銀河からの刺客は、スーパーの特売より影が薄い
幼馴染と皇女による「焼きそばパン冷戦」から数日。 俺の日常は、奇妙なバランスで成り立っていた。
学校では、西園寺先輩がなぜか俺をライバル視して毎日何か(薔薇の花束とか、高級メロンとか)を送りつけてくるし、陽葵は対抗意識を燃やして世話を焼きに来る。 そしてリュミエは、俺が他の誰かと話すたびに空間をバグらせて威嚇する。
胃が痛い。 俺が求めていたのは、空気のような平穏な高校生活だったはずなのに。
「……おい、湊。歩くのが遅いぞ」
放課後の帰り道。 前を歩くリュミエが、不満げに振り返った。 今日の彼女は、学校指定の制服ではなく、母さんが買ってきた私服を着ている。 相変わらずスタイルが良すぎて、すれ違うサラリーマンたちが二度見、三度見していく。
「悪い。ちょっと荷物が重くてな」
「ふん。貧弱なつがいめ。……貸せ。半分くらいは持ってやらんこともない」
「お、サンキュー。優しいな」
「勘違いするな。貴様が倒れて、夕食のハンバーグが作れなくなると困るだけだ」
彼女はぶっきらぼうに言いながら、俺の手からスーパーの袋(特売の挽肉と玉ねぎ入り)をひったくった。 その尻尾が、スカートの中でご機嫌に揺れているのが気配でわかる。
……あの日、天井をぶち破って降ってきた「災害」は、今やこうして夕飯の材料を運んでいる。 その光景に、俺は少しだけ「悪くないな」と思い始めていた。
――その時だった。
ピリッ。
空気が、裂けた。 いつものリュミエの「感情によるバグ」じゃない。もっと鋭利で、悪意に満ちたノイズ。 夕暮れの商店街の景色が、一瞬だけ、砂嵐のようにザラついた。
「……湊。下がっていろ」
リュミエの声から、甘さが消えた。 彼女はスーパーの袋を大事そうに地面に置くと、俺を背に庇うように立った。
「ほう。このような辺境の惑星で、皇女殿下が『お使い』とは。帝国が見れば泣きますぞ」
空間の歪みから、一人の男が滲み出るように現れた。 全身を、流線型の銀色のアーマーに包んだ男だ。 その手には、プラズマのように紫に発光する長剣が握られている。
明らかに、地球の科学レベルじゃない。 通行人たちは、男の姿が見えていないのか、それとも「認識阻害」でもかけられているのか、素通りしていく。
「……貴様、近衛騎士団のヴォルグか」 「ご明察。お迎えに上がりました、リュミエ様。さあ、このような汚れた星など捨てて、帝国へお戻りください」
ヴォルグと呼ばれた騎士は、恭しく一礼した。 だが、その目は笑っていなかった。
「断る」
リュミエは即答した。
「私はこの星が気に入った。この星の文化も、食料も、そして……つがいもな」
「つがい? ……ああ、その後ろにいる無力な原住生物のことですか?」
ヴォルグが、侮蔑の視線を俺に向けた。 ゾワリと肌が粟立つ。殺気だけで心臓が止まりそうだ。
「理解に苦しみますな。そのような脆弱な個体、指先一つで消し飛ぶ塵でしょうに」
騎士が剣を振るう。 紫の衝撃波が、俺に向かって飛んできた。 反応すらできない。死んだ、と思った。
ガギィッ!!
衝撃波は、俺の鼻先で霧散した。 リュミエが、片手でそれを叩き落としていたのだ。
「……私の所有物に、許可なく触れるなと言ったはずだぞ」
リュミエの周囲で、空間が悲鳴を上げた。 バグの規模が違う。 アスファルトの地面が、3Dモデルの表示エラーのように歪み、背景の建物がネオンカラーに溶解していく。 彼女の銀髪が逆立ち、背中から、禍々しくも美しい「龍の翼」のような光の奔流が噴き出した。
「ひっ……!?」
ヴォルグが後ずさる。 その顔に、明確な恐怖が張り付いていた。
「格が違うのだよ、三流騎士。――消えろ」
リュミエが、デコピンをするように指を弾いた。 たったそれだけ。 魔法陣も、必殺技の叫びもない。
ドォォォォォォンッ!!
ただの衝撃波が、ヴォルグの鎧ごと彼を吹き飛ばした。 騎士は路地裏のゴミ捨て場まで弾き飛ばされ、壁にめり込んで動かなくなった。
「……ふん。口ほどにもない」
リュミエはつまらなそうに鼻を鳴らすと、バグった空間を一瞬で元に戻した。 そして、地面に置いたスーパーの袋を拾い上げる。
「行くぞ、湊。ハンバーグの肉が傷む」 「あ、ああ……」
俺は震える足で彼女の後を追う。 強すぎる。これが、銀河最強の皇女の実力。 俺の日常なんて、彼女の機嫌一つで消し飛ぶんだと、改めて思い知らされた。
だが。 俺たちが去ろうとしたとき。 瓦礫の中でピクリと動いたヴォルグが、消え入るような声で独り言ちたのを、俺は聞いてしまった。
「……馬鹿な。あの出力……。皇女殿下、気づいておられないのですか……?」
彼が見つめる先には、リュミエが立っていた場所。 そこには、彼女の体から剥がれ落ちたような、キラキラ光る「光の欠片」が残っていた。
「……地球の大気では、そのお体は……もう……」
その不吉な予言は、夕闇の中に溶けて消えた。




