バレンタイン・パニック。愛の重さはカカオの純度
2月14日。 その日、学校の空気は朝から浮ついていた。 男子生徒たちは無駄にソワソワし、女子生徒たちは何やら大きな鞄を抱えて登校してくる。
「……異常なし」
俺、九条湊は下駄箱を確認し、小さく息を吐いた。 入っていない。 まあ、期待していたわけじゃない。……いや、少しはしていたかもしれないが。
「……ゼロだ」
隣で、死んだ魚のような目をした権田が呟いた。
「俺の下駄箱にあるのは、上履きと消臭ボールだけだ。……AIの計算では、確率0.003%で『間違いチョコ』が入っているはずだったのに……!」 「ドンマイ、権田。……まだ朝だしな」
俺が慰めていると、校門の方から黄色い悲鳴が上がった。
「キャーッ! 西園寺センパーイ!」 「受け取ってください! 私の本命です!」 「私も! 私も!」
見れば、西園寺先輩がチョコの山に埋もれていた。 いや、比喩ではない。リムジンのトランクが満載になり、専属の執事たちがダンボール箱に追加分を詰め込んでいる。
「やあ、諸君。おはよう」
先輩は爽やかに笑い、高級そうなトリュフチョコを一つ摘んで口に放り込んだ。
「甘いものは脳に良いが、これだけの量となると……虫歯が心配だね。九条くん、少し持っていくかい?」 「いえ、結構です……(格差社会だ……)」
◇
教室に入ると、陽葵がやってきた。
「はい、湊! これ、義理チョコね!」 「お、サンキュ。……義理にしてはデカくないか?」 「えへへ、作りすぎちゃって。……あ、権田くんにもあるよー」 「女神! 陽葵ちゃんは女神だぁぁぁ!」
権田が拝むようにしてチロルチョコを受け取る。 平和だ。 だが、俺の隣の席――リュミエの様子がおかしい。
「…………」
彼女は朝から一言も発さず、腕組みをして黒板を睨みつけていた。 机の上には、禍々しいオーラを放つ『黒い箱』が置かれている。 厳重にラッピングされているが、そこから漏れ出る圧力が尋常ではない。
「……あー、リュミエさん?」 「……話しかけるな。集中している」 「何に!?」
彼女はブツブツと何かを呟いている。 『冷却期間……完了』『硬度……オリハルコン級』『味覚破壊深度……修正済み』。 怖い。兵器開発のログか何かか?
◇
放課後。 生徒たちが帰宅する中、俺はリュミエに呼び出されて屋上に来ていた。 冬の風が冷たい。
「……来たか、湊」
フェンスを背にしたリュミエが、バッと振り返った。 その手には、あの『黒い箱』がある。
「単刀直入に言う。……受け取れ」 「あ、ああ。……ありがとう」
俺はおそるおそる箱を受け取った。 ズシッ。 重い。 中身は石か? それとも鉛か? 手のひらにずっしりとくる重量感だ。
「……開けてみろ」
促され、俺はラッピングを解いた。 箱の中に入っていたのは――。
「……これ、チョコか?」
それは、真っ黒な球体だった。 表面は鏡のように磨き上げられ、周囲の景色を反射している。 そして何より、中心部から微かに「ドクン……ドクン……」という鼓動のような音が聞こえる。
「名付けて『暗黒物質・トリュフ』だ」 「食い物の名前じゃねぇ!」 「安心しろ。美津子に監修してもらった。……材料は、カカオ99%のチョコと、私の『竜の魔力』を少々。あと、隠し味に皇帝の『秘蔵のブランデー』を勝手に入れた」
カオスなレシピだ。 でも、彼女が一生懸命作ったことは伝わってくる。指先に小さな絆創膏が貼ってあるのが見えたからだ。
「……重いな」 「当たり前だ。私の『想い』を質量に変換して封じ込めたからな」
物理的な重さ=愛の重さ、ということらしい。 俺は覚悟を決めた。 これを食わずして、つがいを名乗る資格はない。
「いただきます!」
ガブッ。 硬い。岩のように硬い。 だが、歯に力を込めると、パリッと表面が割れ――中から濃厚な甘みと、芳醇なブランデーの香り、そして熱い魔力が溢れ出した。
「……!」
美味い。 いや、衝撃的に美味い。 脳が痺れるような甘さだが、不思議と後味は悪くない。全身がポカポカと温まってくる。
「……どうだ?」 「うん。……すげぇ美味いよ、リュミエ」
俺が笑って答えると、リュミエはホッとしたように息を吐き、頬を朱く染めた。
「そ、そうか。……なら、よし」 「サンキュな。ホワイトデー、楽しみにしてろよ」 「ふん。……3倍返しだぞ。銀河の相場ではな」 「高ぇよ!」
◇
家に帰ると、リビングのコタツで銀河皇帝が項垂れていた。
「……ゼロだ」 「お義父さん、アンタもか」
皇帝は虚空を見つめ、呟いた。
「余は銀河の全てを手に入れた男……。だが、なぜ地球の女子高生たちは余にチョコを献上しないのだ……?」 「そりゃあ、いつもジャージでゴロゴロしてるおっさんにチョコあげる女子高生はいませんよ」 「なんと……。地球とは、これほど過酷な星だったとは……」
皇帝が絶望に沈みかけた、その時。
「はい、お義父様」
母・美津子が、小さな包みを差し出した。
「私からです。いつもお皿洗い、手伝ってくれてありがとうございます」 「……!」
皇帝がガバッと顔を上げた。 包みの中身は、50円くらいの『ブラックサンダー』。 だが、皇帝はそれを宝石のように両手で捧げ持った。
「おお……! 美津子殿……! かたじけない……!」 「ふふ、味わって食べてくださいね」
皇帝は目尻に涙を浮かべながら、ブラックサンダーを齧った。
「……美味い。……これが『義理』という名の、忠誠の味か……」
違うと思うけど、まあいいか。 こうして、九条家のバレンタインは、甘く、重く、そして平和に過ぎていった。




