偽りの花
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サンドサッカーを倒したスイは城壁の周りをゆっくりと歩いて城門に向かう。
先ほどスイが助けた人物は、彼に礼の言葉を投げかけていれ。スイが城壁から飛び降りた時につかったロープで吊り上げられて宙吊りになりながら。それなりにくるしそうだ。その人物の声はひとぐ掠れていた。どれほど必死に助けを求め叫んだのだろう。
スイは片手を挙げてその声に応えると振り返る様子もなくその場を歩き去った。
会場からは第三幕の黎明の勇者を讃える歌が漏れ聞こえてくる。
「この歌は嫌だな」
黎明の勇者とは女神の父違いの弟にして、初代女王シンシア・アイゼルの兄と言われているクワイアトの英雄だった。 歴史上宗教上、限りなく重要な人物である。それにも関わらず、他の偉人達とは異なり名前が残されていない謎の英雄だった。
歴史書にも教典にもその偉業のみが記され、詳しい経歴も人となりも何も記されていない。近年その事を引き合いに、黎明の勇者は存在していなかったという説や女神や黒竜騎士のどちらかと同一視されることも多い。
謎めいた英雄には、スイにとって今一番聞きたくない愛称がつけられていた。勇者の妹たる女王陛下の名前よりつけられたその愛称はーー白の英雄王シン。
かの英雄と同じ愛称を持った幼なじみの顔が頭に浮かぶ。
この祭のシーズンのたびに比較され、そしてスイが罵られた。いつも愛する女性の心を奪われた。そして、今も彼の愛するクレアと結婚しようとしている。どこまでもスイを苦しめる存在、今泉真。
災害孤児でありながら貴族の遺児として莫大な遺産を相続したシン。対して身寄りのないスイ。勿論、境遇だけではなく周囲の態度も待遇も違っていた。
シンを前にした時のこの劣等感と敗北感。それがスイに喚起させるその感情は、いつかテスに抱いたのと同じ苛立ちだった。
「ああ、だりぃ」
スイは城門から少し離れた砂地で立ち止まり深いため息をついた。
スイがサンドサッカーと対峙していた頃……
「おっ!あのこは」
祭祀の会場では何かを発見したシンが目を輝かせていた。
「殿下、もう一方親しい友人を見つけましたのでご紹介いたします」
シンはそう言ってクレアの手を取り軽く会釈をすると席を離れた。
「メイファ!君も来ていたのか」
「……」
そう言って話し掛けられた少女は目の前のお菓子に夢中なのか全く反応しなかった。その顔や手にはクリームやチョコレートがベタベタについている。
「メイ、無視とはヒドイじゃないか」
シンは少女の肩に触れて彼女を振り向かせた。少女は少し驚きながら振り向いた。そして
「あ、マコちゃん」
とシンに言った。
振り向いたその少女の瞳は血の色の暗い赤。
「え!!」
シンは一瞬固まった。そして確かめるようにもう一度知り合いの少女の名前で呼び掛ける。
「えっと……メイ?」
混乱する頭の中でシンは懸命に情報を整理する。聞き覚えのある呼び名に見覚えのある顔。しかし、その呼び名はその顔の少女から出てくるはずのないものだった。
「あっ……」
少女は何やら気まずそうに口もとを押さえると、小さく咳払いをした。それから一度目を伏せると再びシンを見据え、何事もなかったようににっこりと微笑んだ。
「お初に御目にかかります。テス・スーウェンと申します。このたびはご婚約おめでとうございます」
そして、深々とお辞儀をした。
シンはあまりの違和感に我慢が出来なくなった。素早く手を伸ばすとテスのフワフワした銀髪をむんずと掴んだ。
「いた痛い。痛い」
そして、力の限り引っ張った。
“カツラだ絶対カツラに違いない”
「痛い。やめて誰か!スイ様助けて!」
テスは痛みに顔を歪めてスイに助けを求めた。少女の髪はピンと張るだけでとれない。
“カツラではない?”
