皇帝陛下の奢り。家の修理費は、銀河の予算で
玉座の間での決着から、数分後。
俺とリュミエは、瓦礫の上に腰を下ろし、大きく息を吐いていた。 全身が痛い。右腕は感覚がない。 でも、不思議と気分は晴れやかだった。
「……なぜだ」
近くで仰向けに倒れていた銀河皇帝が、独り言のように呟いた。
「なぜ、余を殺さなかった。……余は、貴様らの星を消そうとしたのだぞ」 「殺すわけないだろ。そんなことしたら、リュミエが悲しむ」
俺は汗を拭いながら答えた。 皇帝がゆっくりと体を起こし、怪訝な顔で俺を見る。
「それに……約束があるんでね」 「約束?」 「母さんが言ってただろ。『デザートのプリンをあげるから帰ってこい』って」
俺はニッと笑って親指で背後を指した。
「アンタの分もあるらしいぞ。……日本のプリンは美味いからな。一度食べたら、銀河征服なんて馬鹿らしくなるぜ」 「……プリン、だと……?」
皇帝は呆気に取られた顔をした後、フッと短く笑った。
「……ククク。余の首の価値が、プリンと同等か。……安いものだ」
憑き物が落ちたような、穏やかな表情だった。 リュミエが歩み寄り、父親の手を取る。
「立てるか、父上」 「……ああ。世話をかけるな」
最強の親子が、初めて手を取り合った瞬間だった。 これで一件落着――と思った、その時だ。
ズズズズズズズ……!
玉座の間の壁が崩れ、砂煙と共に巨大な「影」が突っ込んできた。 瓦礫を跳ね飛ばして現れたのは、ボロボロになった木造二階建て――我が家だった。
「み、湊ォォォォォ!!」
玄関ドアが蹴り開けられ、父・博道が血相を変えて飛び出してきた。
「無事か!? 生きてるか!?」 「父さん! ああ、なんとかな!」 「よかったぁぁぁ!」
父さんは俺に抱きつき、男泣きした。 そして、その涙で濡れた顔を上げ、周囲の慘状――破壊された玉座の間と、半壊した我が家の外壁を見比べた瞬間、その表情が絶望に染まった。
「あ……あぁ……」
父さんは膝から崩れ落ちた。
「サイディングが……屋根瓦が……基礎にヒビが……!」
無理もない。 敵艦への特攻、ドローンとの戦闘、そして大気圏突破。 築3年の九条家は、見るも無惨な姿になっていた。 断熱材ははみ出し、ベランダはひしゃげ、自慢の庭は消滅している。
「終わった……。もう終わりだ……。地震保険だって、こんな『宇宙戦争』なんて免責事項だよ……」 「と、父さん、しっかりしてくれ!」 「ローンの支払いはあと32年残ってるんだぞ!? これじゃあ資産価値がゼロじゃないかぁぁぁ!!」
地面(敵艦の床)を叩いて嘆く父。 その姿を、皇帝が不思議そうに見下ろしていた。
「……なんだ、その男は」 「俺の父親です。……家のローンを何より大切にしている人なんです」 「ローン……? 借金のことか?」
皇帝は眉をひそめた。
「たかだか住処の修理費ごときで、男が涙を流すとは。……地球人とは、なんとスケールの小さい生き物だ」 「うるせぇぇぇ! アンタに俺の苦しみが分かってたまるか!」
父さんが皇帝に食ってかかった。相手がラスボスだということも忘れているようだ。
「俺が! 毎日満員電車に揺られて! 上司に頭を下げて! やっと手に入れた城なんだぞ! それを……こんなボロボロに……!」
父さんの魂の叫び。 それは、全てのサラリーマンの悲哀を背負っていた。 皇帝は少し驚いたように父を見つめ、やがて――鷹揚に頷いた。
「……よかろう。その執念、見事だ」
皇帝は懐から、一枚のカードを取り出した。 それは見たこともない、黒い光沢を放つ金属板だった。
「今回の戦いの被害、およびその『城』の修繕費……すべて余が持とう」 「……は?」
父さんの涙が止まった。
「帝国の国家予算から捻出する。……好きなだけ直せ。金なら、星を買えるほどある」 「ほ、星を買える……?」
父さんの目が、カードに釘付けになる。 西園寺先輩が横から口を挟んだ。
「おじ様、それは『ギャラクシー・ブラックカード』ですよ。限度額無制限、惑星一つ分の決済がサインレスで可能です」 「む、むせいげん……」
ゴクリ、と父さんが喉を鳴らした。 次の瞬間。
ガバッ!!
父さんは地面に頭を擦り付けんばかりの勢いで、皇帝の足元にスライディング土下座をかました。
「一生ついていきます! お義父様ァァァァッ!!」
「ちょ、父さん!?」 「いやぁ、素晴らしい! やはりトップに立つ方は器が違う! 湊、お前も頭を下げなさい! この方は九条家の救世主だぞ!」
さっきまでの絶望はどこへやら。 父さんの変わり身の早さに、俺たちは呆れるしかなかった。 だが、皇帝はそんな父の姿を見て、またしても「ククッ」と笑った。
「……面白い男だ。余を『財布』扱いするとはな」 「いけませんか?」 「いや……悪くない。媚びへつらうだけの部下より、よほど清々しい」
皇帝は父さんの肩をポンと叩き、カードを渡した。 これで九条家の財政破綻は回避された。いや、むしろリフォームでグレードアップする未来が確定した。
「さあ、帰るぞ! 地球へ!」 「応ッ! 美津子の飯が待っている!」
こうして。 俺たちはボロボロの(でも資金潤沢な)我が家に乗り込み、懐かしい青い星へと進路を取った。
◇
家の中では、母さんが笑顔で出迎えてくれた。
「あらあら、みんな泥だらけねぇ。……お風呂、沸かし直しておいたわよ」 「母さん! ただいま!」 「おかえりなさい、湊」
そして母さんは、俺の後ろに立つ、気まずそうな顔の皇帝に気づいた。
「あら? そちらの方は……?」 「あー、その……リュミエの父親の……」
俺が紹介しようとすると、皇帝は緊張した面持ちで、母さんの前に進み出た。 そして、銀河を統べる王としてのプライドをかなぐり捨て、深々と頭を下げた。
「……娘が、世話になった。……そして、すまなかった」
その不器用な謝罪に、母さんは一瞬きょとんとして――ふわりと微笑んだ。
「いいんですよ。……さあ、ご飯にしましょう。今日は大家族ね」
食卓には、山盛りのハンバーグと、特大のプリン。 窓の外には、美しい地球の夜明け。 長い、長い一日が終わった。 俺たちの日常が、少しだけ賑やかになって戻ってきたのだ。




