第八話 否定するな
本作は、日常の違和感がじわじわ積み重なるタイプのホラーです。
「本当にお守りなら......な」
純が静かに言ったのを、俺は聞き逃さなかった。
「……どういう意味だよ」
俺がそう聞くと、純はハンカチを取り出し、ハンカチの上から布袋を取った。
「普通のお守りはな、願いを込めて“封じる”ものだ」
「封じる?」
「ああ。中身が簡単に出ないように、固く縫われている。開けること自体が無作法とされていることも多い」
純は縫い目を指でなぞった。
「だがこれは――」
布の端が、わずかに裂けている。
俺は思わず身を乗り出した。
「……最初から、開けられる前提で作られてる」
背中が、じわりと冷える。
「……中身は?」
「ぱっと見た感じ真っ黒だ」
純はそう言いながら、ハンカチ越しに布袋の口をわずかに広げた。
俺は息を止めて覗き込む。
中を覗き込んだ瞬間、ぞわりと鳥肌が立った。
確かに黒い。
「真っ黒の何かが入っているようだ」
確かに、ただ暗いわけじゃない。
中に“詰まっている”。
粉のようにも見えるし、固まりのようにも見える。
形が定まらない。
「……取り出せるのか?」
俺の声は、思ったより小さかった。
純は首を横に振る。
「触らない方がいい」
「なんでだよ」
「わからないものに、触るのは危険だ」
冷静な声だったが、わずかに緊張が混じっている。
「これによって、導かれたのかもしれない」
その言葉に、胸がざわつく。
「導かれたって……」
純はゆっくりと顔を上げた。
「......」
「とにかくこれは危険だ」
「じゃあそれどうするんだ?」
「燃やそう」
純は迷いなく言った。
「は?」
思わず声が裏返る。
「危険なら、残しておく理由はない」
純はポケットからライターを取り出した。
なんで持ってるんだよ、というツッコミは飲み込む。
今はそれどころじゃない。
「ここでやるのか?」
「人目につかない場所でな」
俺たちは交差点から少し離れた、人気のない空き地に移動した。
純はハンカチごと布袋を地面に置く。
一瞬、躊躇いがよぎる。
「……本当に大丈夫なんだよな」
「大丈夫じゃない可能性があるから燃やす」
理屈は通っている。
通っているが、嫌な汗が出る。
純がライターをつけた。
小さな炎が揺れる。
その火を、布袋の端に近づける。
火が触れた瞬間。
――ボッ。
予想以上に、強く燃え上がった。
「っ!」
俺は思わず後ずさる。
布はすぐに黒く縮み、赤い炎に包まれた。
だが。
「……おい」
純の声が低くなる。
炎の色が、おかしい。
赤じゃない。
青黒い火が、内側から噴き出した。
まるで中に燃料でもあったかのように。
「普通の布じゃない……」
焦げ臭さはある。
あっという間に、布袋は灰になった。
中身らしきものは――残らない。
完全に。
消えた。
「なぁ純、あの炎の色おかしかったよな......」
俺は、小さい声で言った。
「あぁ、青黒い色は布を燃やして出るもんじゃない」
純は灰を枝で崩しながら言った。
「アルコールでも染み込ませてたのか?」
「匂いが違う」
「じゃあ何だよ」
純は少しだけ考えてから、低く言う。
「金属が混ざっていた可能性はある」
「金属?」
「金属なら炎の色は変える。だが――」
枝が止まる。
「それでも、あの色は濃すぎる」
風が吹き、灰がさらさらと崩れた。
俺はその様子を、ぼんやりと見ていた。
本当に、何も残っていない。
布の繊維も。
黒い“何か”も。
「完全に燃え尽きた……よな」
「ああ」
純は短く答える。
だが、その声に安心はない。
俺は無意識に、交差点の方を見る。
信号は、いつも通りの色に戻っている。
車も普通に走っている。
さっきまでの異様さが、嘘みたいに。
「……終わったんだよな」
自分に言い聞かせるように呟く。
純は灰を踏み消し、ハンカチをポケットにしまった。
そして、ぽつりと言う。
「終わったのは、“ここにあった分”だけだ」
胸がざわつく。
「......どういうことだ?」
俺は、嫌な予感をしながら聞いた。
「これは終わりじゃない。むしろ――始まりだ」
純の声は低く、はっきりしていた。
冗談を言っている様子はない。
「始まりってなんだよ」
俺は思わず語気を強める。
「俺たちがやらないといけないことが、はっきりしたということだ」
「俺たちがやらないといけないこと......」