シンは銀髪を無造作に掴んでいた手を離した。
そして、少し屈んでテスの顔をまじまじと覗き込む。黒く陰る赤い瞳、色素のない白銀の髪に抜けるように白い肌。どれもシンの知るメイという少女のそれとは違っていた。
しかし、その顔立ちは見れば見るほどメイにそっくりだった。
「貴様何者……」
シンは険しい表情でテスを睨み付けた。
テスは何も言わずに柔らかくにっこり微笑む。そしてシンの頭にポンポンと軽く触れた。まるで幼子を諭すような優しいリズム。
「な……」
テスの思いがけない行動に驚いて身を竦めた。しかしその一方で彼女のひんやりとした小さな手に懐かしさも感じていた。
~マコちゃん~
“この感じは……”
懐かしい面影が脳裏に浮かぶ。その温かい感覚に胸が震える。
「アンナ……」
シンの口から漏れた名は彼の姉のものだった。
テスはその呟きを聞いて小さくため息をつく。
「私がメイさんとアンナさんって方に似ているのですか? その方々はマ……シン様にとって大切な方でしたのね。おなくなりに?」
「なっ! 生きている。死んじゃ……いないさ。きっと……」
シンは消えそうな声で自信なさげに反応すると俯いた。
その様子をじっとみていたテスは少し悲しそうな表情を浮かべた。それからゆっくりと表情を崩して
「すみません」
と言って見せた。
シンは顔をあげるとテスを振り返ることなく席に戻った。
嫌な感じがした。
シンの知り合いの少女メイファと同じ顔立ちをして、姉のアンナの雰囲気を纏った、女神と同じ容姿のテス。
急に疎遠になった二人が心配になった。
とはいえ、東の富豪に引き取られたメイファはともかく、行方不明の姉の消息は未だにつかめないまま。安否を確かめようと連絡を試みることすら出来ない。かれこれ10年は経つ。アンナにおいてはテスが言うような結果を覚悟しなければならない。
シンの心に僅かに芽生え始めていた諦めを他人に語られるのは痛かった。
そんなやり取りをするうちに祭祀の終わった。
会場にはたくさんの料理が運びこまれている。いつのまにか宴が始まっていたようだ。
人々は思い思いに食事をしたりダンスをしたり歓談したりと宴を満喫している。
シンは席に戻ると何もなかったようにクレアに人違いだったと告げた。そして気持ちを落ち着けるためにグラスに注がれていた赤い酒を一気に流しこんだ。酒を好まないシンもこの時ばかりはその力に救われる思いがした。
それからしばらく彼らは食事を楽しんだ。デザートが運ばれる少し前に次はクレアが席を立った。
「失礼とは思いますが、明日も視察があるので私は先に休ませて頂きますね」
そう言って軽く会釈すると会場を後にした。
外で任務を終えたスイは微かに聞こえてくる城内の喧騒に耳を澄ませていた。すると間もなく祭祀の音楽が止んで、再び軽快な宴の音楽が始まる。
それを聞くとスイは門の前まで歩みを進めた。けれど門の手前でスイは足を止めてため息をついた。それから疲れた様子で門番を呼びよせた。
今は通行証もなければ、身元を保証してくれそうな人間も祭祀で出払っている。先ほどのようなやり取りになれば、最悪朝まで通れない。
こういった砂地の昼間は信じられないくらいの暑さになるにも関わらず、太陽が沈むと凍えるほど寒い。軽装で長時間待たされればいくら回復力に長けたスイでも全く無事というわけにはいかない。こんなところで正装で待たされるなんて……。どうやら本当に厄日だったとスイは再び深いため息をついた。
「ブラックアイズ閣下。お疲れ様でした」
ところが、思いの外アッサリと通過を許されたスイは拍子抜けする。さすがにあれだけ暴れたなら当然連絡が行き届くはずだと一人で納得していた。しかし話を聞けば実は先ほどの出動要請自体が守衛たちからだったようだ。
