銀河皇帝、スーパーへ行く。「タイムセール」という名の戦場
ある休日の昼下がり。 俺、九条湊は、リビングで奇妙な光景を目撃していた。
「……むぅ。美津子殿、これは何の儀式だ?」
我が家のコタツの主と化した銀河皇帝が、チラシを真剣な眼差しで睨みつけている。
「あら、お義父様。知らないのですか? これは『特売チラシ』ですよ」
母・美津子がエプロン姿で微笑む。 彼女が赤いマジックで丸をつけた箇所には、【 卵1パック 98円(先着50名様限り) 】という文字が踊っていた。
「98円……。帝国の通貨単位に換算すると、およそ戦艦のナット1個分か」
「ええ。ですが、この卵を手に入れるには、激しい競争を勝ち抜かねばなりません」
母さんの目が、スッと戦士の色に変わった。
「16時から始まるタイムセール。……近隣の主婦たちが命がけで挑む、聖戦なのですよ」
「ほう……。聖戦か」
皇帝がニヤリと笑い、バサッとジャージを翻して立ち上がった。
「面白そうだ。余も同行しよう。……銀河を統べる者の『目利き』を見せてやる」
「あら、頼もしい! じゃあ荷物持ちをお願いしますね」
こうして、最強の主婦と最強の皇帝による、近所のスーパー『ライフ』への出撃が決まった。 俺? もちろん、ストッパー役として同行させられる羽目になった。
◇
スーパー『ライフ』の入り口は、すでに殺気立った主婦たちで溢れかえっていた。 自動ドアが開くたびに、戦場の匂いがする。
「……多いな。これが地球の兵士たちか」
「お義父さん、一般市民だから攻撃しないでくれよ?」
俺が釘を刺すと、皇帝はフンと鼻を鳴らした。
「安心しろ。余は無益な殺生は好まぬ。……だが、あの『卵』は渡さんぞ」
皇帝の視線の先には、山積みにされた特売卵のワゴン。 店員の「タイムセール、スタートでーす!」の掛け声と同時に、人の波が押し寄せた。
「きゃあ! 押さないで!」 「ちょっと、そこ私の場所よ!」 「あら奥様、お元気?」
怒号と挨拶が飛び交うカオス。
母さんはその波をスルスルと泳ぐように抜け、あっという間にワゴンへ到達した。さすがだ。 だが、皇帝は――。
「ええい、邪魔だ下民ども! 道を開けろ!」
人混みに揉まれて立ち往生していた。 銀河皇帝の威圧感も、おばちゃんたちの「安さへの執念」の前には無力らしい。
「くっ、押すな! 余のジャージを引っ張るではない!」
「あらごめんなさいねぇ、お兄さん背が高いから!」
おばちゃんアタックを食らい、よろめく皇帝。 このままでは全滅かと思われた、その時だ。
「……ふん。ならば、実力行使に出るまで」
皇帝の目が赤く光った。 マズい。重力波を使う気だ。スーパーが消し飛ぶ!
「待て待て待て! 魔法禁止! 超能力禁止!」
「ならばどうしろと言うのだ、湊! このままでは美津子殿の戦果に泥を塗ることになる!」
「フィジカルで勝負しろ! ……あ、そうだ!」
俺は皇帝の背中を押し、鮮魚コーナーの方を指差した。
「お義父さん、あっちだ! 『試食コーナー』があるぞ!」
「……試食?」
皇帝の気が逸れた。 そこでは、店員のおばちゃんがホットプレートでウインナーを焼いていた。
「はい、お兄さん! 食べてって!」
爪楊枝に刺さったウインナーを差し出され、皇帝はおそるおそる口にした。 もぐもぐ。 カッッッ!! 皇帝の瞳孔が開いた。
「……美味ッ!!」
「でしょ~? これ、新商品の『銀河ポークウインナー』なのよ!」
「銀河ポークだと!? 余の故郷の名を冠するとは……気に入った! この棚の在庫、全て買おう!」
皇帝がカゴにウインナーを放り込み始めた。 さらに隣のコーナーへ移動する。
「む、こちらの『ヤクルト』という飲料……この小さな容器に1000億もの菌が封印されているのか!? 恐るべき生物兵器だ……保護(購入)せねば!」
「この『ポテトチップス・コンソメパンチ』……なんと破壊的な中毒性だ! 戦略物資として買い占める!」
皇帝は水を得た魚のように、カートに商品を山積みにしていった。 卵戦争は母さんに任せ、彼は「日本のスーパーマーケット」という未知のダンジョン攻略に夢中になっていたのだ。
◇
数十分後。 レジには、カート3台分山盛りの商品と、ドヤ顔の皇帝の姿があった。
「お会計、3万4千円になります」
「うむ。……カードで(ブラックカード)」
皇帝が颯爽とカードを出す。 店員さんが「一括でよろしいですか?」と震える声で聞き、決済完了。 母さんは戦利品の卵パック(98円)を抱え、呆れたように、でも嬉しそうに笑っていた。
「もう、お義父様ったら。……こんなに買って、誰が食べるんですか?」
「案ずるな。ヴォルグやエクレアたちも腹を空かせているだろう。……それに」
皇帝は、レジ横にあった小さな箱を指差した。 1個30円の『チロルチョコ』だ。
「湊。……これは、陽葵とやらにやってくれ」
「え?」
「先日、コタツのみかんを剥いてくれた礼だ。……余は借りを作るのが嫌いなのでな」
ぶっきらぼうに投げ渡されたチョコ。 俺は苦笑して受け取った。 銀河を統べる王も、スーパーのレジ前では、ただの「孫にお菓子を買うお爺ちゃん」みたいだった。
「さあ、帰るぞ美津子殿! 今日の夕餉は、この『銀河ポーク』による祝宴だ!」
「はいはい。荷物持ち、頼みますね」
両手にパンパンのレジ袋を提げた皇帝陛下。 その背中は、玉座に座っていた時よりも、ほんの少しだけ大きく、そして楽しそうに見えた。




