同棲ルールその1『学校では他人のフリをすること』
翌朝。 九条家の朝食は、奇妙な均衡の上に成り立っていた。
「……はぁ……リフォーム見積もりが……保険適用外……」
父は死んだ魚のような目でトーストを齧りながら、ブツブツと呪詛を吐いている。
母は「あらあら、今日もいい天気ねぇ」と、ニコニコしながら味噌汁をよそっている。
そして。
「おい湊。おかわりだ。今度はあの『黄金の麺』ではなく、この『白い穀物(米)』をもっと寄越せ」
「……お前なぁ。居候の分際で態度デカすぎない?」
俺の隣には、当然のように銀髪の皇女様が鎮座していた。
昨晩のカップ麺で陥落したかと思いきや、一夜明ければこの態度だ。
リュミエは俺のパーカー(まだ着てる)の袖を捲り上げ、茶碗を突き出してくる。
「勘違いするなよ。私は貴様の『管理』をしてやっているのだ。貴様が私に貢ぎ物をし、私がそれを受け取る。この健全な主従関係こそが、地球の平和を維持するのだぞ?」
「平和を人質に飯を食うな」
俺は溜息をつきつつ、炊飯器からご飯をよそってやる。
なんだかんだ言いつつ、こいつの尻尾がテーブルの下でパタパタと揺れているのを見てしまうと、無下にはできない。
悔しいが、チョロいのは俺の方かもしれない。
「さて、湊。飯も食ったことだ。出かけるぞ」
「は? 出かけるって……俺は学校だぞ」
「知っている。だから私が同行するのだ」
リュミエは箸を置き、当然のことのように宣言した。
「貴様は私のつがいだ。目が届かない場所で、他の泥棒猫共にたぶらかされていないか監視する必要がある」
「過保護なカノジョかよ。……というか、無理だろ。その角と尻尾、どうすんだよ」
俺は彼女の頭と腰を指差す。 ネオンカラーに発光する角。どう見ても特撮モノの怪人か、最新鋭のゲーミングデバイスだ。
あんなものをぶら下げて歩けば、5分でSNSのトレンド入り、10分で政府の黒服が飛んでくる。
「ふん。愚問だな」
リュミエは鼻で笑うと、スッと立ち上がった。
「私の本気(擬態モード)を見せてやる。……母上! 例の『戦闘服』を!」
「はーい、ちょっと待ってね~」
母さんが台所の奥から持ってきたのは、なぜかクリーニングのタグがついた「ウチの高校の制服」だった。
いつの間に用意したんだ、あの最強の母は。
「着替えてくる。貴様はそこで待機していろ」
リュミエは制服をひったくり、脱衣所へと消えていった。
※※※※※※※※※※
10分後。
脱衣所のドアが開き、リュミエが出てきた瞬間。
俺は玄関で、靴を履くのも忘れて硬直した。
「……どうだ、湊。これなら文句あるまい?」
そこにいたのは、昨晩の「ジャージ姿の駄竜」ではなかった。
髪色は、目立たないプラチナブロンドに変化している。
問題の角と尻尾は、きれいさっぱり消えていた(魔法か?)。
だが、一番の問題はそこじゃない。
「……サイズ、合ってなくないか?」
俺は思わず呟いた。
母さんが用意した制服は、一般的な女子高生サイズのはずだ。
だが、リュミエの発育は「銀河級」だった。
ブレザーのボタンが、物理法則の限界に挑むように弾け飛びそうだ。
スカートの丈は膝上だが、彼女の足が長すぎるせいで、スリットから覗く太腿がやけに艶めかしい。
黒のタイツが、その脚線美を強調している。
同年代のはずなのに、そこから漂うオーラは完全に「年上のお姉さん」のそれだった。
「む……少し胸元が苦しいな。地球の衣服は、なぜこうも窮屈にできているのだ」
彼女が胸元をパタパタと仰ぐたびに、甘い匂いがふわりと漂う。
これはいけない。
こんなのが学校に来たら、別の意味でパニックが起きる。
「おい、湊。鼻の下が伸びているぞ」
「の、伸びてない! ……はぁ、わかったよ。連れて行くけど、条件がある」
俺は深呼吸をして、彼女に指を立てた。
「学校では、俺たちは『赤の他人』だ。話しかけるなよ。ただでさえ目立つのに、変な噂が立ったら面倒だからな」
「……チッ。まあいいだろう。貴様の平穏な社会生活を守ってやるのも、主人の務めだからな」
彼女は不満げに舌打ちしたが、しぶしぶ承諾した。
※※※※※※※※※※
そして、通学路。
俺の予感は、校門をくぐる前に的中した。
「おい、見ろよあれ……」
「誰だ? ウチの制服だよな?」
「すっげぇ美人……モデルか?」
「いや、なんかエロくないか? 大人の色気がヤバいんだけど」
登校中の男子生徒たちが、吸い寄せられるように道を空けていく。
その中心を、リュミエが悠然と歩いていた。
背筋を伸ばし、冷ややかな視線で周囲を一瞥する姿は、まさに「高嶺の花」。
家でカップ麺の汁を飛ばしていた奴とは思えないカリスマ性だ。
(……頼むから、ボロを出さないでくれよ)
俺は彼女から少し離れて、他人のフリをして歩く。
だが。
すれ違いざま、リュミエが俺の方を見ずに、聞こえるか聞こえないかの小声で囁いた。
「……おい、湊」
「(……なんだよ。話しかけるなって言っただろ)」
「あまり離れるな。……エネルギーが、切れる」
ふと見ると、彼女の指先が微かに震えていた。
周囲の景色が、ほんの少しだけノイズ混じりに歪んでいる。
――そうだった。 こいつは俺のそばにいないと、世界を「バグらせて」しまうんだった。
「……ちっ、しょうがねぇな」
俺は溜息をつき、歩く速度を緩めて、彼女との距離を縮める。
俺が近づくと、リュミエの震えが止まり、世界の歪みがスッと消えた。
彼女の頬が、ほんの少しだけ朱に染まる。
「……ふん。世話の焼けるつがいだ」
彼女は俺にだけ聞こえる声で、嬉しそうに言った。
周囲の男子たちが「あいつ誰だ?」「なんであの美人があんな平凡な奴と……」と殺気立っているのを感じながら、俺の波乱の学園生活が幕を開けた。