この一件で是非顔を覚えてもらいたい。スイは心底そう思った。
門と城壁内の回廊を抜けたスイは祭祀の会場には戻らずに、真っ直ぐに宮殿内にある退魔府の執務室へと向かう。
祭祀が終わったとなれば会場に戻る理由などなかった。
スイが思いがけず上り詰めた地位は紛いなりにも軍人としては最高位にあたる総帥。もうお偉いさんたちにへつらってまで出世を目論む必要がないのだ。故に今夜のような社交の場は煩わしい以外なにものでもなかった。
しかし、音楽は嫌いではない。漏れ聞こえてくる軽快な宴の音楽は殺戮に荒んだ気持ちを癒してくれるようで、彼は耳をすませた。
すると、その音楽に混じってヒールのある靴独特の足音が響く。聞き覚えのあるそのリズムに気付いたスイは頭上を見上げる。
すると宮殿の2階の回廊に銀髪のカツラを手に持った女性が見えた。
彼女は男性と見間違えられそうなくらい短く切り揃えられた金色の髪を手で直しながら颯爽と歩いている。
「クレア」
こんな髪型をしている女性は彼女くらいしかいなかった。身なりや礼儀について王宮は必要以上に保守的なのだから。
クレアはスイの声に足を止める。しかし、振り返って彼の姿を確認すると走り出した。
「クレア!」
スイはその後を追って駆け出した。
聞きたいことがいっぱいある。話したいこともある。謝りたいことも、そして何よりも彼女に伝えたい言葉があった。
「待ってくれ」
スイがいくら呼び止めてもクレアは振り向きもせずに逃げ続けた。
直線にすると短く見える距離。ところがスイは1階でクレアは2階。彼が階段のある廊下を周りこまなければクレアには追い付けない。
どんどん開く二人の距離に痺れをきらしたスイは柱に手を掛けるとヒョイっと壁を蹴って上階に跳び移った。
ドサッという音にクレアは振り向いた。すると先ほどまで下階にいたはずのスイが遠方ではあるが同じフロアにいる。それに驚いた彼女は再び全速力で走り出した。
スイも逃がすまいと追う。しかし紙一重でクレアは自室に籠ってしまった。ご丁寧に扉には鍵。更にどうやって呼び寄せたのか近衛兵が扉を守りにやって来た。
スイは仕方なくその場は引くことにした。
「なんなのよ」
クレアは息苦しさに美しい顔を歪めながらボソッとこぼした。
しかし、凄い形相で追いかけてきたスイの表情を思い出すとだんだんと可笑しくなってきて吹き出した。
「スイってば、フフフ。あんなに鼻広げてスッゴい顔だった……ふっ」
それから短く息を吐くと何かを噛み締めるように唇を結んだ。彼女からは僅かに鼻をすする音が漏れた。
「追いかけないでよ」
クレアは再び短く息を吐くと窓から外にいた近衛兵に扉の警備を頼んだ。
彼女は直ぐに窓辺から遠ざかると女神の扮装を脱ぎ捨てナイトドレスに着替えた。そして、一息つくと
「もう、行ったわよね。あの人」
と扉にもたれ掛かって小さく呟く。その瞳は哀の色で輝きをすっかり失い暗くくすんでいた。
「スイ……」
彼の名を呼んで深いため息をつく。勿論応えは……
「クレア!」
返って来るはずのないその声にクレアは、ビクッと肩を竦める。そして伏し目がちに扉を見つめていた視線を声の方向にうつした。
そこには肩で息をするスイの姿があった。
「クレア!」
バルコニーを器用に伝って部屋に侵入したのだろう。彼はクレアの姿を捉えると情けなく表情を崩した。そして、すかさず彼女との間を詰めると、その腕を引き寄せ抱きしめた。
「俺を選べよ」
掠れた声で耳元に唇をよせて囁くスイ。その胸をクレアは目一杯の力で押し退ける。
「今更なんなの。触らないで。人を呼ぶわよ」
両手を突っ張ってスイを拒むクレア。その様子にスイは一瞬怯む。
「どうして……」
スイの声は掠れてそこで途切れた。
“やっぱり、アイツがいいのか? シンがいいのか?”