俺は、ハッとした。
「心だ!」
声が、夜の空気に響いた。
純はゆっくりと頷く。
「ああ」
短い返事。
だが、迷いはない。
「心が持っている物もこれと同じだとしたら――」
純は言葉を選ぶように続ける。
「まだ“導き”は続いている」
胸が嫌な音を立てる。
「導くって……事故にか?」
「そうとは限らない」
純は考えながら言った。
「なんで?」
「......孝也が事故にあったというニュースがないから」
純は静かに言った。
「え?」
俺は思わず聞き返す。
「あの交差点で、お守りの持ち主が事故にあったのは事実だ。だが――」
純は少し間を置く。
「孝也の名前は出ていない」
「で、でも孝也はお守りを持ってなかったじゃん!」
俺は冷や汗をかきながら言った。
「学校にいた時は......な」
「ど、どういうこと?」
「あの日、俺たちは孝也より先に教室を出た」
「だからその後に入手した可能性はある」
はっきりしない言い方に、余計に不安が募る。
「普通にサボって来てないだけかもだし......」
分かっている。
分かっているのに、認めたくなかった。
「この前、信也が孝也の家に行ったろ」
「うん、でもいなかったって......」
「でも玄関は開いていたって言ってたね」
俺の声は、自分でも分かるくらい弱かった。
純は小さく頷く。
「ああ」
「ただの閉め忘れだろ?」
「孝也はそんなことはしない」
即答だった。
「一年も一人暮らししてるのに閉め忘れなんてするわけない」
少し大きな声だった。
「じゃあ......」
「あぁ、信也の証言は嘘の可能性もあるということを、頭に入れておいたほうがいい」
純は淡々と言った。
「嘘って……なんでそんなことするんだよ」
「分からない」
即答だった。
「もし、その話が本当だったとしても信用はあまりできない」
純は鋭い目をした。
「あいつは、そんなやつじゃ......」
俺は、体が震えた。
「心にお守りを渡したのは信也だ」
純は間をおいて言った。
「翔太、孝也と最後にあった時を覚えてるか?」
「えっと......」
「俺が、サークルで心霊系のことをやらない理由を言った日だった」
純が、迷わず言った。
「自分が何番目に帰ったか覚えてるか?」
「俺は、恥ずかしさで逃げたくて最初に帰った......」
「だからその後のことは何も......」
「俺はその後すぐ帰った」
「心と一緒にな」
純は、察してほしそうな目をしていた。
俺は考えた。
「俺が帰って、純と心が一緒に帰った」
「教室に残っていたのは......」
その時、「はっ......!」俺の全身に鳥肌がたった。
「孝也と.......信也」
それを聞いた純は冷静に言った。
「そういうことだ」
「つまり、二人になったその瞬間からお守りを渡すことは可能だ」
純の声は落ち着いていた。
だが、その内容は重い。
「でも……渡しただけだろ?」
自分でも苦しい言い訳だと分かっている。
純は淡々と続ける。
「お守りを渡した。理由は不明」
「その後、孝也は姿を見せていない」
事実だけが並ぶ。
感情を挟む隙がない。
「偶然かもしれないだろ」
「もちろん」
純は即答する。
「だが、偶然にしては出来すぎている」
胸の奥がざわつく。
「交差点にあったお守り」
「事故にあった人も、恐らく信也に......」
言葉の続きを、純は飲み込んだ。
その後、しばらく俺たちは無言だった。
信号が変わる音だけが、やけに大きい。
俺は、ようやく口を開いた。
「......明日どうする?」
「学校ないけど......」
純は少し考えてから言った。
「翔太は、心と一緒に過ごしてくれ」
「心配でしょうがない」
「純は一緒にいないのか?」
一瞬だけ、純の視線が揺れた。
「......俺は、この出来事を整理したい」
「心と孝也を救う手掛かりが、あるかもしれない」
最後の言葉だけ、わずかに揺れた。
純は静かに言った。
「翔太、もし明日――心が何か言ったら」
「絶対に、否定するな」
「……何を?」
純は答えない。
ただ交差点を見つめていた。
その瞬間。
信号が一斉に赤になった。
誰も押していない。
俺たちは、しばらく動けなかった。
第八話まで読んでいただきありがとうございます!
言葉には、思っている以上の力があります。
否定することが、正しいとは限りません。
次回もよろしくお願いします!




