上げて楽しげに笑った。
「あのさ、クレアのこと頼む。本気で」
「断る」
「え?」
「お前に言われるような話ではない」
シンはマントを翻し方向転換した。しかし、何か思い出し、一歩を踏み出す前に首だけをスイのほうグイっと向けた。
「そういえば、最近メイには会ったか?」
「メイ?」
スイの反応にシンは苦虫を噛み潰したような顔をして小さく溜め息をついた。
「メイ、施設にいた。メイファ」
「メイ……ファ?」
スイはシンの口にした名前を記憶の中から探す。しかし該当する顔がない。
「名前苦手なんだよ」
スイは髪を苛つき紛れに軽く乱した。
シンはその様子を見ると、もういいとばかりに再び向き直って歩き去ってしまった。
スイの頭にはボサボサに乱れた髪の毛と、答えの浮かばない疑問だけが残った。
「だから何なんだよ!」
スイが大声でシンの背中に喚く。
するとシンは振り向かずそのままの状態で
「何でもあるし、何でもない! 以上」
と叫んだ。
相変わらず意味がわからない。
頭がよく機転のきくシン。勿論、知識も人並み以上に備えている。それ故阿呆のスイには推し測れない何かがあるということだろうか。もしくはただスイを困らせたいだけだろうか。とにかくシンの考えていることがスイには全く理解出来ない。シンは「掴み所のない」そういう表現が一番しっくりくる人物だった。
幼馴染みとは言っても、彼らが出会ったのはスイが凡そ10歳の時。その時シンはすでに15歳だった。旧友といったほうが正いかもしれない。シンとはもう10年以上の付き合いになる。だが、そのスイすら、シンの真意をうかがい知ることはほぼ不可能だった。
そして、何かにつけて一緒に居ると不快だった。
使い分けの上手いシンは公の場所では真面目で賢く社交的に振る舞う。その落差に体がムズムズするような感覚に襲われたスイは何度ツッコミをいれそうになったか。
考えるだけで自然と歯がギリギリと音を立てる。
“アイツと居ると歯が欠けそうだ。”
スイは長く深い溜め息をついた。そしてその空圧に痛む胸を押さえて、また執務室のほうへと歩きだした。やはり肋骨をやられているようだ。
思った以上の重症にスイは舌打ちをして悔しがる。
明日の夜の出発までに少しは回復するだろうか。怪我が長引けば任務にひびく。そうはいっても強力な回復力を持つスイなら、明後日には治るのはず。
しかしスイはその僅か数日も待ちたくなかった。だからこそ今夜は徹夜で仕事を片付け、明日の昼間に仮眠をとって、夜には出発といった予定を立てていた。
そうすれば、帰るまでの数ヶ月クレアとは顔を合わせずに済む。その間に気持ちの整理もつくだろう。もう未練がましくすがりたくなかった。しかし、彼女の顔を見たらそうせずにいられる自信はない。
スイが早々に旅立つ。それがお互いとって一番良い選択に思えた。
別サイトから修正ののち転載中です。
最新話の更新を優先させているため、また少し合間があくかもしれません。