地下ダンジョンで二人きり。……置いていきなさい、泥棒猫
林間学校二日目。 昨晩の「肝試し生配信事件(権田はその後、リュミエに正座させられた)」の熱も冷めやらぬまま、午後のオリエンテーリングが始まった。
「いいか、班ごとに地図のポイントを回ってスタンプを集めろ。……道に迷うなよ、探すのが面倒だからな」
貞松先生のやる気のない合図で、生徒たちが森へと散っていく。 俺たちの班――俺、リュミエ、陽葵、そして監視役のエクレアも、地図を片手に獣道を進んでいた。
「フンフンフ〜ン♪ 湊、この地図によると、あっちに『キノコの群生地』があるぞ! 焼きキノコだ!」
「ルートから外れてるぞリュミエ。スタンプが先だ」
リュミエはご機嫌だ。昨夜、俺のスマホのデータを検閲し、変な画像がないことを確認して安心したらしい。 一方で、列の最後尾を歩くエクレアは、あからさまに不機嫌だった。
「……最悪です。昨夜の失態、あまつさえ全世界に配信されるなど……騎士団長の威厳が……」
彼女はブツブツと呟きながら、少し足を引きずっている。 昨夜、西園寺先輩(幽霊役)を全力で蹴り飛ばした時に、足を挫いたらしい。 自業自得だが、痛々しい。
「おい、エクレア。大丈夫か? 肩貸そうか?」
「気安く触れるな泥棒猫! 貴様の手助けなど……!」
彼女が俺の手を振り払おうとした、その時だった。
ズズズズズ……ッ。
地響き。 いや、もっと嫌な音だ。地面の下が空洞になっていて、それが崩れ落ちる音。
「――ッ!? 湊、危ない!!」
先頭を歩いていたリュミエが叫び、俺の方へ手を伸ばす。 だが、遅かった。 俺とエクレアの足元の地面が、パカリと口を開けたのだ。
「え――」 「きゃぁああああッ!?」
浮遊感。 俺たちの視界が暗転し、深い闇の底へと吸い込まれていった。
◇
「……っ、うぅ……」
目が覚めると、そこは湿った岩場だった。 頭上の遥か高いところに、小さな光(落ちてきた穴)が見える。どうやら数十メートルは滑落したらしい。
「……生きてるか、俺」
幸い、地面にはクッション代わりの巨大なキノコが生えていて、奇跡的に無傷だった。 俺は起き上がり、周囲を見渡す。 岩壁には、薄暗く光る「ヒカリゴケ」が群生している。 ただの地下空洞じゃない。この空気感、新宿で感じたものと同じだ。
「……ダンジョンかよ」
最悪だ。キャンプ場の地下に、休眠状態のダンジョンが眠っていたなんて。 俺は慌てて隣を確認する。
「おい、エクレア! 無事か!?」
彼女は少し離れた岩陰に倒れていた。 漆黒の戦闘服が土で汚れ、苦痛に顔を歪めている。
「……っ、ぐ……」 「エクレア!」
駆け寄ると、彼女は右足首を押さえていた。 腫れ上がっている。昨夜の捻挫が、落下ショックで悪化したんだ。
「……来るな、泥棒猫」
エクレアは脂汗を流しながら、それでも気丈に俺を睨んだ。
「……私のことは放っておきなさい。……これしきの傷、唾をつけておけば治ります」
「治るわけあるか! 立てるか?」
「……くっ!」
彼女は立ち上がろうとしたが、すぐに膝から崩れ落ちた。 足に力が入らないようだ。
俺はスマホを取り出す。
『圏外』。 ですよね。
「……状況は最悪だな。リュミエたちが助けに来るまで待つか、自力で出口を探すか」 「……行ってください」
エクレアが、絞り出すような声で言った。
「貴様一人なら、壁を登って脱出できるかもしれません。……私は動けません。ここにいては、貴様の足手まといになるだけです」
彼女は唇を噛み締め、俯いた。
「騎士団長たる私が、護衛対象のつがいに助けられるなど……恥辱です。……置いていきなさい」
それは、誇り高い彼女なりの「潔さ」だったのかもしれない。 でも。
「……バカかお前」
「は?」
俺は彼女に背中を向け、しゃがみ込んだ。
「乗れよ」
「……何を言って……」
「おんぶだよ。置いていくわけないだろ」
俺は肩越しに彼女を見た。
「俺はリュミエのつがいだぞ? あいつの大事な幼馴染を見捨てて帰ったら、それこそ殺されるわ」
「……っ」
「それに、ウチの母さんの遺言(死んでない)なんだよ。『女の子が困っていたら、迷わず背中を貸せ』ってな」
「……なんですか、その都合のいい遺言は」
エクレアは呆れたように息を吐いた。 でも、拒絶はしなかった。 しばらくして、背中に温かくて柔らかい重みが乗った。
「……重いと言ったら、斬りますよ」
「はいはい、軽い軽い」
俺は彼女を背負い上げ、歩き出した。 薄暗いダンジョンの奥へ。
(……温かい)
背中から伝わる心音が、少し早い気がした。 俺の心臓も、早鐘を打っている。 香水の甘い匂いが鼻をくすぐる。 耳元で、エクレアの吐息がかかる。
「……覚えておきなさい、泥棒猫」
彼女は俺の首に腕を回し、消え入りそうな小声で呟いた。
「……この借りは、必ず返しますから」
その声は、いつもの冷徹な騎士団長ではなく、ただの不器用な少女のものだった。
こうして、俺とエクレアの二人きりのダンジョン探索が始まった。 この先に、とんでもない「中ボス」が待ち構えているとも知らずに。




