金持ちの騎士道。傷ついた黒猫は、最高級のベッドで眠る
林間学校から帰還した翌日。 銀河帝国近衛騎士団長、エクレア・ミストラルは、人生最大の屈辱を味わっていた。
「……ヴォルグ。貴様、本気で言っているのですか?」
彼女が立っているのは、木造アパート『コーポ・ドリーム』の一室。 六畳一間の畳部屋には、煎餅布団が一組と、カップ麺の空き容器が散乱している。
「は、はい! ここが私の現在の拠点であります!」
ヘルメット姿のヴォルグが、直立不動で敬礼した。
「狭いですが、住めば都です! 風呂はありませんが、近くに銭湯があります! さあ団長、どうぞお寛ぎください!」 「…………」
エクレアは部屋を見渡し、そして冷たく言い放った。
「却下です。ここは家畜小屋ですか? 帝国の牢獄でも、もう少しマシな空調設備がありますよ」
「そ、そんなぁ! 家賃3万円なんですよこれでもぉ!」
ヴォルグが泣き崩れる。 エクレアは溜息をつき、踵を返した。
「話になりません。私は別の宿を探します」
「だ、ダメです団長! 地球の通貨を持っていないでしょう!? 野宿になってしまいます!」
「野宿の方がマシです。このカビ臭い部屋で、貴様のイビキを聞きながら寝るよりはね」
バタンッ。 エクレアはアパートのドアを叩きつけ、外へと出た。
◇
とはいえ、当てもない。 夕暮れの住宅街。足を引きずりながら歩くエクレアの腹が、小さく鳴った。
「……屈辱ですね」
公園のベンチに座り込み、彼女は唇を噛んだ。 あの泥棒猫(湊)の家に転がり込むわけにはいかない。 かといって、野宿で体を冷やせば、捻挫した足の回復が遅れる。 八方塞がりだ。
――キキィッ。
その時、一台の白いリムジンが、公園の前に滑り込んできた。 後部座席の窓が開き、包帯まみれの男が顔を出した。
「やあ。こんなところで何をしているんだい? 迷子の黒猫ちゃん」
「……貴様は」
西園寺玲央。 林間学校で何度も吹き飛ばした、あのウザい金持ちだ。
「失せなさい、羽虫。今の私は機嫌が悪いのです。これ以上骨を折られたくなければ……」
「宿がないんだろう?」
西園寺の言葉に、エクレアがピクリと反応する。
「……ヴォルグ君から聞いたよ。君は高貴な身分ゆえに、下民の生活には馴染めない、とね」
「盗み聞きとは趣味が悪いですね。……ええ、そうですよ。ですが貴様のような男に施しを受けるつもりはありません」
エクレアは立ち去ろうとする。 だが、西園寺は車を降り、彼女の前に回り込んだ。 そして――ボロボロの身体で、恭しく膝をついた。
「施し? 誤解しないでくれたまえ」
彼は真剣な眼差しで、エクレアを見上げた。
「僕は、君の『強さ』と『気高さ』に敬意を表しているだけだ。君が見せた、あの鋭い蹴り。そして負傷しても決して弱音を吐かなかった誇り高さ……。感服したよ」
「……は?」
「傷ついた戦士に、休息の場を提供する。……それが、貴族としての義務であり、僕なりの騎士道さ」
西園寺の瞳に、いつもの下心は見えなかった。 あるのは、純粋な敬意と、少しの狂気。
「……貴様、頭でも打ちましたか?」
「フッ、君に蹴られた頭なら、とっくにイカれてるさ」
彼はリムジンのドアを開け、エスコートの手を差し出した。
「我が屋敷へ来たれ、黒き雷光よ。……見返りは求めない。ただ、万全になるまで羽を休めてくれれば、それが僕の喜びだ」
「…………」
エクレアは迷った。 だが、この男からは敵意も、下卑た欲望も感じない。ただの「お人好しのバカ」だということは、林間学校でなんとなく理解していた。 それに、この足ではこれ以上歩けない。
「……いいでしょう」
彼女は西園寺の手を取らず、自らシートに乗り込んだ。
「勘違いしないでくださいね。一時的な徴用です。貴様の屋敷を、帝国の駐屯地として認めてあげるだけですから」
「ああ、光栄だよ。女王陛下」
◇
数分後。 案内されたのは、西園寺家の広大な敷地内にある「離れ(ゲストハウス)」だった。 なんと、九条湊の家の真裏に位置する豪邸だ。
「……ここなら、殿下の様子も監視できますね」
「気に入ってくれたかい? ベッドは最高級のキングサイズだ」
エクレアはふかふかのベッドに腰を下ろし、ほう、と息を吐いた。 ヴォルグの煎餅布団とは雲泥の差だ。
「……悪くありませんね」
彼女は包帯だらけの西園寺を振り返り、フンと鼻を鳴らした。
「西園寺、と言いましたか。……貴様の『騎士道』とやら、少しだけ認めてあげます。感謝はしませんが」
「フッ、君に名前を呼ばれるだけで十分さ」
西園寺は満足げに微笑み、部屋を出て行こうとした。
「あ、待ちなさい」
「ん?」
「……足が痛みます。湿布を持ってきなさい。あと、最高級の紅茶と、マカロンも」
エクレアはベッドに寝そべり、尊大に命じた。
「……はい、ただちに!」
西園寺は嬉々として走り去っていった。 こうして、騎士道精神あふれる金持ちと、高慢な女騎士の奇妙な同居生活が始まった。 窓の外、すぐそこには湊の家の明かりが見えている。




