壁を砕く皇女と、バター醤油香る大団円
ズズズズズ……。
粉砕された岩石巨人の残骸が、砂となって崩れ落ちていく。 ダンジョン内には、耳が痛くなるほどの静寂が流れていた。
「……う、嘘だろ……?」
権田が震える声で呟き、カメラを俺に向けている。 コメント欄は、あまりの出来事に逆に静まり返り、やがて爆発的な速度で流れ始めた。
【視聴者のコメント】
: ……………………は?
: ワンパン……だと……?
: 今の右腕なに!? 特撮!?
: 主人公最強! 主人公最強!
: 【悲報】俺たちがモブだった件 : シルバー(ヴォルグ)より強いんじゃね?
「……湊」
陽葵がへたり込んだまま、信じられないものを見る目で俺を見上げている。 そして、エクレアは口をポカンと開けていた。 その金色の瞳が、俺の右腕――黒い鱗が消え、普通の人間の腕に戻っていく様子を捉えていた。
「……あり得ません。人間が、高次元のマナを肉体に宿して……出力に耐えきるなど……」
「ははっ……。耐えきれてるかどうかは、微妙だけどな」
俺は苦笑いをした。 アドレナリンが切れた瞬間、右腕に焼けるような激痛が走る。 筋肉痛なんてレベルじゃない。細胞の一つ一つが悲鳴を上げているようだ。
「ぐ、ぅ……ッ!」
俺が膝をつきそうになった、その時。
ドゴォォォォォォォォンッ!!!
俺たちが倒したゴーレムの背後の岩壁が、内側から爆砕された。 今日一番の爆音。 舞い上がる土煙の中から、のっそりと人影が現れる。
「……まったく。デザートのキノコを探していたら、騒がしい音がすると思えば」
現れたのは、右手に食べかけの焼きエリンギ、左手にフォークを持ったリュミエだった。 彼女は瓦礫の山をハイヒールで踏み越え、不機嫌そうに周囲を見渡す。
「湊。なぜ貴様がここにいる? ……それに、エクレアたちも」
「で、殿下!?」
エクレアが叫ぶ。 感動の再会――になるはずだったが、彼女の視線はリュミエの口元に釘付けになった。
「殿下……その、お口の周りの茶色い液体は……」
「ん? ああ、バター醤油だ。地球の調味料は素晴らしいぞ」
リュミエはペロリと舌でソースを舐め取った。 緊張感ゼロだ。 さっきまで俺たちが死にものぐるいで戦っていたのが馬鹿らしくなる。
「……おい、リュミエ。お前のせいで、こっちは大変だったんだぞ」
「ふん。知っている。貴様が私の力を借りて、そのデカブツを殴り飛ばした感覚は、味見させてもらった」
彼女は俺の元へ歩み寄ると、激痛に震える俺の右腕を、そっと両手で包み込んだ。 冷たくて気持ちいい。 彼女の手から優しい光が溢れ、ズキズキとした痛みが引いていく。
「……無茶をするな、バカつがい。貴様の肉体では、私の出力の1%にも耐えられんぞ」
「誰のせいだと思ってるんだよ。……お前が助けてくれなきゃ、みんな死んでた」
「勘違いするな。私が守りたかったのは貴様だけだ。他はついでだ」
そう言って、彼女はニッと笑った。 その笑顔があまりに誇らしげで、俺は何も言えなくなる。
「……さて」
リュミエは俺の治療を終えると、持っていた焼きエリンギを俺の口元に突き出した。
「よくやった褒美だ。貴様にも一口やろう」
「……いらねーよ。さっき散々味見させられただろ」
「遠慮するな。『あーん』だ」
「みんな見てるだろ!?」
俺たちがワチャワチャしていると、陽葵が頬を膨らませて割り込んできた。
「ちょっと! 再会早々イチャつかないでよ! 私だって怖かったんだから!」
「……ちっ。無事だったか、ちんちくりん」
「誰がちんちくりんよ!」
いつもの喧嘩が始まる。 その横で、エクレアは静かに立ち上がり、衣服の汚れを払った。 彼女はチラリと俺を見て、誰にも聞こえない声で呟いた。
「……今回は、貸しにしておきますよ。……泥棒猫」
その表情は、少しだけ柔らかかった。
こうして、西園寺先輩(気絶中)を含む全員無事で、波乱の遭難劇は幕を閉じた。 なお、この一連の騒動は、後に「林間学校の怪」として語り継がれることになるのだが、ネットにアップされた動画だけは、なぜか翌日には綺麗に削除されていた。 もちろん、エクレアによる情報操作(物理的なサーバー破壊を含む)であることは、言うまでもない。