飲み込んだ言葉は口にもしたくなかった。再び憤りが彼の心を支配する。
彼はクレアの両肩をガシッと力強く掴む。そしてそのまま壁に彼女の体を押し付けた。
「離しなさい」
指が食い込むほど強い力でつかみかかった彼の手にクレアは全く身動きがとれない。
「痛い、やめて」
抵抗するクレア。スイはそんなことお構い無しにグイッと体を寄せてさらにその動きを封じた。
「スイ、やっ」
クレアの必死の喚きは遮られた。
クレアの柔らかな唇の感触にスイは我に返る。しかしその魅惑的な刺激は再びスイの堅固な理性を粉々に打ち砕く。
「やめ……ん」
彼女の艶っぽい声に触発されたのだろうか。彼は更にその腕を彼女の体に絡めるように伸ばし強く抱き締めた。
「わかってる。でも、愛しているんだ」
しかし、彼はそう言うと手を緩めクレアから離れた。
クレアはそれをチャンスとばかりにスイを思いっきり蹴りつける。不意をつかれたスイはバランスを崩し床に膝をついた。
「早く出て行きなさい。私は現国王の娘。卑しき異端者め。本気で私と添えるとでも思ったか!」
クレアは唇を噛み締めると再び強い口調でたたみかける。
「今すぐ出てゆけ。早く去れ!」
クレアは精一杯表情を強ばらせてスイを睨み付けた。
スイはよろよろと立ち上がると情けない表情でクレアを見つめた。
“そんな顔しないで”
クレアはその表情に耐えかねてスイから目を背ける。
「本気なのか?」
スイの弱々しい声にクレアは動揺を隠せなかった。
「キ……」
「ん?」
「きゃー!」
クレアは力の限り、息続く限りの声で叫んだ。
「どうなさいました」
「クソっ鍵が!斧を持ってこい蹴破るぞ!」
その叫び声に外で警備をしていた近衛兵たちが騒ぎだした。
「チッ」
スイは悔しいそうに舌打ちすると窓辺に向かった。
しかしバルコニーの縁に足をかけたところでもう一度クレアの方を振り返ると
「一緒に行こう」
と言ってクレアに手を差し伸べた。
窓からは緩やかな風が吹き込んでその脇にあるカーテンと長旅で伸びきったスイの黒髪をさらさらとなびかせる。
クレアはその様子を目に焼き付けるように凝視しする。そして少し間を置いて彼の居る窓辺に歩み寄ると
「さっさと行け!」
とスイを蹴り落とした。
「えっ?」
手を取って貰える。そう思った瞬間だった。彼はバランスを崩すと、中庭に落下した。
冷たい夜の風が二人を隔てる。風は淡く苦味を感じるようなシンシアグラスの香りを含むんでいる。その風が細い月を陰らせてスイの姿を闇に溶かす。
「初めてなのよ」
“キスしたの”
クレアは今にも崩れそうな表情を取り繕いながら、こぼれた言葉を途中で飲み込んだ。
彼は地面に叩きつけられた。それとほぼ同時にクレアの部屋の扉は蹴破られる。
近衛兵が姫の安否を気遣う中、スイはとっさに這いつくばって物陰に隠れた。
スイが横たわる中庭は月を陰らせた雲が闇を落とし、静かに佇んでいる。よほど夜目がきかなければ見えないだろう。だがもし見つかれば言い逃れは難しい。シンシアグラスの群生地に落下したスイの体は、独特の苦味を含むような深く甘い香りに包まれているのだから。
息を潜めるスイの耳にクレアの声が微かに聞いてとれた。なにやら取り繕っているようだ。
「すみません。窓から落ちそうになって……」
クレアの声は窓が閉められる音と共に消えた。
スイは緊張から短くなっていた呼吸を一瞬とめてから長く息を吐いた。
“終わった”
安堵と脱力感と喪失感と……。そしてズキズキと脈打つような痛みが彼を襲う。彼はそれに耐えられずうずくまった。
こういうシーンを書くのは苦手です。